クラシック名盤の思い出 Memory of Great Classic Records

ジャケットデザインに魅せられて55年・・・

1960年代はクラシックレコード業界にとってはまさに戦国時代。1948年に登場した1分間に33と1/3回転(3分間で100回転)で音を再生するLP(Long Playing)レコードは、戦前からの録音時間の短かった1分間に78回転するSP(Standard Playing)レコードにとって代わって主役に躍り出た。さらに1950年代も末になってようやく実用期を迎えたステレオLP技術と再生装置の性能アップにより再生音が格段によくなり、臨場感が増し、クラシック音楽ファンを引き付け、育てた。当時のメジャーレーベル(大手レコード会社)は、デッカ(イギリス)、エンジェル(イギリス)、グラモフォン(ドイツ)、フィリップス(オランダ)、コロンビア(アメリカ)、ビクター(アメリカ)と言った所で、その他に多くのマイナーレーベルがあった。日本ではこれらの大手と契約を結んだキングレコード(デッカの海外レーベルであるロンドンレーベル)、東芝音楽工業(エンジェル)、日本フィリップス、日本グラモフォン、日本コロンビア、日本ビクターが契約先から直輸入したり、日本で原盤カッティング、レコード盤プレス、ジャケット制作を独自に行い、販売していた。
ここに至って、レコード盤のジャケットデザインも変革期を迎えた。SP時代には、レコード盤は片面5分位の収録時間で、歌謡曲やポップスが1曲入るのにちょうどよかった。ただ、レコード盤はレーベルの大きさの円窓の開いた大きな薄い茶封筒(後のLP時代の内袋のようなもの)に入れて売られていて、LP時代のボール紙ジャケットと言う概念そのものがまだなかった(盤がシェラックで作られていたので大変重く、落としたら割れやすかったのに、円窓茶封筒だけで、ボール紙などで保護される事なく売られていたのは驚くしかない)。クラシックのような長時間の音楽では、例えばベートーベンの交響曲第5番のレコードはSPレコード盤4枚を円窓茶封筒を写真アルバムのように一端を綴った大きな本のような入れ物(SPアルバム)に入れて売られた。LP時代になって、1枚のレコードに多くの楽曲を入れた形態をアルバムと呼ぶのはこのSP時代の名残りである。
LP時代となって、片面30分位録音できるようになり、大概の交響曲は1枚のLPレコードに収まるようになった(盤がビニールで作られて割れにくく軽くなった)。同時に、内袋に入れたレコードを正方形のボール紙(ジャケット)で挟んで保護して売られるようになった。そして、このジャケット表面に収録内容を大きく印刷し、裏面には歌詞や、収録内容の解説文が印刷されるようになった。そして、表面に文字だけでなく簡単な図案や、粗い写真を印刷する流れが始まりジャケットデザイン文化が誕生した。1960年代に入り、LPレコードがステレオ化すると同時に、印刷もカラー写真精細印刷技術が進み、ここにジャケットデザイン文化が花開く時代が到来した。こうして、音楽愛好家はレコードを音でも楽しみ、ジャケットを手に取って視覚でも楽しむ事が出来るようになった。
余談だがLP時代に、もう一つ別のレコードが発売された(1949年、RCAビクター社)。材質はLPと同じビニール盤だったが、回転数が1分間に45回転するレコードだ(レコード盤の回転は角速度が一定なので、針が溝をなぞるスピードは、盤の外周ほど速く、内周に行くに従って遅くなり、17cmではかなり音質が落ちるため、LPより回転数を上げた)。直径が17cmで真ん中の穴(スピンドル)の直径が3.8cmもあって、一見お菓子のドーナツのようで、ドーナツ盤とも呼ばれた(なぜ大きな穴が必要だったかと言うと、ジュークボックスと言う音楽の自動販売機が開発され、数十枚のレコードから機械がリクエストされた1枚をピックアップしてターンテーブルに乗せるオートチェンジャーと言う自動再生装置のため)。
この45回転ドーナツ盤は片面5~10分の収録時間が歌謡曲やポップスを収録するのにちょうどよく、片面に1曲入れたものはシングル盤とも呼ばれた。シングルと言えども、裏面にも収録できたので、実際は2曲入った。主に売り出したい曲を表面(A面)に入れ、おまけの曲を裏面(B面)に入れた。売り出してから、B面の曲の方が人気が出て、後にA面に昇格する事もあった。うすぺっらい円窓紙袋に入れられて、これまたうすぺらい1枚の歌詞カード(一応表には歌手の写真とタイトルが印刷されていた)と一緒に、ビニール袋に入れられて売られていた。SP時代の円窓茶封筒文化の名残りか、単なるコストカットのためだったのか、厚紙のジャケットに入れられた事はなかった。値段は400~500円位だった。後に洋楽ポップスや映画音楽も盛んに売られるようになり、値段も600~700円になった。

この45回転ドーナツ盤の片面に2曲以上収録した盤も作られ、LPアルバムを買えない人々のために、人気曲を4曲ほど提供した。これをEP(Extended Playing)盤と言うが、私は目的から考えて「Economy Playing」の意味が隠されていると思う。包装はシングル盤同様円窓紙袋に入れられて、多少ページ数が増えた歌詞カード(一応表には歌手の写真とタイトルが印刷されていた)と一緒に、ビニール袋に入れられて売られていた。値段はシングル盤よりは高かった(600~700円)。一方、音質の低下のデメリットよりも、長い収録時間のメリットを重視し、33回転LP盤を直径17㎝にしたLP盤(コンパクト盤とも言う)も作られ、片面15分位は収録できたので、主にクラシックの小品や、30分位の交響曲や協奏曲など、あるいは歌謡曲やポップスのアルバムから数曲をピックアップして、30cmLPは高くて買えない層向けの商品として多く売られた。初めはアメリカで発売されたが、1960年には廃れてしまった。ところが日本では多くのレコードファンに受け入れられ1965-1970年に全盛期を迎えた。こちらは初めから厚紙ジャケットに入れられていて値段は500円だった。1965年当時日本では大卒サラリーマンの平均初任給は23,000円位(ちなみに2012年は201,800円、2019年は210,200円)だった。今の時代(2020年)に換算すると500円のEP盤やコンパクト盤でも4,600円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。
ジャケットの話に戻ると、ジャケットデザインはレコードに録音されている音楽を、まずは一目で解るように表すこと、さらには客がそれに引き付けられて購入する力となるようなデザインが求められた。スター演奏家や団体がいれば、その顔写真や演奏風景を大きく取り入れるのが手っ取り早い。しかしそうでない場合は音楽に関係する風景写真や絵画を取り入れる事になる。あるいは、欧米にはアルファベット文字を美しく書く文化(タイポグラフィ、レタリング、カリグラフィ)が元々あるので、文字で勝負する事も出来る。私は、音楽に夢中になると同時に、このジャケットデザインにも大いに興味を持って、LPレコードの収集に引き込まれた。このサイトではこれまでに収集したものから思い出深いものをエッセイ風に紹介する。
思い出の曲とベスト演奏者のリスト:(それぞれの行をクリックするとその曲にジャンプします)

 ・ベートーベン:    交響曲全集           カラヤン/ベルリンフィル
 ・ベートーベン:    交響曲 第9番         イッセルシュテット/ウィーンフィル
 ・ブルックナー:    交響曲 第8番         フルトヴェングラー/ベルリンフィル
 ・ブルックナー:    交響曲 第4番「ロマンティック」ベーム/ウィーンフィル
 ・リムスキーコルサコフ:交響組曲「シェエラザード」   アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団
 ・ベートーベン:    交響曲 第3番「英雄」     フルトヴェングラー/ウィーンフィル
 ・ブラームス:     交響曲全集           カラヤン/ベルリンフィル
 ・ブラームス:     交響曲 第1番         ベーム/ベルリンフィル
 ・ワーグナー:     楽劇「ワルキューレ」      カラヤン/ベルリンフィル
 ・カラヤン・      オペラ間奏曲集         カラヤン/ベルリンフィル
 ・カラヤン・      「運命/未完成」        カラヤン/ベルリンフィル
 ・ベートーベン:    ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」  バックハウス/イッセルシュテット/VPO
 ・ベートーベン:    「悲愴」「月光」「熱情」    バックハウス
 ・ベートーベン:    ヴァイオリンソナタ 第6/7/8番 クレーメル/アルゲリッチ 
 ・ベートーベン:    弦楽四重奏曲 第7番、第8番  スメタナ四重奏団
 ・メン・チャイ:    ヴァイオリン協奏曲       スターン/オーマンディ/フィラデルフィアO
 ・ショパ・リス・チャイ:ピアノ協奏曲 第1番       アルゲリッチ/アバド、リヒテル/カラヤン
 ・ブルックナー:    交響曲 第9番         フルトヴェングラー/ベルリンフィル
 ・チャイコフスキー:  交響曲 第4番         ムラビンスキー/レニングラードフィル 
 ・チャイコフスキー:  「白鳥の湖」「くるみ割り人形」 カラヤン/ウィーンフィル 
 ・マーラー:      交響曲 第9番         カラヤン/ベルリンフィル
 ・マーラー:      交響曲 第2番「復活」     ショルティ/ロンドン交響楽団
 ・マーラー:      交響曲 第1番(巨人)     ワルター/コロンビア交響楽団
 ・ショスタコーヴィチ: 交響曲 第5番         バーンスタイン/ニューヨークフィル 
 ・シベリウス:     交響曲 第4/5/6/7番      チェクナヴォリアン/RPO、カラヤン/BPO
 ・クナパーツブッシュ・ ワーグナーアルバム       クナパーツブッシュ/ウィーンフィル
 ・シューベルト:    交響曲 第7番(ザ・グレイト) フルトヴェングラー/ベルリンフィル
 ・シューベルト:    弦楽四重奏曲「死と乙女」    ブッシュ四重奏団
 ・モーツァルト:    後期交響曲集          ベーム/ベルリンフィル
 ・モーツァルト:    ピアノ協奏曲 第20番、第24番   ハスキル/マルケヴィッチ/ラムルー管弦楽団
 ・貴志康一:      「仏陀」交響曲         小松一彦/サンクトペテルブルク交響楽団
 ・ヴィヴァルディ:   合奏協奏曲集「四季」      アーヨ/イ・ムジチ
 ・ベートーベン:    交響曲 第6番「田園」     マゼール/ベルリンフィル
 ・レスピーギ:     交響詩「ローマの松」      トスカニーニ/NBC交響楽団
 ・ドボルザーク:    交響曲 第9番「新世界より」  ケルテス/ウィーンフィル
 ・R.シュトラウス:   アルプス交響曲         メータ/ロサンゼルスフィル
 ・ワルター・      空前絶後超弩級豪華セット    ワルター/コロンビア交響楽団
 ・その後の       超弩級豪華セット
 ・あとがき
 
2020年4月~7月、新型コロナウィルスの感染拡大で自宅待機が求められ、その時間を有効利用して私のLP/CDコレクションを棚卸しし、50年前のカタログや雑誌を屋根裏から探し出し、ジャケットの写真を撮り、サイトにアップし、姉妹作「クラシックLP/CD収集家の喜び」と並行して私なりの楽曲解説、雑学、思い出を書き下ろした。ジャケット写真の大きさは、30cmLPは大、25cmLPは中、17cmLPおよびCDは小としている。ただし私が推薦盤とした、各項目トップは常に大としている。

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ベートーベン:交響曲全集

カラヤン/ベルリンフィル 1961.12~1962.11 セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★★ (9曲それぞれが独創的)
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ (スポーティ、流麗)
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ (シンプル、挑戦的)
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (布張ボックス+統一デザインの単体)  
ボックス表面
1963年(昭和38年)、ドイツグラモフォンが世界で初めて、ベートーベンの交響曲全9曲をステレオLP8枚組の1ボックスに入れて世界中で発売した。日本ではドイツ直輸入盤で15,000円だった。いくら世の中が高度経済成長の波に乗っていたとは言え、8枚組15,000円のこのボックスを買う愛好家はどの位いたのだろう?当時日本では大卒サラリーマンの平均初任給は19,000円位(ちなみに2012年は201,800円、2019年は210,200円)だった。今の時代(2020年)に換算するとこのボックスは166,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。また同時に各曲を単体でも発売した(ドイツ直輸入盤2,000円)。今の時代に換算すると22,000円位に相当し、単体と言えども、おいそれと買えるものではなかった。左手を前方に掲げた指揮姿の写真を通しで使った。このバラ売り戦略も世界初の試みだった。
第5番「運命」1962.3.9/12セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
第3番「英雄」1962.11.11-15セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
カラヤンの演奏は滑らかな音を徹底的に追求したスマートなもので、スラー内の音がつながっているのは勿論の事、スラーとスラーの狭間の音の切れ目も、極力短くなるように念入りに演奏されている。カラヤンは練習場では常にどんな場合でもしつこく「レガートで」と言い、なめらかに演奏するようオケに要求を出していた(リハーサルの録音が出ている)。
第9の演奏で言えば、第1楽章のコーダ(539小節)で「天啓」主題を念押しする時、演奏上の慣習として大多数の指揮者はアウフタクトの32分音符の前に総休止GP(General Pause)とも思えるようなブレスを入れる(これは楽譜には記されていない)が、カラヤンはこの演奏上の慣習に従う事なく、楽譜通りに流れるように演奏している。一方、第3楽章の開始から11分40秒辺りおよび12分40秒辺り(2か所)の「天の警告」全奏の4分音符(121小節の1拍目・3拍目、131小節の1拍目・3拍目)や8分音符(122小節の1拍目・2拍目、132小節の1拍目・2拍目)にはスタッカートが付いているが、カラヤンはあたかもフェルマータが付いているかのように、朗々と音を延ばしている。彼は「間」を取る事よりも、音楽が途切れないようにする事を重要視しているのだ。
第9の単体発売はおかしな形態だった。ボックスに入っていたのと同じカッティングだったため、第8番の裏面に、第9の第4楽章を入れ、第9の第1~3楽章は別のLPとなった。これは、第9を1枚に入れると、第3楽章の途中で盤を裏面にひっくり返さなくてはいけないと言う事情があったので、それを避けるためだったが、結果、第9は1.5枚となったのである。つまり第9だけをほしい客は2枚のLPを買う必要があった(計4,000円)。
第9番第1~3楽章
1962.10.8-13/11.9セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
第8番と第9番第4楽章
1962.1.23セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
1962.10.8-13/11.9セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
   
しかし、ばらばらの単体を持ち運ぶのは不便との不評を買い、この2枚はセットとしてひとつのボックスに入れられた。しかし、それでも、どうして第9だけ1枚で売らないのかとの要求が高まり、次項で述べるようにイッセルシュテット/ウィーンフィルの第9の発売に対抗するかのように1枚物が出た。
布張り金箔押し文字第8/第9ボックス
第8/第9ボックス
CD時代になって、この全集もボックスセットで出た。1980年代後半にアメリカで出たセットは6枚組、2014年にEUで出た復刻盤は5枚組だった。この5枚組のセットにはPURE AUDIO盤(Blu-ray Discのオーディオ版)が付いていて、全9曲と第九のリハーサル録音が1枚のDiscに収まっている。CDが初めて世に出た時も驚いたけど、Blu-ray時代になってベートーベンの全交響曲が1枚に収まると言う夢のようなレコード盤が現実のものとなった。凄い時代になったものだ。
EUで出された復刻CD
アメリカで出された再発CD
カラヤンはベートーベンの交響曲全集をベルリンフィルと3回録音(①1961@53才-1962@54才、②1975@67才-1977@69才、③1982@74才-1984@76才)完成させている。私は初回の録音が音楽に覇気があっていいと思う。2回目の演奏は解釈に違和感があり(特に第3番「英雄」の解釈は問題だと思う)、3回目の演奏も好きになれない。これらの年を重ねてから入れた豪華な録音よりも私が好きなのは、モノラル録音だけど、カラヤンが若い時代にイギリスのフィルハーモニア管弦楽団を振って入れた交響曲全集(録音1951年11月~1955年5月)だ。彼の特徴である徹底したレガート奏法を追求した流れるように美しい演奏が聴ける。特に交響曲第9番の第3楽章は滑らかで、他の指揮者の演奏が(あるいはカラヤン/ウィーンフィル、カラヤン/ベルリンフィルの演奏ですら)ごつごつした引っ掛かりの多い演奏に聴こえてしまう。まさに麻薬のような演奏だ。
ベートーベン交響曲全集
カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団
1951年11月~1955年5月 スタジオ録音
ベートーベン交響曲全集
カラヤン/ベルリンフィルによる3回目の全集
1982@74才-1984@76才 録音
イッセルシュテットがウィーンフィルと入れた交響曲全集(録音1965-1969)はウィーンフィル初のステレオ録音で、正統的な折り目の正しい演奏が高く評価された。ベームがウィーンフィルと入れた交響曲全集(録音1970年4月~1972年9月)はウィーンフィルの柔らかい響きを生かした立派な演奏だ。
ベートーベン交響曲全集
ベーム/ウィーンフィル
1970年4月~1972年9月 スタジオ録音
ベートーベン交響曲全集
イッセルシュテット/ウィーンフィル
1965-1969 スタジオ録音
ワルターがコロンビア響と残した交響曲全集(録音1958-1959)はワルター芸術の代表的な遺産であり、20世紀前半に活躍した指揮者だが、スピード感があり、古さを感じさせない。21世紀の演奏だと言ってもおかしくないモダンさが、現代でも広く愛されている理由だ。コンヴィチュニーがライプツイッヒ・ゲバントハウス管弦楽団と入れた交響曲全集(録音1959-1961)は、テンポ遅めにどっしりと構えた質実剛健、正統的な演奏で、音楽に揺るぎがひとつもない。第5番(第1楽章の提示部も第4楽章の提示部も譜面の指示通り繰り返している)や第9番は、居住まいを整え、襟を正し、和室であれば正座して聴かなくてはいけないほどの凄みと威厳に満ちている。しかも、この演奏は各パートが響きに埋もれることなくはっきりと録音されており、1959-61年の録音とは思えない優秀録音だ。
ベートーベン交響曲全集
コンヴィチュニー/ライプツイッヒ・ゲバントハウス管弦楽団
1959-61 セッション録音
@Bethanienkirche, Leipzig
ベートーベン交響曲全集
ワルター/コロンビア響
1958年1月/2月、1959年1月/4月 スタジオ録音

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ベートーベン:交響曲 第9番「合唱」

イッセルシュテット/ウィーンフィル 1965.12 セッション録音@ゾフィエンザール

 ・曲のよさ      ★★★★★ (人類の宝) 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (正統派)
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★★ (コレッジョの絵を効果的に使っている)
 ・装丁/コンセプト  ★★★★★ (見開きジャケット・全曲スコア付)
ウィーンフィル初めての第9のステレオ録音。イッセルシュテットはウィーンフィルを振ってベートーベンのピアノ協奏曲全集(第1~5番)を完成(ピアノ:バックハウス)させており、そのオーソドックスなベートーベン解釈には定評があった。そこで英デッカはウィーンフィル初の第9のステレオ録音にイッセルシュテットを起用した。交響曲の演奏でも好評を得られるかは未知数だったせいか、英国では通常盤で発売された。
   
しかし、日本のロンドンレーベル(キングレコード)は豪華見開きジャケット・全曲スコア付と言う破格の装丁で、1966年のクリスマス商戦に合わせて、大々的に売り出した(2,000円)。当時、グラモフォンは不評だったカラヤン/ベルリンフィルの1.5枚の第9を1枚物(ドイツ直輸入盤2,200円)に直して売り出していたので、一騎打ちの様相となったが、正統的な気品のある演奏と、装丁の豪華さと、ルネッサンスの画家コレッジョの描いた天井画から「明るい未来を見ている青年の横顔」をうまく見付け、それを大胆に使ったジャケットデザインが「人類みな兄弟」と言う第9のメッセージにぴったり合致し、大いに売れた。
カラヤンの1枚盤
英デッカ盤
この日本での成功が英デッカに伝わり、おかげでイッセルシュテットの評価は一気に高まり、残りのベートーベンの交響曲もウィーンフィルを振ってステレオ録音する事が決まり、無事1969年6月には全曲録音が終了し、1970年のベートーベン生誕200年記念のウィーンフィルによるステレオ盤交響曲全集発売に間に合った。
   
1990年代に発売された
イッセルシュテット/ウィーンフィルの
ベートーベン交響曲全集CD6枚組再発盤
収集家ナンバー:1692
1970年にロンドンレコードから発売された
イッセルシュテット/ウィーンフィルの
ベートーベン交響曲全集(LP7枚組)
第9は名曲中の名曲なので、レコード会社は第九の初演地ウィーンを代表するオケであるウィーンフィルを録音に起用して来た。古くは名指揮者ワインガルトナーが1935年2月2-5日に電気録音している(ワインガルトナーは1926年3月16-17日、世界で初めて第9をロンドン交響楽団と全曲電気録音した、ただし第4楽章の歌詞は英語。ドイツ語歌詞による全曲電気録音は、1928年、オスカー・フリート指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団)。カラヤンは戦後、グラモフォン専属となるまでの15年位の間に(前半にはエンジェルに、後半にはデッカに)ウィーンフィルを振って数々の名演奏をスタジオ録音した(前半期はまだモノラル録音だった)。エンジェルに入れた録音の中に、名ソプラノのシュワルツコップ、名バリトンのホッターと入れた第9がある(1947年11月‐12月録音)。フルトヴェングラーは1951年1月7日、1951年8月31日、1952年2月3日、1953年5月31日のコンサートでウィ-ンフィルと第9を演奏し、そのライブ録音が残っている。
カラヤン/ウィーンフィル
1947.11.3-6/12.10-12/14録音
ワインガルトナー/ウィーンフィル
1935.2.2-5ウィーンフィル第9初録音
 
  
第9の演奏の歴史上、もちろんワインガルトナーが1926年、世界で初めてロンドン交響楽団と電気録音したSP盤には歴史的価値があるが、もう一つの歴史的名盤と言えばフルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団盤(1951年7月29日ライブ録音)を挙げないといけないだろう。これは戦後6年目にしてようやく再開できたバイロイト音楽祭のオープニング第9コンサートにフルトヴェングラーが登場した時の記録ではあるが、単なる記録ではなく、名演奏としてもはや神格化されている。聴衆も、楽員も総立ちで彼を迎え、音楽祭の再開を喜ぶ会場の熱気がよく記録されている。特に舞台袖からフルトヴェングラーが登場し指揮台に上るまでの足音が録音されている盤は、フルトヴェングラーファンにはたまらない興奮をもたらす。
CD復刻盤フルトヴェングラー/BFO
1951.7.29ライブ録音足音入り
フルトヴェングラー/BFO
1951.7.29ライブ録音@バイロイト祝祭劇場
   
しかしこのフルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年7月29日ライブ録音)盤は、ある所で突然ホールトーン(会場の音場)が変わったり、音楽の流れが不自然であったり、演奏が乱れていたりで、本当に一夜のライブ録音そのものなのかと言うような多くの疑問が投げかけられて来た。2007年、日本のフルトヴェングラーセンターがバイエルン放送(Bavarian Radio)に「放送禁止」と書かれた箱に残されていた1951年7月29日のコンサートの録音をCD化して会員に出し、直ぐにドイツのORFEOレーベルがノイズなどを除去し商業化した。驚いた事にそれはこれまで神格化されていたエンジェル(EMI)盤とは違った演奏だった。果たしてこれは本当の1951年7月29日のコンサートの録音なのか?本当だとしたら、エンジェル(EMI)盤の演奏は何なのか?謎はますます深まった。

当夜の演奏会は、バイエルン放送がヨーロッパ各国の放送局に生中継してヨーロッパの音楽愛好家に届けていたらしく、2021年、日本のキングインターナショナルがターラ・レーベルの主宰者故ルネ・トレミヌ氏が遺していった『Furtwangler / A Discography by René Trémine』 (ターラ・プロダクション1997年刊)A4版56ページの冊子の中の「バイロイトの第九」 の項の最後の行に…Bavarian Radio, Munich and Swedish Radio(archive LB 14784)…なる記述をを見つけ、スウェーデン放送局にも放送録音が残っているのではないかと考えた。それで長年の付き合いがあるスウェーデンBISレーベルのロベルト・フォン・バール会長に音源探しを依頼した。バール会長はついに、70年間スウェーデン放送局に眠っていた「バイロイトの第九」生中継放送録音テープを発見した。直ちにBISレーベルがそれを83分間の放送全容をノーカット、無調整・無修正でCD化した。

演奏自体はORFEO盤と同じだったが、中継されて送られて来た音量レベルが第1楽章の冒頭では低かったので、スウェーデン放送の担当者が慌ててレベルを上げた形跡があったり、第4楽章のバリトンソロの部分に電話の呼び出し音が入っていたり(もちろん演奏会場にあるはずもないので、中継放送局の調整卓にあったものか?)、中継回線の混信が入っていたりと、中継事故のようなものがあった。けれども何よりもノーカットなので、聴衆の大きな咳払いや、楽章間の休みの長さや、第4楽章のソプラノの調子がイマイチだった事や、演奏が終わった時、聴衆が感動して、直ぐには拍手を起こさなかった事などすべて記録されており、考古学的に価値の高いCDとなった。これにより、長年神格化されて来たエンジェル(EMI)盤はゲネプロ録音をベースにテープ編集されたものであり、フルトヴェングラーが指揮台に向かう足音などは完全にレコード会社の創作であると思われるようになった。
もちろんEMIはEMI盤の音源を世の中に公開する事などするはずもなく、EMIに本番の音源があるのかないのかは闇の中だが、今から思えば、はたして契約上EMIは本番の録音を許されていなかった、あるいは録音許可は取ってあったが録音機材に重大な故障が生じ、実際には録音できていなかった等、信じられない事が起きたのだろう。しかたなくEMIは事前に収録できていたゲネプロ録音をライブ盤と銘打って商品化したと思われる。ゲネプロのライブ録音であり、本番ライブ盤とは言っていないので、法律上・言語上は間違いではないが、ライブ録音と聞けば普通は本番ライブの事と思う人々の信義を55年間もの長きに渡り裏切って来たと言う道義上の問題はある。
フルトヴェングラー/BFO 1951.7.29
バイエルン放送-スウェーデン放送
生中継録音CD
2021年発売、スウェーデンBISレーベル
フルトヴェングラー/BFO 1951.7.29
バイエルン放送によるライブ録音@バイロイト祝祭劇場
2007年発売、ドイツORFEOレーベル
第9の演奏では、いわゆる「天啓」主題が第1楽章の冒頭17小節目でその全容を表す時、「天啓」主題のアウフタクトの32分音符の前に弦楽器群には32分休符、ティンパニには付点16分休符が書いてあり、管楽器群には休符がないが、アウフタクトの32分音符は存在するので、ほとんどの指揮者はアウフタクトの32分音符の前で総休止GP(General Pause)とも思えるようなブレスを入れる。これにより「天啓」主題が際立ち、第9の第1楽章でもっともスリリングな瞬間が演出される。
指揮者を悩ませる問題は、第1楽章のコーダ(539小節)の演奏スタイルだ。「天啓」主題が回帰される重要な局面だが、冒頭17小節目のアウフタクトと違って、刻みを演奏している弦楽器群には32分休符は書いてない。このため、楽譜通りに弾けば、弦楽器群は刻みからアウフタクトの音を際立たせる事なく「天啓」主題になだれ込む演奏になる。

どうしてこのような違った解釈が存在するのか?スコアに書いてあるのが絶対だ。スコアこそ作曲者の意志が反映されているのだと主張するスコア至上主義者もいるだろう。あるいは現代においては印刷・出版されたスコアは、いろんな人の手が加えられたもので、作曲者の意志は完全に反映されてない。自筆譜こそ尊重されるべきだと主張する自筆譜至上主義者もいる。いやいや、作曲者と言えどもミスがあり、自筆譜とて間違いはある。あるいは、作曲当時の楽器の性能の制約上、書きたかった音楽が、捻じ曲げられていると主張するものもいる。ここに演奏者・オケで言えば指揮者の解釈が重要・有用になる。

と、まあ、ここまでは、一般論だが、私はもう一歩踏み込んで考える。演奏家・指揮者が、演奏するにあたって手を入れる、あるいは音楽を聴く聴衆が、それをよしとして歓迎・同意する事は、どうして起きるのか?時代がそれを要求したのか?社会がそれを是認したのか?私は、さらに一歩踏み込んで考える。私が妄想するのは、曲が(音楽が)作曲者の手を離れると、音楽の生命力が強い場合、音楽自体が変化を要求するのではないか?と言う事だ。時代によって、社会情勢によって、音楽も変容するのは必然なのではないか?だから200年も前のベートーベンの音楽が現代でも鳴り響いているのだ。当時30名位のオケで演奏されていた交響曲が、現代では100人のオケにより(2000人の聴衆を集めて)演奏されている。そう、音楽は生きているのだ。

話が脱線したので元に戻そう。音楽の変容の要求にどう答えるかで、指揮者によって演奏スタイルが違って来る。「天啓」主題を今一度念押しすべきだと考える指揮者は、冒頭17小節目と同じく、アウフタクトを際立たせるため、弦楽器群に刻みの演奏を中断させ、「天啓」主題のアウフタクトの32分音符の前に総休止GP(General Pause)とも思えるようなブレスを入れる。一方、総譜通りに弾くべきだと考える指揮者は、弦楽器群の刻みの演奏を中断させる事なく「天啓」主題に流れるようになだれ込む。他方、冒頭同様、ティンパニのアウフタクトの32分音符の前には付点16分休符があり、管楽器群のアウフタクトの32分音符も健在なので、弦楽器群の刻みのリズムを壊さない程度に、アウフタクトを響かせる、言わば折衷案のような演奏(正確に言えばこれこそが楽譜通りの演奏)を指示する指揮者もいる。
イッセルシュテット、フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年7月29日ライブ録音)、フリッチャイ/ベルリンフィル(1957年12月、1958年1月/4月スタジオ録音)、カイルベルト/NHK交響楽団(1965年12月25日ライブ録音)、小澤征爾/ニューフィルハーモニア管弦楽団(1974年2月スタジオ録音)ははっきりとブレスを入れている。一方、ワインガルトナー、クレンペラー、カラヤンは楽譜通りに流れるように演奏している。コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス管弦楽団は折衷案だろう、あたかもブレスが入ったかのように「天啓」主題が印象付けられている。実に鮮やかだ。
フリッチャイ/ベルリンフィル
1957年12月、1958年1月、4月
セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団
1955.7スタジオ録音
  
一方、第3楽章の開始から11分40秒辺りおよび12分40秒辺り(2か所)の「天の警告」全奏の4分音符(121小節の1拍目・3拍目、131小節の1拍目・3拍目)や8分音符(122小節の1拍目・2拍目、132小節の1拍目・2拍目)にはスタッカートが付いているので、短く鳴らすのが譜面通りとなる。イッセルシュテット、フルトヴェングラー、フリッチャイ、カイルベルト、小澤征爾は譜面通りに短めに演奏している。コンヴィチュニーは短くもなく長くもなく中庸だ。一方、ワインガルトナー、クレンペラー、カラヤンはあたかもフェルマータが付いているかのように、朗々と音を延ばしている。特にカラヤンがフィルハーモニア管弦楽団を振って入れた盤は、流れるように滑らかで、まさに天上の音楽と化している。この演奏に慣れると、他の指揮者の演奏が(あるいはカラヤン/ウィーンフィル、カラヤン/ベルリンフィルの演奏ですら)ごつごつした引っ掛かりの多い演奏に聴こえてしまう。まさに麻薬のような演奏だ。
小澤征爾/NPO
1974年2月スタジオ録音
昭和49年(1974年)第12回
日本レコード・アカデミー賞(日本人演奏家部門)
カイルベルト/N響
1965年12月25日ライブ録音@東京文化会館
 

イッセルシュテット/VPO
1965.12VPO第9初ステレオ録音
1990年頃復刻CD
ワインガルトナー/ウィーンフィル
1935.2.2-5ウィーンフィル第9初録音
1994年復刻CD
カラヤン/ベルリンフィル
1962.10.8-13/11.9セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
2013年再発CD
イッセルシュテット/ウィーンフィル
1965.12ウィーンフィル第9初ステレオ録音
@ウィーン・ゾフィエンザール
2008年再発CD
第9を語る時、避けて通れないのが、曲の最後、つまり第4楽章の最後の管弦楽部分(920~940小節、Prestissimo)だ。せっかく第4楽章に声楽・合唱を入れておきながら、どうして最後は管弦楽で曲を閉じるのか?参加した声楽家や合唱団員からすれば、不満の残る終わり方だ。916~919小節のMaestosoで、気持ちをあれだけ高揚させ、声を上げさせておきながら、最後まで歌わせてくれない。一種のハラスメントではないか。ベートーベンであれば、どのようにも最後を締めくくるにふさわしい合唱音楽を書けただろうに。管弦楽によるソナタ組曲である交響曲の集大成作品として最後は管弦楽に花を持たせたかったのか?おなじく合唱が終楽章で活躍するマーラーの交響曲第2番「復活」も最後は管弦楽のみで終わっている。交響曲である以上、最後は管弦楽で、とミューズの神に対する忖度が働いたのか?
ちなみに第9は「合唱」あるいは「合唱付き」と呼ばれる事もあるが、日本では「第九」の方が一般的になってしまった。海外では、「Choral」(コーラル)と「9th Symphony」と両方の呼び方がある。これは交響曲第5番の呼び方が、日本では「運命」と言うのが一般的だが、海外では「5th Symphony」が圧倒的に多くなったのと逆の状態だ。

最後に、日本でベートーベンの第九が広く知れ渡っている事実に付いて言及しない訳には行かない。私はこれは日本人のきちんとした生き方に寄っていると思う。きちんとしたと言うか、潔いと言うか、節目節目を大切にすると言うか。何を言いたいのかって?私は年末における日本人のある行動様式を言っているのだ。12月に入ると日本全国大きな都市では必ず第九演奏会なるものが開かれる。ベートーベンの交響曲第9番のコンサートだ。始まりは戦後の混乱期にオーケストラの団員の収入を確保するために始まったと言われているが、それが定着した。これはカンパ目的ばかりでなく、このベートーベンの音楽が日本人の感性に合致したからであろう。そもそも第九は70分を越える大曲であり、よほどのクラシック好きでもなければ普通は聞かない曲である。それが、日本人は年末になるとみんな大枚をはたいてでも聞きに行く。第4楽章の合唱がいいのだと言う人が多いが、それが始まるまでの50分はどうしているのだろう。ひたすら耐えているのだろうかと心配したが、よくよく聞いてみると、合唱だけがいいものでもないらしい。第1楽章の人生の苦悩を描いたような音楽がいいと言う人もあれば、第2楽章の喧騒な音楽の中で訪れるトリオのひなびた感じがたまらないと言う人や、美しい第3楽章に心を癒されると言う人も多く、何も第4楽章だけが目的ではないようだ。これらの楽章は苦悩、躍動、愛を描いたと言われており、最後に第4楽章で大団円を迎えると言うひとつの物語が、人の一生、あるいはその年1年間の自分自身の生きざまに重ね合わされ、自分自身に頑張ったねとご褒美を与える事が出来るのがいいと言う事なのだ。

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ブルックナー:交響曲 第8番

フルトヴェングラー/ベルリンフィル 1949.3.14-15 ライブ録音@Gemeindehaus

 ・曲のよさ      ★★★★★ (人類の宝)
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (哲学的、情熱的)
 ・録音/臨場感    ★★☆☆☆ (アナログ・モノラル・ライブ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★★ (布張りボックス、1楽章/1面)
昭和40年(1965年)の第20回文化庁芸術祭にエンジェル(東芝音楽工業)が出品したすごいLPボックス。昭和40年(1965年)第3回日本レコードアカデミー賞(交響曲部門)受賞。ブルックナーの交響曲第7番と第8番を4枚のLPに刻んで、布張り金箔押し文字のピンク色のボックス(なぜブルックナーがピンクなのか?今もって不可解)に入れて出した(6,000円)。各交響曲はそれぞれ4楽章の構成だったので、計8楽章を4枚のLPに刻んだと言う事は、LP1面に1楽章と言う事だ。なんと言う贅沢。第7番は63分、第8番は77分の演奏時間だったので、詰め込めばLP2枚半ほどの量だが、楽章ごとに長さが違うので、途中で曲が切れてしまう煩わしさを回避する目的もあって、それならばLP1面に1楽章を入れようと踏み切った。なんと言う思い切りのよさ(後に海外でも同様の装丁で発売されていた事が分かった)。
なぜかピンクの布張り金箔押し文字ボックス
第7番は美しいが訴えるものが薄い曲で、私はあまり好きではない。一方、第8番は人間の一生の葛藤や美しいものへの憧れや死への恐れや諦観と言った深い重い高い精神性が描かれており、私の好きな交響曲の一つだ。また緩徐楽章(第3楽章)の美しさ、内に秘めたる情念の発露表現の力強さ、曲の構成も素晴らしい。私は、ベートーベンの英雄交響曲(第3交響曲)の緩徐楽章(第2楽章)、チャイコフスキーの第5交響曲の緩徐楽章(第2楽章)、ショスタコーヴィチの第5交響曲の緩徐楽章(第3楽章)と合わせて交響曲における4大緩徐楽章であると勝手に称賛している(情念の発露表現で順位を付けると、爆発的なブルックナーが1位、同じく爆発的なチャイコフスキーが2位、少し控えめなベートーベンとショスタコーヴィチが共に3位)。さらに特筆すべきは曲の大団円(第4楽章の終結部コーダ)で「人が死に相対したとき、それまでの人生が回想され、諦観の内に息絶える」様子を描いた音楽が心を揺り動かし涙が出るほど素晴らしい。77分の大曲を締めくくるにふさわしく、ここまでこの曲を聴いて来たすべての人を感動させ、納得させる。このLPはライブ録音(1949年3月15日演奏会、一部14日の放送録音で修正)なので会場ノイズや、録音レベルの低さなど鑑賞するにあたり障害は多いが、フルトヴェングラーの演奏は第8番の深い重い高い内容をまさに音として具現化していて、障害を忘れさせるくらい素晴らしい。(14日の録音は第1楽章の10分7秒に一瞬音切れがある)
 
3/14の放送録音CD盤
2007年再発のCD盤
   
ブルックナーの交響曲第8番は作曲者や弟子が何度となく改訂して来た歴史がある。ブルックナーは1884年に作曲に着手し1887年に完成(第1稿)。早速指揮者レーヴィに総譜を送ったものの、演奏不可能と突き返され、大幅な改訂を行う。1890年に改訂が終了(第2稿)。1892年、弟子のシャルクが少し手を入れ出版(初版もしくは改訂版と呼ばれる)。1939年、ブルックナー研究家ハースが第2稿を基本に、第2稿ではカットされた第1稿の部分を少し戻したりする改訂を行い、第1次ブルックナー全集を出版(原典版もしくはハース版と呼ばれる)。1955年、ブルックナー研究家ノヴァークはハースの改訂はブルックナーの意志を踏みにじるものだと批判し、第2稿を尊重して改訂(基本的にはハースの戻した部分をカット)し、第2次ブルックナー全集を出版(ノヴァーク版)。ノヴァークは1976年、第1稿(1887年版)も整理して出版した。1982年8月、インバル/フランクフルト放送管弦楽団がこれを演奏し世界初録音した。これによりこれまで厚いベールに閉ざされていた第1稿の全容が明らかとなり、第2稿の素晴らしさが余計に際立つ事となった。ブルックナーは第1稿にあまりに素材を詰め込み過ぎた。まるで推敲されてない試作品のような出来だ。第1楽章の終わりでは、いわゆる「死の時計」が時を刻んで静かに曲を閉じると思いきや、突然、第4楽章のコーダのような音楽が強奏され、びっくりする。
第1稿(1887年版)世界初録音
1982.8スタジオ録音
まだノヴァーク版の出ていない1949年録音のフルトヴェングラーの演奏は原典版(ハース版)と銘打っているが、フルトヴェングラーの解釈でハースの戻した部分をカットしており、結果、1955年に出版されたノヴァーク版に近い(フルトヴェングラーはブルックナー協会の総裁でもあったので、ノヴァークとも当然意見交換していたと思う)。フルトヴェングラーにはもう一つ重要な録音がある。戦時下のウィーンでウィーンフィルを振って入れた盤(1944年10月17日放送用録音)だ(第4楽章の9分43秒にトンと言う足踏み音が入っている。ffの場面でもないし、フルトヴェングラーが入れたとは思えないが、そうであってほしいとも思う)。これもハース版を基にした演奏だがフルトヴェングラーの解釈でカットもあり、要はフルトヴェングラー版なのだ。ハース版に忠実なのはクナパーツブッシュがミュンヘンフィルを振って入れた盤(1963年1月録音)で、ワーグナー・ブルックナー指揮者として名を馳せたクナ独特の大きな演奏で、聴きごたえがある。
クナ/ミュンヘンフィル盤
フルトヴェングラー/ウィーンフィル盤
1944.10.17放送用録音
@ムジークフェラインザール
  
 
ジュリーニがウィーンフィルを振って入れた盤(1984年5月スタジオ録音)はノヴァーク版で、驚異的な名演奏となっている。昭和60年(1985年)第23回日本レコードアカデミー賞(交響曲部門)受賞。カラヤンが同じくウィーンフィルを振って入れた盤(1988年11月スタジオ録音)はハース版だ。私はハース版は冗長な部分が多いと思う。特に第3楽章には致命的な部分がある。それは開始16~18分位に始まる1回目の情念の爆発表現の箇所だ。管弦楽が内に秘めた情念を盛り上げて今まさに爆発しようとする瞬間(17~19分前後)、突然音がピアノ(弱音)に落とされ、聴衆は梯子を外され、あっけにとられる、どうしてと思ったら10小節後(30秒後)に再びフォルッテシモ(最強音)に戻るのだ。まさにアップダウンの激しいジェットコースターさながら、まったく理解できない。さすがに19~21分前後の2回目の情念の爆発ではそんな変な小細工はないが、肩透かしの個所はハース版の大欠点だと思う。もちろんノヴァークはこの部分は取り除いている。第4楽章もハースが元に戻した個所が5ヶ所ほどあり、総じてブルックナーへの裏切りだと思う。個人的には無駄なパッセージを切り落としたノヴァーク版の方が断然いい。
カラヤン/ウィーンフィル盤
ジュリーニ/ウィーンフィル盤
ブーレーズがウィーンフィルを振って、ブルックナー没(1896.10.11)後100年にあたり、1996年9月20-22日にリンツ郊外のブルックナーの眠る聖フロリアン修道院でライブ録音した盤はハース版だ。ゆったりとした、落ち着いた、音響豊かな演奏で、これがノヴァーク版であったらどんなにいいだろうと思ってしまう。

92才のスクロヴァチェフスキが2016年1月21日に東京芸術劇場で読売日本交響楽団を振った演奏はノヴァーク版で、熱演だった。私も聴きに行った。ひとつだけ残念だったのは曲が終わるや否や一部の若者が拍手をした事だ。普通は、曲の偉大さによって、すぐには反応できないはずだが、そう言う不届きな若者までは感化できなかったと言うのは、指揮者および演奏者にも力足らずの点があったのかもしれない。しかし、散発した拍手にも指揮者は不動の姿勢を変えなかったし、大多数の聴衆もその拍手に続かなかったので、その不届きな拍手はすぐ止んだ。そう言う意味では、かろうじて指揮者・演奏者・聴衆の心が一つになれたのは、不幸中の幸いだった。

確かに指揮者が腕を振り下ろして最後の「辞世の3音」を鳴らしたので、曲は終わったのだが、この交響曲は曲の偉大さ・深遠さからすぐには拍手をすることは忘れる位だし、事実、この曲は献呈された国王が演奏後の拍手を禁ずると言ったので、長らく無拍手が慣習となっていた歴史もあり、少なくとも数秒は拍手を控えるべきなのだ。NHKが後日この日の演奏会の録画を放映したが、さすがにこの不届きな拍手はカットされていた。

とは言え、曲の偉大さに頼るばかりでなく、この曲を振る指揮者には演奏終了直後の静寂を保つ工夫をしてもらいたいものだ。指揮棒を下ろしてしまうから、聴衆も拍手したがるので、「辞世の3音」を鳴らした後は暫くは指揮棒を完全に下ろしてはならない。聴衆にもよく分かるように中空に留めるか、はっきりと頭上に上げ、天を指し示すのがいいと思う。

「辞世の3音」の演奏スタイルは3通りある。「タタタ」とまるで3連符のようにまとめてしまうのは、フルトヴェングラー、シューリヒト、スクロヴァチェフスキなどの戦前派、「タン、タン、タン」と切って3拍鳴らすのが、カラヤン、マタチッチ、ヴァント、ヨッフム、ジュリーニ、ブーレーズなどの戦後派、「ターン、ターン、ターン」と念入りに鳴らすのはクナパーツブッシュだ。なお、第1稿には「辞世の3音」はない。
スクロヴァチェフスキ/読響
ブーレーズ/ウィーンフィル盤
私は「辞世の3音」を聴くと、ついつい歌謡曲の「夢は夜ひらく」の最後の3音『ひ・ら・く』を思ってしまう。ブルックナーの「辞世の3音」(日本語で歌詞を付けるとしたら、『さ・ら・ば』、もしくは『あ・ば・よ』)は「ミレド」と長調なのに対し、「夢は夜ひらく」の最後の3音は「ドシラ」と短調なので同じではないのだが、ともに諦観を表しており感じが似ている。ブルックナーは少し明るい諦めだが、「夢は夜ひらく」は暗い諦めとなっている。
「夢は夜ひらく」(原曲:「ひとりぽっちの唄」、作詞作曲:曽根幸明)は物悲しいメロディーを持つ名曲で、多くの作詞家によっていろいろな歌詞が付けられ、園まり(1966年9月5日リリース、作詞:富田清吾)を始め、多くの歌手によってカバーされている。そんな中、私が魅了されたのは、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」(1970年4月25日リリース、作詞:石坂まさを)だ。当時、藤圭子は旅回り生活・赤貧・薄幸の歌手と言う触れ込みで18才でデビューし、この歌は第3弾だった。彼女は美しい顔立ちと華奢な身体つきなのに、歌声はこの演歌(怨歌)に相応しい凄みのある声で、この視覚と聴覚のギャップに日本中の人々が衝撃を受けた。特に、『15、16、17と私の人生暗かった』と言う2番の歌詞が聴く人の心に突き刺さった。シングルレコードはミリオンセラーとなり、藤圭子は1970年「第1回日本歌謡大賞」を受賞し、年末の「第21回NHK紅白歌合戦」に出場を果たした。https://www.youtube.com/watch?v=OtZnjnDJR1Yで歌う姿が見える。
藤圭子
1970.4.25リリース
園まり
1966.9.5リリース
藤圭子
ベストアルバム
話が脱線したので、ブルックナーの交響曲第8番の話題に戻そう。東京のNHKホールで行われた2つの名演奏のライブ録音盤がある。ひとつは1982年9月15日のヨッフム指揮バンベルク交響楽団の熱演、もう一つは1984年3月7日のマタチッチ指揮NHK交響楽団の熱演。両者共にノヴァーク版による素晴らしいブルックナー演奏。面白いのは、実はマタチッチ/N響は1975年11月26日にも第8番を演奏しており、ライブ盤も出ているが、この演奏がとんでもなく下手なのだ。管楽器が音は外すは、落っこちるは、オケのアンサンブルは合わないは、これって本当にプロのオーケストラ?って疑問符が満載の演奏なのだ。従って1984年3月7日の演奏はマタチッチ/N響にとって9年越しの雪辱を果たす演奏会だったのだ。
ヨッフム/バンベルク響盤
マタチッチ/N響 1984年盤
マタチッチ/N響 1975年盤
  
ブルックナーの交響曲第7番には、2つの名演がある。ひとつはカラヤンが1989.7.16に他界する3ヶ月前にウィーンフィルを振って入れたもので、カラヤン最後のスタジオ録音(1989.4.18-23)だ。カラヤン自身は自分の最期を悟っていたかは語られていないが、この演奏は彼の白鳥の歌だったのだ。ウィーンフィルから極上の柔らかい音を引き出し、ゆったりと時が流れ、とにかく美しい。
もう一つは朝比奈隆が大阪フィルと行ったヨーロッパ公演ツアー(全9会場)の最終日、オーストリアのリンツ郊外にあるブルックナーの眠る聖フロリアン教会で行われたライブ録音だ(1975.10.12の16:10-17:30)。朝比奈のゆったりとした演奏が教会の長い長い残響に合っていて美しい。当日第2楽章が終わった時点で、教会の5時の鐘が遠くから鳴り響き、それが鳴り終わるのを待って第3楽章を始めたと、後に朝比奈は著書「楽は堂に満ちて」で書いている。そこではあたかも奇跡のようだったと書かれているが、そんなはずはないだろう。16:10に第1楽章を開始している事実から分かるように、誰かが計画したものと思われる。その演出は当たり、会場には敬虔な気持ちが満ち、聴衆はブルックナーの音楽のすばらしさを体感し、心から感動した。ブルックナー研究者のノヴァークも聴きに来ていて、演奏終了後、朝比奈の控室を訪れ、感動を伝えた。朝比奈は演奏したのがノヴァーク版でなくハース版だった事を詫びたが、彼はこの素晴らしい演奏の前では版の違いなど大した問題ではないと言った。
朝比奈/大阪フィル
1975.10.12 ライブ録音
@聖フロリアン教会
カラヤン最後の録音
1989.4.18-23スタジオ録音
   
ブルックナーの交響曲第8番を語る上で、避けて通れないのが、ベートーベンの交響曲第9番の存在だ。ブルックナーはベートーベンの第9へのリスペクトから意図してそう作曲したのか、はたまた無意識でそうなったのか、詳しい経緯は残されていないが、結果としてこの2曲は兄弟のようになった。まず誰でも気付くのが、第1楽章の第1主題だ。ベートーベンの第9の「天啓」主題、天から神の啓示が暗雲突き破って地上に降り注ぐ音楽が、ブルックナーの第8番第1楽章(いわゆる「ブルックナー開始」)では、深い森の霧の中、地底から地霊が起き上がってくるような開始の仕方をする。主題の導入が同じ構想に基づいているだけでなく、主題そのものも、同じリズムであり、メロディラインが上下鏡に映したように、ベートーベンは下降、ブルックナーは上昇となっている。
曲全体は、ベートーベンの第9同様、第2楽章にスケルツォを置き、第3楽章を長大なアダージョとしている。そして、ブルックナーは声楽や合唱こそ導入しなかったが、第4楽章において、それまでの第1~3楽章を回想する構造で作られており、この2曲はまさに兄弟のようだ。とは言え、ベートーベンは曲の大団円(第4楽章の終結部コーダ)を華々しい管弦楽で曲を締めくくっているが、ブルックナーは「人が死に相対したとき、それまでの人生が回想され、諦観の内に息絶える」様子を描いた音楽(いわゆる「ブルックナーコーダ」)となっており、ベートーベンが「人生の希望」を描いたとすれば、ブルックナーは「人生の諦観」を描いている。この兄弟はそれぞれの存在意義が明確なのだ。  

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ブルックナー:交響曲 第4番「ロマンティック」

べーム/ウィーンフィル 1973年11月 セッション録音@ウィーン・ゾフィエンザール

 ・曲のよさ      ★★★★☆ (コーダは秀逸)
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (20世紀最高の演奏)
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★★ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (LP2枚組見開きジャケット、1楽章/1面)
「レコード芸術」誌1974年(昭和49年)4月号で特選に選ばれた名盤。選者(大木正興氏)によれば「驚異的な名演奏で、われわれの時代が所有しえた最もすばらしいブルックナー表現であり、こういう演奏の存在する時代に立会えたことが誇らしくさえ思われる」との評。昭和49年(1974年)第12回日本レコード・アカデミー賞大賞を受賞。演奏時間は68分で、1枚のLPに収める事も可能であるが、2枚のLPに各楽章を各面に入れた贅沢な仕様(見開きジャケット3,000円)となっている。日本のロンドンレーベル(キングレコード)の特別装丁かと思ったが、英デッカも同様な仕様となっていた。ただし、ジャケットデザインは日本独自で、左手人差し指を立てて唇に当て、オーケストラにppp(最弱音)を要求しているベームの横顔が、ドイツ・オーストリアの深い森の静寂を描いた曲想によく合っている。

ベームは、ブラームスの交響曲第1番、シューベルトの交響曲第7番(ザ・グレイト)の項でも、評しているように、時々、能天気で、曲想から外れた無神経な音でホルンを吹かせる傾向があるが、この「ロマンティック」は、深い森を描いた(田舎風の)曲想なので、多少、能天気なホルンの演奏でも曲想に合った、と言うか、曲想に大いに助けられ、世紀の名演奏と讃えられる結果となった。「結果オーライ、よかったね」とベームには言いたい。
日本で発売された見開きジャケット表表紙
「ロマンティック」と言うタイトルは(欧米では単に交響曲第4番としているメディアも多い)恋愛感情のロマンスではなくて理想郷、幻想的、夢、希望と言う意味合いで、前項で述べた交響曲第8番ほどは哲学的な高み重み深みは描かれていない。むしろ深い森の中で、尊い命を与えられている事を素直に感謝し、生きる喜びに浸る人間の気持ち(心)を描いている。第1楽章などドイツの森を描いたようなハーモニー、悠然と流れるメロディとテンポが素晴らしい。よく聴くと、底流にはベートーベンの交響曲第5番の「運命の動機」のリズムが脈打っていて、ベートーベン教の伝統を引き継いでいるのが分かる。曲の大団円(第4楽章の終結部コーダ)で「天に向かってどこまでも上昇していく祈り」を描いた音楽が心を揺り動かし涙が出るほど素晴らしい。68分の大曲を締めくくるにふさわしく、ここまでこの曲を聴いて来たすべての人を感動させ、納得させる。
第4番 英デッカ盤
第3番「ワーグナー」
  

英デッカのデザインはセカンドバイオリンの首席あたりから指揮台上のベームを仰ぎ見た指揮姿で、これは第3番「ワーグナー」のジャケットと共通になっている。当時、デッカはウィーンフィル使って、6人の指揮者に指揮を分担させてブルックナーの交響曲全9曲を録音する企画を進めており、ベームは第3番(1970年9月録音)、第4番を担当した。ちなみに第3番は第4番のための言わばプロトタイプ(実験作)で、いろんな旋律やオーケストレーションのアイデアが詰め込まれていて、これらが洗練されて第4番が出来上がったのだ言う事が分かる。聴いていて実に楽しい。この2曲は兄弟作なのでジャケットデザインを共通にする意味はそれなりにある。
ブルックナーは推敲を重ねる作曲家として有名で、発表したり、出版したりした直後から改訂を繰り返した。交響曲第8番の度重なる改訂版は特に有名だが、この交響曲第4番「ロマンティック」もご多分に漏れない。ブルックナーは第1稿を1874年に発表したが、これは演奏も出版もされず、ブルックナーは1878-1880年に改訂作業を行った。そして1890年にこの改訂版を出版したが、弟子たちが寄って集って改編してしまった(オイレンブルク版)。その後ハースがオイレンブルク版を元の第2稿に戻す努力をして、ハース版を出版し、さらにノバークが音楽的に整合性を取るための細かい修正を行い出版したのが、今日コンサートで演奏されるノバーク版である。
1982年8月、インバルがフランクフルト放送交響楽団を振って、交響曲第8番の第1稿を世界で初めて録音したのに続き、1982年9月に1874年発表の交響曲第4番「ロマンティック」の第1稿を同じく世界で初めて録音した。この録音で世界中のブルックナーファンは第1稿を耳にする事が出来たのだが、一言で言えば、作曲途上の未完成作品だと言う事だ。多彩なモティーフが次々と出て来て、面白いと言えば面白いが、無駄が多く冗長であり、全く整理されていない。これが出版社に認められなかったのも納得だ。第3楽章は今日のノヴァーク版と似ても似つかぬ完全に別の音楽だ。このCDのジャケットはなかなかの傑作だ。BRUCKNERと言う看板を掲げる工事が描かれている。まさに未整理の第1稿を工事中の看板工事に例えているのだ。実に意味深だ。
第1稿(1874年版)世界初録音
1982.9.16-18スタジオ録音

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リムスキーコルサコフ:「シェエラザード」

アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団 1954年9月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ (独学作曲家の大傑作)
 ・演奏のよさ     ★★★★★ 
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆ 
日本で管弦楽曲の人気第1位の交響組曲「シェエラザード」を音の魔術師アンセルメがパリ音楽院管弦楽団(後のパリ管弦楽団)を振って入れたLP(アンセルメはSP時代からこの「シェエラザード」を得意としていて、すでに2度録音していた。なので、これは3度目のレコーディング)。パリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターのヴァイオリン演奏技術の素晴らしさ、管楽器プレイヤーの演奏技術の高さ、弦楽器プレイヤーのアンサンブルの素晴らしさ、アンセルメの指揮に敏感に反応するオケの能力の高さ、いずれも群を抜いている。
アンセルメは後に手兵のスイスロマンド管弦楽団を振って入れた(1960年11月録音)LP(4度目のレコーディング)があるが、オケの実力が低く、響きもよくなく、面白みに欠ける。ロンドンレーベル(キングレコード)はこのパリ音楽院管弦楽団盤を1964年に始めた廉価盤シリーズ(1,200円)の第1弾に使ったが、その後は出番なくお蔵入りになった。一方スイスロマンド管弦楽団盤は正規盤(2,000円)として重用され、その後何度も再発売された。私はこの扱いは逆だろうと思う。
パリ音楽院管弦楽団盤
シェエラザードは人気曲なので多くの指揮者が録音しているが、昭和42年度(1967年)第22回文化庁芸術祭参加のカラヤン/ベルリンフィル盤(1967年録音)はテンポが揺れていて、ある場面ではせかせかしてると思うと、別の場面ではゆったりしすぎている。管楽器のソロも美女が科(品)を作って男を誘うような演奏で、いかにも聴かせますよと言う演出があざとく、シェエラザードを表すソロヴァイオリンも妖艶な演奏で、王妃シェエラザードの清楚で賢く美しい生き様を表現しなくてはいけないのに、まったく的外れな演奏だ。第4楽章の前半部でソロヴァイオリンが音を重音で弾き、いらだった感じを出す部分があるが、力を入れ過ぎで音が潰れて聴こえるのが惜しまれる。
カラヤン/ベルリンフィル盤
1967.1.26-31セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
スイスロマンド管弦楽団盤
1960.11スタジオ録音
  
しかし、カラヤン盤の演出にも劣らないのが、音の魔術師ストコフスキーがロンドン響を振って1964年9月に入れた録音だ。ここではストコフスキーはテンポを自由に動かし、よりねちっこく、ffはより強く、ゆったりと鳴らして、ダイナミックに演奏している。特に第3楽章ではテンポはのた打ち回り、第4楽章では打楽器がやりたい放題。まあ、あからさま過ぎると言えばその通り。アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団の演奏とそっくりなのはマゼール/ベルリンフィルの演奏(1985年2月録音)で、テンポも適正、ダイナミックスも適正、管も弦も音に清潔感があり、とにかく安心して聴いていられる。
マゼール/ベルリンフィル盤
1985.2スタジオ録音
ストコフスキー/ロンドン響
1964.9スタジオ録音
CD時代になっても、アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団の演奏は冷遇された。アンセルメ/スイスロマンド管弦楽団盤は何度となくCD化されたが、アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団盤はなかなかCD化されなかった。2000年代に入ってから、イギリスのマイナーレーベルで一度出て、2008年にオーストラリアDECCAのELOQUENCEレーベルでようやく正規盤が出た。デジタルリマスタリングされたせいか、音質が素晴らしく、1954年録音とは思えない。
2008年にオーストラリアDECCAから出た
アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団CD復刻盤
2000年代にイギリスのCEDARレーベルから出た
アンセルメ/パリ音楽院管弦楽団CD復刻盤
さて、シェエラザードを聴く人は必ず第2楽章に入ると「おやっ、この旋律はどこかで聞いた事がある」と思う。そう、ロシア民謡の『一週間』と言う歌「日曜日に市場へ出かけ、糸と麻を買って来た」のメロディの一節(「糸と麻を買って来た」の部分)なのだ。この民謡は19世紀に歌われ始めたと言われているので、シェエラザードの作曲時期(1888年初演)とそんなに離れているとも思えないので、どちらが先なのか謎ではあるが、おそらく民謡が先で、後にリムスキーコルサコフが民謡を引用したと思う。と言うのは、リムスキーコルサコフは若い時から独学で音楽を勉強し(青年時代は海軍士官を本職としていた)、ロシア民謡の研究・収集家でもあったので、シェエラザードの作曲に取り掛かった時にはすでに(もちろん)『一週間』を見聞きしていたと思われる。おそらく、リムスキーコルサコフの他の作品にも他のロシア民謡の旋律は取り入れられていると思う。リムスキーコルサコフの作品が有名にならなかったか、ロシア民謡が有名にならなかったかで、日の目を見なかった場合もあるのではないか。
リムスキーコルサコフ(1844.3.18-1908.6.21)はノヴゴロド近隣のティフヴィンで、軍人貴族の家庭に生まれ、幼児期より楽才を顕すが、12歳でサンクトペテルブルクの海軍兵学校に入学し、ロシア海軍の士官候補生として遠洋艦隊に乗り海外遠征も体験した。一方、職務の合間を縫って、独学で音楽の勉強を続けた。1859年にピアノを始め、1861年にバラキレフと出会い、指導を受けつつ本格的に作曲を始め、後に「ロシア5人組(バラキレフ、リュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキーコルサコフ)」となる仲間も得る。1865年には交響曲第1番を発表し大好評を得た。1871年ペテルブルグ音楽院から作曲と管弦楽法の教授に任命され、1873年に海軍を辞し本格的に音楽を勉強し始めたと言う逆順の音楽家人生を送った。指導者としても有能で、グラズノフ、ストラヴィンスキー、リャードフ、アレンスキー、プロコフィエフ、レスピーギなどを輩出している。直接の門下生ではなかったが、シベリウス、ラフマニノフ、ドビュッシー、ラベルからも尊敬を集め、管弦楽法の師と言われた。

クラシックの管弦楽(交響曲・協奏曲を含む)をいろいろ聞いていると、曲のタイトルや、ジャンル分けに「?」が付く事がいくつか出て来る。例えば、ドボルザークの交響曲第8番はボヘミアの郷土色濃い素晴らしい曲だが、出版社がロンドンの出版社であったがために「イギリス」呼ばれる事があり、まったく内容と関係ない。また、マーラーの交響曲 第1番を「巨人」と呼んだり、ショスタコーヴィチの交響曲 第5番を「革命」と呼んだりする事等、今となっては作曲者は取り消していたり、そもそもそう名付けた事もない事があり、このような間違った慣習は即、止めるべきだ。

ジャンル分けで言えば、『シェエラザード』もその疑問符のひとつだ。ソナタ形式の楽章を備えた4楽章の堂々たる交響曲なのに、交響組曲と名乗っている。リムスキーコルサコフ本人がそう名付けたらしく、どうやら、「交響曲は思想を盛り込む器である」、「描写音楽は交響曲ではない」と言った19世紀音楽界の極端な『交響曲至上主義』(思想が語られなければ交響曲ではない)に反抗心があったか、あるいは無益な論争を回避する狙いがあったと思われる。彼は交響曲 第2番「アンタール」も後に交響組曲と分類変更している(その望みは残念ながら今日ではかなえられていない)。

これと反対側にあるのが、R.シュトラウスの『アルプス交響曲』だ。描写的な内容からも、単一楽章である形式からも、明らかに巨大な交響詩なのだが、交響曲として発表され、受け入れられて来た。交響詩を充実して来たR.シュトラウスは7曲の交響詩(ドンファン、マクベス、死と変容、ティル、ツァラトゥストラ、ドンキホーテ、英雄の生涯)を発表した後、次の交響詩を『家庭交響曲』として発表し、『アルプス交響曲』はその次だった。もし、交響詩・標題交響曲に番号を振ったとしたら、『家庭交響曲』は第8番、『アルプス交響曲』は第9番となる。なかなか意味深の番号だ。

ついでながら、ラロの「スペイン交響曲」も、実質はヴァイオリン協奏曲なのだが、交響曲と名乗っているので分類上は交響曲となっている。こうなると「先に言ったもの勝ち」と言う感じで、何でもありの世界となっていて、私としては釈然としない。もっとも、ジャンル分けやタイトルは何も作曲者や出版社の希望だけで決まるものでもない。ベートーベンの作った「ウェリントンの勝利」と言う管弦楽曲があり、明らかに戦争の描写音楽なので、「交響詩」と言うジャンルを創設したリスト以降なら交響詩と位置付けられる曲だが、1813年12月8日の初演時から「戦争交響曲」と呼称され有名になった。つまり、聴衆がその愛称を好み受け入れ支持したと言う事だ。リスト以降であっても、チャイコフスキーが1882年8月20日に初演した戦争の描写音楽に「1812年」と言う管弦楽曲があるが、こちらもも交響詩とは呼ばれていない。大序曲、荘厳序曲、祝典序曲となどと呼ばれている。ジャンル名やタイトル名や愛称はその時代の空気次第なのかもしれない。
ちなみに交響曲・協奏曲を除いた管弦楽曲(編曲を含む)の私の愛聴曲を思いつくままに列挙する。
<交響詩・序曲・組曲>系  
  リムスキーコルサコフ  交響組曲「シェエラザード」
  スメタナ        交響詩「モルダウ」
  リスト         交響詩「前奏曲」
  メンデルスゾーン    序曲「フィンガルの洞窟」  
  ムソルグスキー     組曲「展覧会の絵」、交響詩「禿山の一夜」
  ドビュッシー      牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」、夜想曲 
  ブラームス       悲劇的序曲、大学祝典序曲、ハイドンの主題による変奏曲
  ベートーベン      4大序曲(エグモント、コリオラン、レオノーレ第3番、フィデリオ)
  モーツァルト      アイネ・クライネ・ナハトムジーク
  チャイコフスキー    大序曲「1812年」、幻想序曲「ロミオとジュリエット」、イタリア奇想曲  
  貴志康一        大管弦楽のための「日本組曲」
  ブラームス       ハンガリー舞曲集
  ドボルザーク      スラブ舞曲集
  スッペ         3大序曲(軽騎兵、詩人と農夫、ウィーンの朝昼晩)
  ロッシーニ       5大序曲(ウィリアムテル、セビリャ、泥棒、セミラーミデ、絹のはしご)
  ウェーバー       歌劇「魔弾の射手」序曲
  ワーグナー       楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲  
  ワーグナー       楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲
  レスピーギ       交響詩「ローマの松」  
  ロッシーニ       弦楽ソナタ第1番~第6番
  ガーシュイン      ラプソディ・イン・ブルー
  グローフェ       組曲「大峡谷」  
  R.シュトラウス     3大交響詩(英雄の生涯、ティル、ドンファン)
  モーツァルト      6大序曲(魔笛、フィガロ、ドン、コジ、劇場支配人、後宮からの逃走)
  ラベル         ボレロ、ダフニスとクロエ、スペイン狂詩曲、亡き王女のためのパヴァーヌ
  シャブリエ       狂詩曲「スペイン」
  リムスキーコルサコフ  スペイン奇想曲
  ケテルビー       ペルシャの市場にて、修道院の庭にて
  外山雄三        管弦楽のためのラプソディ
  バーバー        弦楽のためのアダージョ

<歌劇・バレエ>系
  ビゼー         歌劇「カルメン」組曲
  マスカーニ       歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲 
  ヴォルフフェラーリ   歌劇「聖母の宝石」第2幕、および第3幕 間奏曲
  ワーグナー       楽劇「ワルキューレ」第3幕より『さようなら勇ましいわが子』
  ワーグナー       楽劇「神々の黄昏」序幕より『ラインへの旅』、第3幕より『葬送行進曲』
  ワーグナー       楽劇「トリスタンとイゾルデ」第3幕より『イゾルデの愛の死』 
  グリーグ        音楽劇「ペールギュント」組曲
  チャイコフスキー    バレエ「白鳥の湖」、バレエ「くるみ割り人形」
  ドリーブ        バレエ「コッペリア」組曲
  ストランビンスキー   バレエ「火の鳥」組曲、バレエ「ぺトルーシュカ」、バレエ「春の祭典」
  ファリャ        バレエ「三角帽子」組曲
  
<ワルツ・マーチ>系
  J.シュトラウス      4大ワルツ(美しく青きドナウ、皇帝、ウィーンの森の物語、春の声)J.シュトラウス      5大ポルカ(雷鳴と電光、狩り、鍛冶屋、トリッチトラッチ、ピチカート)
  スーザ         4大マーチ(星条旗よ永遠なれ、士官候補生、雷神、ワシントンポスト)
  ジンマーマン      錨を上げて
  古関裕而        オリンピックマーチ
  エルガー        威風堂々(第1番)
  バグリー        国民の象徴
  瀬戸口藤吉       軍艦マーチ
  アルフォード      ボギー大佐
  J.F.ワーグナー      双頭の鷲の旗の下に
  タイケ         旧友
  J.シュトラウス一世   ラデッキー行進曲
     
<器楽曲・声楽曲>系
  シューベルト      アヴェマリア、セレナード、子守歌
  サンサーンス      白鳥
  ドビュッシー      月の光、美しい夕暮れ 
  アルビノーニ      アダージョ
  バッハ/グノー     アヴェマリア
  パッヘルベル      カノン
  ポンキエルリ      時の踊り
  ブラームス       子守歌、眠りの精  
  イヴァノビッチ     ドナウ河の漣  
  アンダーソン      タイプライター、シンコペクロック、口笛吹きと犬、そりすべり
  ネッケ         クシコスの郵便馬車
  リムスキーコルサコフ  熊蜂は飛ぶ
  ハチャトリアン     剣の舞
  オッフェンバック    天国と地獄
  バッハ         G線上のアリア(管弦楽組曲第3番2)、ブーレ(無伴奏チェロ組曲第3番5)
  モーツァルト      子守歌、トルコ行進曲
  ショパン        夜想曲(第1番変ロ短調、第2番変ホ長調、第20番嬰ハ短調)
  ベートーベン      アダージョ(ピアノソナタ第8番第2楽章)、ロマンス第1番/第2番
  ヴェルディ       聖歌四篇
  モーツァルト      レクイエム
  
  
主要な管弦楽曲を収めた名盤を上げておこう。まずは「Furtwangler Popular Concert」と銘打った貴重盤。モーツァルト:「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、スメタナ:交響詩「モルダウ」、ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、リスト:交響詩「前奏曲」の4曲が巨匠フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルの演奏で楽しめる。ジャケットはモルダウの曲想に合わせた絵を登用しているが、波が打ち寄せる海の絵は、河の物語であるモルダウには合わず、ちょっとおどろおどろしい。
リストの交響詩「前奏曲」では、ショルティがロンドンフィルとパリ管弦楽団を振った盤が、交響詩第1番「前奏曲」の他、交響詩第2番「タッソー、悲劇と勝利」、交響詩第5番「プロメテウス」の計3曲をまとめて聴ける。カラヤンがベルリンフィルと入れたリストの管弦楽曲盤は、交響詩は「前奏曲」だけだが、有名なハンガリー狂詩曲第2番の他、第4番、第5番の計3曲の狂詩曲が聴ける。
リスト:交響詩「前奏曲」、狂詩曲集
カラヤン/ベルリンフィル
1967.4、1961.2、1960.12、1971.9
リスト:交響詩集
ショルティ/ロンドンフィル/パリ管弦楽団
1977.6、1974.6録音
ちなみにリストの交響詩は全部で13曲あり、上記の3曲以外はほとんど演奏されない。交響詩「前奏曲 Les Préludes(レ・プレリュード)」と言うタイトルは「なんじゃこれは」と思う謎めいた題名だが、「人生は死への前奏曲」と言う考えに基づき、リストの人生観を表現したと言われている。じゃあ、何で「人生」と名付けなかったのか?と突っ込みたくなる。実はこの曲はさらに曰くがあって、もともと「4大元素」と言う男性合唱曲の序曲として作られたのだが、リストはこれを改訂して、交響詩にしてしまったタイトル後付け曲なのだ。曲は「平穏」と「闘争」を表す音楽が、人が死に面した時に見ると言われる走馬灯のように2度3度と入れ替わり交互に演奏されるが、面白いのはこの2つの状態を表す音楽の旋律はまったく同じで、テンポと音色と強弱を変えて違いを表現している事だ。この技法は元の「4大元素」序曲で培われたものかもしれない。
メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」はぺータ・マークがロンドン響を振った盤が素晴らしい。スコットランドの海岸と思われる写真を使ったジャケットもいい。スコットランド、インナー・へブリディーズ群島の中の無人島スタファ島の海蝕洞「フィンガルの洞窟」は、柱状節理の大伽藍で、もっと荒々しく、島に城塞などもない。したがって、この写真は、CDに一緒に収録されている「スコットランド交響曲」を表すために使われたと思われる。色合いと言い、構図と言い、とてもいい。
スタファ島の海蝕洞「フィンガルの洞窟」
メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」、
序曲「フィンガルの洞窟」
ぺータ・マーク/ロンドン響
1958スタジオ録音
カラヤンとベルリンフィルは、多くの管弦楽曲を録音しており、その膨大な録音遺産を基にいろんな組み合わせのCDが発売されている。そんな中でも、スメタナ:交響詩「モルダウ」と、マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲の2曲は必ず収められている鉄板管弦楽曲だ。
カラヤンホームミュージックベスト
カラヤン/ベルリンフィル
1961-1987録音
カラヤンポピュラーコンサート
カラヤン/ベルリンフィル
1962-1971録音
1995発売
スメタナの交響詩「モルダウ」は、同じチェコの後輩作曲者ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」とカップリングされる事が大変多い。両作曲者ともチェコへの愛が尋常でないので、よく合っている。ちなみに、スメタナの交響詩「モルダウ」は「高い城」「モルダウ」「シャルカ」「ボヘミアの森と草原から」「タボール」「プラニーク」と言う6曲の交響詩シリーズ『わが祖国』の第2曲である。「わが祖国」はチェコの何がしかの記念日とか、チェコの有名な指揮者が振るコンサートで全6曲が取り上げられる事が多い。
クーベリック/ボストン響
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」
1971.3録音
カラヤン/ベルリンフィル
ドボルザーク:交響曲第9番「新世界より」
スメタナ:交響詩「モルダウ」
1964.3、1967.4録音
そして、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」は、ラベルの巧みな編曲によって管弦楽曲として有名になってしまったが、元々はピアノ曲だ。日本では「シェエラザード」に次ぐ管弦楽曲人気曲と言われている。ムソルグスキーが1873年に他界した友人の画家ハルトマンの遺作展へ行って改めて友人の死を残念に思い、ハルトマンの絵の存在を後世に伝えるために、自分は音楽で助けようとこの曲を書いたと言われている。素晴らしい友情だ。カラヤン/ベルリンフィルの録音は日本グラモフォンのデラックスシリーズ第3弾として発売された。ジャケットにはムソルグスキーが選んだハルトマンの絵のテーマがイラストで所狭しと描かれている。
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
ラベル:ボレロ
カラヤン/ベルリンフィル
1965.11.4/9、1966.3.14/17/19セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
ここまで来たら、ドビュッシーの交響詩「海」を上げない訳にはいかない。19世紀後半、フランスでジャポニスムが沸き起こり、日本の美術がなだれ込んだ。その中に葛飾北斎の浮世絵もあった。そしてドビュッシーは北斎の富嶽三十六景の中の一枚「神奈川沖浪裏」(The Great Wave)に接し、一目で魅了された。海が好きだった彼は1903-1905年に交響詩「海」を作曲し、その総譜を出版するにあたり、表紙に「神奈川沖浪裏」の大波の部分をアレンジして載せた。
ドビュッシー交響詩「海」総譜表紙
ドビュッシー:交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲、夜想曲
ブーレーズ/ニューフィルハーモニア盤
1966年12月19-21日、1968年12月録音

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ベートーベン:交響曲 第3番「英雄」

フルトヴェングラー/ウィーンフィル 1952年11月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ (革命的作品)
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (哲学的、情熱的)
 ・録音/臨場感    ★★☆☆☆ (アナログ・モノラル・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★☆☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆ 
エンジェルレコードが戦後、フルトヴェングラーにウィーンフィルを振らせてスタジオ録音したベートーベンの交響曲は6曲あり(第1、第3、第4、第5、第6、第7)、中でも、この第3番「英雄」は最も優れた演奏。フルトヴェングラーの指揮した「英雄」のLPでは、戦時下1944年12月19日にウィーンフィルを振って入れた放送録音が鬼気迫る激しい演奏となっていて評価が高い(ウラニアレーベル)が、テンポの揺れが大きく、落ち着いた演奏を求めるならば、この1952年11月26-27日のスタジオ録音がいいと思う。特に緩徐楽章(第2楽章)の精神性の高さに深い感銘を受けた。私は、ブルックナーの第8交響曲の緩徐楽章(第3楽章)、チャイコフスキーの第5交響曲の緩徐楽章(第2楽章)、ショスタコーヴィチの第5交響曲の緩徐楽章(第3楽章)と合わせて交響曲における4大緩徐楽章であると勝手に称賛している(情念の発露表現で順位を付けると、爆発的なブルックナーが1位、同じく爆発的なチャイコフスキーが2位、少し控えめなベートーベンとショスタコーヴィチが共に3位)。
エンジェル盤
1952.11.26-27セッション録音
@ムジークフェラインザール1953年発売
半透明の紅いレコード盤はエンジェルレーベルでは珍しくないが、レーベルに指揮者の顔写真を載せるのは他のレーベルも含めて珍しい。カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団のモノラル録音をステレオ音響に変換したエンジェルデラックスシリーズでも半透明の紅いレコード盤と金色のレーベルにカラヤンの横顔を載せていたような記憶がある。

エレクトロ―ラ・ブライトクランク(ワイドサウンド)
技術によって、1952.11.26-27セッション録音の
モノラル音源の「英雄」を音の広がりと深さのある
ステレオ音響に変換した第1号LP盤1965年発売1800円
サインと顔写真の載ったCDレーベル
1952.11.26-27セッション録音
初CD復刻盤
1983年発売3500円
1944年12月19日放送録音
@ムジークフェラインザール
フランス・ターラ1998年復刻CD
1944年12月19日放送録音
@ムジークフェラインザール
1953年発売アメリカ・ウラニア盤
1944年12月19日放送録音
@ムジークフェラインザール
1990年発売エンジェルレーベル復刻CD
フルトヴェングラーの演奏は感情の起伏に合わせてテンポを自由に変化(アゴーギク)させているので、現代的でないと言う人々が戦後増え、フルトヴェングラーの死によってその波は決定的になった。それに上手く乗ったのがカラヤンだ。インテンポでさっそうと演奏するスタイルが現代人にマッチした。もちろんフルトヴェングラーの時代にも、インテンポで演奏する指揮者はいて、その代表がイタリアの指揮者トスカニーニだ。カラヤンはベルリンフィルとのベートーベン交響曲全集の録音にあたって、メンバーにトスカニーニの録音を聞かせ、イメージ統一を図ったと言われている。インテンポでぐいぐいと演奏する指揮者で忘れてならないのは、ソビエト連邦の大指揮者ムラヴィンスキーだ。ムラヴィンスキー/レニングラードフィルはチャイコフスキーとショスタコーヴィチの交響曲演奏のエキスパートだが、ベートーベンの英雄を入れた盤(1968年10月31日ライブ録音)は一糸乱れず鋼のような演奏が素晴らしい。
トスカニーニ/NBC響盤
1953.12.6放送録音
カラヤン/ベルリンフィル盤
1962.11.11-15セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
  
音楽の演奏は生身の人間がやっているので、インテンポと言えども、メトロノームに合わせてロボットが演奏するような訳には行かない。細かく見れば、トスカニーニだって、カラヤンだってテンポは変わっている。そもそもワーグナーやブルックナーやマーラーのような後期ロマン派の総譜・スコアには事細かく速さの指定がされていて、それが精神性の深さ・重さ・高さの表現の重要な要素である事が分かっているので、速さやテンポの指定のない古典派・ロマン派の音楽を演奏する時にも感情の起伏に合わせてテンポを自由に変化(アゴーギク)させようとするのは、演奏家としては当然だ。
ムラヴィンスキー/レニングラード
1968.10.31ライブ録音
カラヤンの1995年再発CD
要は、程度問題なのだ。フルトヴェングラーやクナパーッツブッシュはワーグナー、ブルックナーの演奏を得意として来たので、ベートーベン、ブラームスの音楽の演奏の際にもアゴーギクを大きくするやり方で通したのではないか。一方、トスカニーニやカラヤンやムラヴィンスキーは、古典派・ロマン派の音楽ではアゴーギクを控え目に行った、と言うか、古典派・ロマン派の音楽には控え目の方が音楽表現としてふさわしいと考えたからであろう。ハイドン、モーツアルト、ベートーベンの初期などの古典派の交響曲であれば、コンサートマスターが合図を出して、曲を開始すれば、後はそんなにテンポは変化しないから、指揮者なしでも演奏可能だ。事実、ベートーベンの交響曲を指揮者なしで演奏している総勢32名のコレギウム・アウレウム合奏団のような古楽器オケも存在するし、人気指揮者カルロス・クライバーは現代楽器の大オーケストラであっても、モーツァルト、ベートーベン、ヨハン・シュトラウスなどの作品で指揮をしなくても大丈夫と見極めた個所では、オケに演奏を任せてしまい、自分は指揮台の上で、腕組みして見守る事が少なからずあった。
コレギウム・アウレウム盤
1976.6スタジオ録音

 
戦前はフルトヴェングラーやクナパーッツブッシュのような時代がかったアゴーギクの多い演奏スタイル・流儀が聴衆に受け入れられたが、戦後は、トスカニーニやカラヤンやムラヴィンスキーのようにインテンポでさっそうと演奏するスタイル・流儀の方がその時代の受け手の要望に合ったと言う事だ。指揮者に与えられる「interpretation(解釈)」と言う権利の行使・運用・適用の度合いは時代によって変わると言う事だと思う。「時代が芸術を創る」と言われているが、演奏スタイルもそうなのだと思う。
つくづく指揮者と言う職業はストレスフルな仕事だと思う。自分では音を出さないのに、その結果責任は求められる。そもそもオケのプレイヤーは指揮棒の動きを見て(指揮者の動作の気を感じて)、音を出すので、音楽は常に指揮の指示より遅れて奏でられるはずだ。どの位遅れるかは、求められている音量の大きさ、あるいは音楽に求められている精神性の高さ・深さ・重さ、また楽曲のテンポ(スピード)による。大きな音を出すためにはそれに比例した、腕の動き、息の溜め、身体の準備が必要なので、秒単位の遅れが生ずる。小さな音量であれば、そんなには遅れない。テンポの速い曲であれば、遅れは生じない位だ。何を言いたいかと言うと、指揮者は自分の描きたい音楽(ビジョン)を冷徹に進める人格と、目の前のオケの出す音楽を聴いて臨機応変対応する人格との、二重人格者でなければいけないのだ。この時差は稲妻と雷鳴の関係、あるいは花火と破裂音の関係に例える事も出来よう。光を感じて数秒遅れて音が届くのと同様、指揮に反応した結果、遅れてオケが鳴るのだ。オケの出す音を確認してから、次の音を出させる指示をしていたのでは、音楽がずるずると遅れてしまう。かと言って、オケの出す音を無視していては、アンサンブルが乱れたり、音のバランスが崩れたり、テンポが狂ったりした時に、立て直す事が出来ない。つまり理想を掲げる独裁者と現場を纏める現場監督が一つの肉体に同居しなくてはいけない。精神分裂症を発症しても不思議ではない。
もっとも、いったん演奏を始めたらほとんどの楽員が指揮者など見ていないから、あらゆる指示を視覚に頼るのは疑問だ。もちろん休符で次の出を待っているパートは指揮者を見ている。かと言って、指揮者だって間違いは起こす。となれば、楽員の心得としては、指揮棒を半分位尊重し、残りの半分は自分の耳で自分のパート以外の音をよく聴く事だ。聴衆の耳に達している音は結局は楽員が出しているのだ。指揮棒ではない。では指揮者の仕事とは何か?まず一番が楽員の「心を一つにする」事だ。自分のビジョンを語り、共有してもらう。偉大な指揮者だと、ここでオーラが物を言うかもしれない。彼が指揮台に立つだけで、楽員の精神統一が出来てしまうのだ。

次に大事なのは、「息を一つにする」事だ。同じテンポ感、リズム感、呼吸、身体の動作が統一出来たら、もう、合奏は8割は成功だ。古典派の音楽で、小さなオケなら、ここまで来れば指揮者なしだって演奏できる。この上、何をすればいいのか?もちろん演奏技術の訓練は欠かせない。間違った音を出したり、音が出なかったり、合奏から落ちたりしたら、それは何を伝えるか、どう伝えるか以前の問題だからだ。また、曲の途中で、テンポが変わったり、拍が変わったりする場所では、入念なリハーサルが必要だし、指揮者もいかにして変化を前もって伝えるか、バトンテクニックが求められる。

そうそう、指揮者にとって、最も重要な仕事は、曲のテンポを決め、最初の出だしを揃える事だ。もちろん心が一つになっていて、息が合っていれば、問題なく開始できる。しかし難しい曲など場合によっては1小節前振りしたって構わない。よほど、慣れたオケであれば別だが、それでも1拍の予備拍は安全のためにはしたほうがいい。このように合奏の成功の95%は事前の努力で埋められる。しかし、残りの5%は残る。残ると言うより、残すべきだ。本番で何が起こるか分からないと言う緊張感を常に持つ事が大切だし、音楽の神様が舞台に降りて来る余地も取っておく必要がある。
ベートーベン交響曲第3番「英雄」
フリッチャイ/ベルリンフィル
1958年10月セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
ベートーベン交響曲第5番「運命」
フリッチャイ/ベルリンフィル
1961年9月セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
音楽の哲学者フリッチャイがベルリンフィルを振って入れたEROICAステレオ盤は、演奏は現代的で明快で素晴らしいが、ジャケットデザインがそれに輪をかけて素晴らしい。独特のフォント(字体)の金文字の美しさ、文字の配置のセンス、背後の色(コバルトブルー地)の選択で勝負している。この後、第5番は深緑地、第7番は深紫地、第9番は深紅地と文字の背後の色違いシリーズで世の中に出た。CD時代となってベートーベン交響曲集(第1、第3、第5,第7、第8、第9)が出たが、EROICAのコバルトブルー地だった。
ベートーベン交響曲第9番
フリッチャイ/ベルリンフィル
1957年12月、1958年1月、4月
セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
2017年SACD再発売盤
ベートーベン交響曲集CD4枚組2013発売
フリッチャイ/ベルリンフィル
1953.1、1958.10、1961.9、1960.10、1953.4、1957.12/1958.1/4
セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
1804年、人民派音楽家ベートーベンは人民のために戦う将軍ナポレオンへの共感からナポレオン賛歌としてこの曲を作曲した。しかし完成直後、ナポレオンが自ら皇帝に即位したとの報に『裏切られた』と激怒、総譜の表紙に記したナポレオンへの献呈辞を搔き消し、「ある偉大なる人の思い出に捧ぐ英雄的交響曲」(第3交響曲)として発表した。この曲は冒頭で和音が2回鳴り響き、続いて洋々たる雄大な主題メロディ(主旋律)が続く。この和音は二つの巨星を意味している(と私は思う)。ひとつはナポレオン、もう一つはベートーベン自身だ。

2020年にNHKが放送したベートーベン生誕250年記念プロジェクトの中で指揮者の広上淳一はこの2発の和音はぬるま湯に浸った人類に喝を入れるためにベートーベンが放った往復ビンタだと解説した。この2つの和音の演奏に付いては、合唱指揮者・宇野功芳が新生日本交響楽団を振ったライブ(1990年6月24日)の演奏が、実に意味深だ。宇野の渾身の指揮が力が入り過ぎたせいで、オケが合わせづらかったのか、宇野の思いの丈が、念力がそうさせたのか、宇野の感性が意図的にそうさせたのかは分からないが(もちろん意図的に決まっている)、2つの和音を(弦楽器で多弦に渡って和音を弾く時に低弦から高弦へ弓をアルペッジオぎみに弾く奏法で)「ウンージャ、ウンージャ」と延ばしてテヌートで弾いたのだ。これは速攻の拳パンチではなく、溜めのある平手のビンタだ。続く主部、いいや、第1楽章、いいや、全曲は、フルトヴェングラーをはるかにしのぐ悠然としたテンポ(演奏時間54:43)を土台に、緩急、強弱、響きなど自由奔放に(和音は必ず「ウンージャ」とテヌートで)演奏し、あたかも「英雄交響曲」を古典派ではなくロマン派の交響曲として表現している。しかし、その分だけ音楽が散漫になり、集中・統一感が薄れてしまっている。やはり指揮者の責任は重いと言う事だ。
1990.6.24ライブ録音
2024年2月6日、東京に大雪が降った日の翌朝、戦後日本を飛び出して世界で活躍し「セカイのオザワ」と称されるまで名声を高めた小澤 征爾が亡くなった。88才だった。TVは追悼番組を組み、エネルギッシュな彼の指揮映像を放映した。彼の指揮スタイルは、師匠のバーンスタイン譲りとは言われるが、5分も経てば汗が滴り落ちるのだ。それを見ていて考えさせられたのは、指揮者はなぜあれほど、狭い指揮台の上で運動しなくちゃいけないのかと言う事だった。しかし、考えても見てください、目の前に一人の人間が、自分の考えや、思いを言葉だけでなく、全身で伝えようと、腕を振り、動き、藻がき、奮戦していたら、それを見ている個々の奏者の心にどう言う変化が起きるか。中には、目障りと思うちょっと変わった奏者もいるかもしれないが、ほとんどの奏者は、インスパイアされ、心を揺さぶられ、同調し、自発的に協力しようと思うでしょう。それが結局、オケの総意となり、合奏がうまく行き、演奏が指揮者の目指したものになる。

もう一つ気が付いたのは、巨匠になっても、きちんと拍子を振っている事だ。記譜された拍子記号ではなくて曲想に合わせて、テンポに合わせて、振りを変化させる事など、学生時代から師事した齋藤秀雄の教育が厳格だった事もあるが、基本通りだ。なにより拍子が判りやすいと言うのはオケにとって、とってもありがたい事だ。で、私が気が付いたのは、拍子を厳格に振る目的は、オケのためじゃない、オケのためだけじゃない、もっと言えばオケのためになんかじゃない、と言う事だ。それは指揮者自身のためだ。自分自身が曲から落っこちないためだ。自分自身の現在地を知るためだ。それが結果として、指揮に反映され、安定した演奏を先導する事が出来る。地球上の位置を知る事が出来るGPSのような。はたまた武術の奥義のような。お前は何を血迷ってる、それは奥義でも何でもない、基本中の基本と笑われそうだ。

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ブラームス:交響曲全集

カラヤン/ベルリンフィル 1963.10~1964.9 セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★☆ (1番~3番は私の大好きな曲)
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (流麗)
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★★ (オーソドックス)
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (布張ボックス+統一デザインの単体) 
ボックス表面
1965年、交響曲4曲、ヴァイオリン協奏曲、ドイツレクイエム、ハイドンの主題による変奏曲をステレオLP7枚に入れブラームス全集としてボックス発売された(12,000円)。また各曲を単体でも発売した(各2,000円)。両手を左右に広げた指揮姿の写真を通しで使った。演奏はどれも美しい、テンポといい、音色といい、秀逸だ。特にコントラバスの低音がしっかりと録音されていて、音楽に安定感を与えている。ただし、西洋人特有の「間」をあまり重視しない流れるような美しい演奏が日本人としては物足りない。1975年、交響曲4曲だけをステレオLP4枚組ボックスとして発売された(6,000円)。
第4番単体売りジャケット
1963.10.12-16セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
第1番単体売りジャケット
1963.10.11-12セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
さらにもう一つ気になる点がある。私は日本でプレスされたレコードしか聴いていないが、第1番第4楽章30小節(練習番号B)でアルペンホルンが奏でる有名な旋律の冒頭の音が揺れるのだ(一瞬だが1/4音位下がる)。カラヤン自身および録音チームがそんなミスを見逃す訳がないから、ドイツから日本グラモフォンに送られて来た録音テープが片伸びしたとしか思えない。ドイツでプレスされたレコードを聴いてみたい。
第2番 1963.10.10-11セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
第3番 1964.9.28-30セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
1996CD再発盤
交響曲第1番
1963.10.11-12セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
1996CD再発盤
第4楽章のアルペンホルンの旋律
冒頭の揺れは訂正されていない
2021年2月インターネットのオークションサイトでドイツでプレスされた交響曲第1番のレコードを発見、落札して(2500円)入手した。58年前に世の中に出た独盤が我が家にやって来た。早速プレイヤーに乗せ、第4楽章のアルペンホルンの個所を再生した。・・・何と言う事だ。冒頭の音が揺れるのだ(一瞬だが1/4音位下がる)。日本プレスのLPやCDと同じだったのだ。信じられない。カラヤンはこれでよしとしたのか?当時の関係者が何かこの時の録音セッションに付いて、書き残していないか、教えてもらいたい所だ。ちなみにこの独盤のタイトルのデザインはセンスがない。演奏者の表記が大き過ぎるし、メッシュになっていて色が薄く感じる。そして何よりもSTEREO表示が黄色地だ。やっぱりここは赤地黄色抜きSTEREO表示(赤ステ)じゃないとピリッと締まらないと思う。その点日本グラモフォンの出したLPのタイトルデザインは完璧だ。
交響曲第1番独盤
交響曲第2番・第3番に付いては私はカラヤン/ベルリンフィルのこの1963-1964年録音がテンポと言い、雰囲気と言い、音響と言い、演奏と言い非の打ちようがなく満足している。特にコントラバスの音が生々しく収録されており心地よい。ブラームスの交響曲ではコントラバスのピッチカートが多用されており、低音部が十全に録音されていないと、曲が成り立たない。特に第3番の第3楽章は、後に「さよならをもう一度」(原作サガン『ブラームスはお好き』)と言う映画(1961年)の音楽とし使われたほど甘く切ない音楽で、現代のムード音楽・イージーリスニング音楽の先駆けと言っても過言ではない。

その他、気に入っている録音を上げるとしたら交響曲第2番はベームがベルリンフィルを振って入れたモノラル盤(1956年12月17-19日スタジオ録音)がおおらかな演奏で、能天気な面もあるがジャケット写真も含めて第2番の明るい曲想に合っている。第3番はワルターがウィーンフィルを振って入れたSPモノラル盤 (1936年スタジオ録音) が驚くことにカラヤン/ベルリンフィルの演奏に似ており、テンポやダイナミックスなど全く古さを感じさせない。
交響曲 第3番
ワルター/ウィーンフィル
1936年SPスタジオ録音LP復刻盤
交響曲 第2番
ベーム/ベルリンフィル
1956年12月17-19日スタジオ録音
1973年LP廉価盤での再発売
さらに第3番にはワルターがニューヨークフィルを振って入れたモノラル盤(1953年12月21/23日スタジオ録音)もあり、こちらの演奏はハイテンポでスピード感溢れ、実にさわやかで爽快、まさに快演だ。ワルターが晩年にコロンビア交響楽団を振って入れた第2番(1960年1月11/14/16日スタジオ録音)も中々の好演だ。録音も、テンポも不思議と新鮮なのだ。このCDには「悲劇的序曲」と「大学祝典序曲」がフィルアップされているが、この2曲が信じられない位、心地よい演奏となっている。
交響曲 第2番
悲劇的序曲/大学祝典序曲
ワルター/コロンビア交響楽団
1960年1月11/14/16日スタジオ録音
1997年CD復刻盤
交響曲 第3番
ワルター/ニューヨークフィル
1953年12月21/23日スタジオ録音
1991年CD復刻盤
第4番は私はあまり好きではない。ブラームスが到達した高度な作曲技法が駆使されたもの凄い作品なのだが衣の下から鎧が見え隠れする感じが嫌味でもある。例えば第1楽章は夢の中で響いているような素敵な優しい音楽なのだが、スコアを見るとその綿密さ、濃厚さに圧倒される。ブラームスは、弟子であり良い相談相手でもあったエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクに第1楽章の楽譜を送って意見を求めたが、彼女は返答で作品の深みや統一性を称えつつ、「一般の善良な聴衆の耳よりも、分析的な専門家の『目』に訴えるのではないか」と、技法が複雑すぎることへの懸念を示した。これは他の楽章にも当てはまる。それよりも問題なのは、第2楽章や第4楽章も諦観に満ちた佳曲なのに、第3楽章があまりにも場違いな、うるさい音楽となっている事だ。中身のない空虚な騒音に満ちた第3楽章がこの交響曲を台無しにしてしまっている。2台のピアノによる試演会では、「後半の2楽章を違うものに書き直してはどうか」との提案が出たり、初演では「第3楽章は直ぐゴミ箱に捨てた方がいい」と言う酷評もあった。この楽章では大太鼓、トライアングルなど鳴り物が活躍するが、初演の時、ハンス・フォン・ビューローの助手を務めていたリヒャルト・シュトラウス(21才)がトライアングルを担当したと伝わっている。

私はこのブラームスの交響曲第4番と、シューベルトの交響曲第7(9)番「ザ・グレイト」と、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の3曲を3大「半完成」交響曲と勝手に位置付けている。シューベルトの「ザ・グレイト」では第3・4楽章が、チャイコフスキーの「悲愴」では第3楽章がどうにもうるさくて場違いなのだ。 一応4楽章そろっているので「未完成」とは言いづらいが、曲としては道半ばではないか。だから「半完成」だと言いたい。そんな訳で私はいつもこれらの交響曲を聴く時は第1,2楽章だけにしている。こう言う状況での再生にはLPが最適だ。1,2楽章はA面に収録されていて、3,4楽章はB面だからだ。つまり、A面だけで再生が止まるのだ。CDではこうは行かない。2楽章が終わったら、急いで意図的に再生を止めないといけない。

第4番の演奏では第1楽章のまさに第1音の鳴らし方がこの曲の成否を握っている。弱音(pピアノ)ミ(4分音符)がアウフタクトで奏でられ、次の小節のド(2分音符)へ流れ落ちる音型なのだが、名盤の誉れ高いワルターが晩年にコロンビア交響楽団を振って入れた第4番(1959年2月2/4/6/12/14日スタジオ録音)では最弱音(ppピアニッシモ)となってしまっており、かすかにしか聞こえない。そのせいで、音の長さも短く感じ、まるで8分音符のように聴こえる。いくら夢の中で鳴っているように演奏しようとしたとしても、ブラームスの表現したかった音楽にならなかったとしたら、本末転倒ではないか。コンヴィチュニーがベルリン歌劇場管弦楽団を振って入れた盤(1960.10.28録音)では、譜面通り4分音符を充分鳴らしていて、聴いていて何の不安もない。カラヤンも、ベームも、ラトルも少し音量は控えめだが、長さは保っている。不思議な事にベーム/ウィーンフィルのライブ映像(1978)や、カラヤン/ベルリンフィルのライブ映像2点(1973.1.5、および1988)ではフェルマータが付いているかのように、ゆったりと長く大きく演奏されている。私はこれ位思い入れたっぷりな演奏が好きだ。ここから分かる事は、音だけで勝負するスタジオ録音のレコードは、間違いなく制作陣によって、調整・改変・編集されていると思った方がいいと言う事だ。
交響曲 第4番
コンヴィチュニー/SKB
1960.10.28録音
交響曲 第4番
ワルター/コロンビア響
1959.2.2/4/6/9/12/14スタジオ録音
第4番の演奏で、気になる点はもう一カ所あって、それは第2楽章の冒頭の4小節だ。最初はホルン、次第に木管楽器も加わって主題を奏でるのだが、この弾き方・鳴らし方が問題となる。第2楽章は第1楽章の兄弟のような音楽であり、内省的であり、精神的にも深い楽章なので、この冒頭の管楽器による演奏も、そうであってほしいと思うのだが、なぜか、ワルターも、カラヤンも、ベームも、ラトルも開放的に朗々と鳴らしている、特にカラヤンのライブ映像2点(1973.1.5、および1988)では、鳴らし過ぎで能天気な音楽となっている。この点、コンヴィチュニーの演奏は、抑制的で控えめな演奏となっていて、第2楽章の持つ内に秘めた情熱を予感させる、理想的な演奏だと思う。ただ、残念な事に、このCDでは第1音目の音が一瞬途切れる製造ミスがある。
カラヤンはブラームスの交響曲全集をベルリンフィルと3回(①1963.10@55才-1964.9@56才、②1977@69才-1978@70才、③1986.6@78才-1988.10@80才)完成させている。私は初回の録音が音楽に覇気があっていいと思う。2回目の演奏は少し解釈に違和感があるし、3回目の演奏も好きではない。ワルターがコロンビア響と残した交響曲全集はワルター芸術の代表的な遺産として広く愛されている。先に述べたように、第2番はいい演奏だと思う。
交響曲全集
ワルター/コロンビア響 1959年2月/11月、1960年1月 スタジオ録音スタジオ録音
交響曲全集
カラヤン/ベルリンフィルによる3回目の全集
1986.6-1988.10スタジオ録音
ベームがウィーンフィルと入れた全集(録音1975.5/6@80才)はベームとムーティの指揮によるウィーンフィル日本公演(1975.3.16-4.6)から戻って録音されたが、東京公演で聴かせてくれた熱演とは程遠い、気の抜けた演奏になっている。ベームと言えば、1959年10月(@64才)にベルリンフィルと入れた交響曲第1番が名盤とされているが、この演奏には2点難点がある。ひとつは第4楽章30小節(練習番号B)の有名なアルペンホルンの演奏がとんでもなく大音量で開放的なのだ。私はここは抒情的なホルンの音が欲しい所だと思うのだが、ベームはなんとも場違いな、能天気な音で演奏させている。がっかりだ。もう一つは第4楽章285小節(練習番号N)の1拍目の総休止GP(General Pause)があっさりと処理され、短すぎる(4分休符の長さに達してない)点だ。ウィーンフィルとの全集の第1番はそこそこ改善されてはいるが、充分ではない。まあ、16年も年を取ってからの演奏なので、ベルリンフィル盤で見せた音楽の力、熱量、推進力を期待するのは無理がある。残念だが、人間が年を取り、丸くなる事は避けられない。
ラトルがベルリンフィルと入れた録音(2008.10.29-11.14@53才)はこれまで多くの指揮者が録音して来たものとは一線を画く。とにかくすべてのパートがしっかりと鳴らされ、しかもよく耳に届くのだ。録音再生技術が進んだせいなのか、ラトルがそう演奏するようにオーケストラを引っ張り、録音再生技術もそれに応えうるまでに向上したのか分からないが、これまでの演奏に慣れてしまった耳には、まるで違った音楽に聴こえる。
交響曲全集
ラトル/ベルリンフィル
2008.10.29-2008.11.14録音
交響曲全集
ベーム/ウィーンフィル
1975.5/6録音

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ブラームス:交響曲 第1番

ベーム/ベルリンフィル  1959.10.18-22 セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ (推進力)
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ (正統的、雄渾)
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ (見開きジャケット)  
ベームがベルリンフィルを振って入れた渾身の一枚。音楽の力、熱量、推進力が半端ない。オケもその情熱にがっちりと応えている。第2楽章のコンサートマスターのヴァイオリンソロもまことに美しい。灰色のバックに雄渾な指揮姿のベームの写真を入れた見開きジャケット(デラックスシリーズ2,000円)は、北ドイツの厳しい冬の寒空を連想でき、ブラームスの交響曲第1番の曲想に素晴らしくマッチしている。ただし2ヶ所だけ気に入らない点がある。一つ目はカラヤン/ベルリンフィルの演奏でもホルンの音揺れが問題となった第4楽章30小節(練習番号B)の有名なアルペンホルンの演奏だ。ベーム盤の問題は音揺れではなく、その鳴らし方だ。とんでもなく大音量で開放的なのだ。私はここは抒情的なホルンの音が欲しい所だと思うのだが(そう言う意味ではカラヤン盤は理想的な音だ)、ベームはなんとも場違いな、能天気な音で演奏させている。がっかりだ。もう一つは第4楽章285小節(練習番号N)の1拍目の総休止GP(General Pause)があっさりと処理され(4分休符の長さに達してないのではないかと思う位)、間合いを大切にする日本人には物足りない。日本人ならここで「うん」と唸ってでも、『溜め』を作る所だ。
そもそもブラームスの交響曲第1番は、日本の神社の神楽や日本の伝統芸能の音楽、特に和太鼓・小鼓の音楽の間合い、あるいは歌舞伎の役者が大きく『溜め』を作って見得を切るような間合いと相通ずる「間」が多い音楽だ。第1楽章の冒頭のティンパニの連打で始まる序奏部への入りからして、「うん」と唸って『溜め』を作ってから入らないと入れないし、ティンパニの連打は神楽の大太鼓そのものだ。第4楽章の始まりの弦楽器のピチカートの音楽は、まさに歌舞伎の1場面だ(これらが日本人が交響曲第1番を大好きな理由かもしれない)。
日本で発売されたデラックスシリーズ盤
この「間」を大切にしたのはシャルル・ミュンシュだ。晩年(1968年1月)に国家肝入れで新設されたパリ管弦楽団を振って入れた第1番は日本人が指揮したかと思える位、曲中のすべての「間」が生かされている(なによりも第1楽章冒頭のティンパニの堂々たる響きにまず感動する)。しかし、このティンパニストを始めとして、オケが気負い立ち過ぎていて演奏が荒い箇所が散見される。全体は素晴らしく雄弁なのに惜しい。第1番はなぜかいい演奏・録音に恵まれない曲だ。ブラームス交響曲演奏の第一人者と言われたフルトヴェングラーの残した録音は数種あるが、どれもイマイチだ。カラヤンが死の1年2ヶ月前に東京のサントリーホールで演奏したライブ盤があるが、オケの制御がうまく行ってない。音のバランスもよくないし、オケが暴走気味だ。しかも、第4楽章のコーダでは、しつこいくらいに音を念押ししていて、スポーティな演奏で鳴らしたカラヤンもさすがに年を取ったと感じた。
カラヤン/ベルリンフィル
1988.5.5ライブ録音@サントリーホール
ミュンシュ/パリ管弦楽団
1968.1.8/12スタジオ録音
LP時代からCD時代になって、ベーム盤もCDで再発売された(2006年)。ただ、ジャケットデザインは昔のLP通常盤の平凡なものに戻ってしまった。残念だ。日本では、音楽之友社がグラモフォンとタイアップして、文字だけで勝負したジャケットデザインのCDを発売した。なかなかいい。
2006年再発のCD盤
日本では、2005年に面白いCDがキングレコードから発売された。指揮は千秋真一、演奏はR☆Sオーケストラ、と言っても実際には存在しない指揮者でありオーケストラだ。実はこれらは二ノ宮知子さんの書いた『のだめカンタービレ』と言う漫画に出てくる人物と団体なのだ。おそらくこれは日本の若手の指揮者とオーケストラ(共に名前は不明)を起用して録音(2005年6月)されている。さすが日本人演奏家、テンポ、弱音、強音、間の取り方、溜め、きっちりと演奏している。優等生的演奏。いい演奏・録音に恵まれないブラームスの交響曲第1番としては、今の所、安心して聴いていられる。千秋真一の指揮姿を描いたジャケットデザインはデラックスシリーズ盤のベームの指揮姿を参考にしたのではないかと勝手に想像している。
千秋真一/R☆Sオーケストラ盤
小澤征爾/ボストン響
1977.3-4スタジオ録音
  

小澤征爾もブラームスの第1番は昔からよく取り上げて来ている。青年期にボストン響を振って入れたスタジオ録音盤と、晩年にサイトウキネンオーケストラとニューヨークのカーネギーホールで入れたライブ盤を比較すると、やはり老いは隠せない。全盛期の1989-1991年に小澤征爾はサイトウキネンオーケストラとブラームスの交響曲全曲を録音している。1990年の小澤征爾/サイトウキネンオーケストラのヨーロッパ公演で8月10日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたブラームスの交響曲第1番のライブ映像がPHILIPSからDVDで出ている。これがこのペアの演奏では一番熱気で溢れ返っていて、感動的だ。
小澤征爾/サイトウキネン
2010.12.14ライブ録音
小澤征爾/サイトウキネン
1990.8.10ライブ録音録画
ライブで感動的なブラームスの交響曲第1番の演奏と言えば、宇宿允人の指揮を取り上げない訳には行かない。1995.4.20にフロイデフィル(オリエンタルバイオフィル)を振ったライブCDとその前日のライブVHSが、力演だ。特にVHSには第1楽章の入りでの(数秒間にも及ぶ)入魂の前振りが記録されていて圧倒される。まさにブラームスの魂をオーケストラに、演奏に念じ込もうとした宇宿允人の祈祷とも言える前振り動作なのだ。必見の価値あり。
宇宿允人/オリエンタルバイオフィル
1995.4.19ライブ録音録画
宇宿允人/フロイデフィル
1995.4.20ライブ録音
ちなみにブラームスの交響曲第1番は、当時の名指揮者ハンス・フォン・ビューローが、ベートーベンの第9の後を継ぐ交響曲と言う意味を込めて、「第10交響曲」だと称賛したと言われている。確かに第4楽章の主題がベートーベンの「歓喜の歌」に似ているのでそう言えなくもないが、私は後継者と言うより、雰囲気を受け継いだ、従妹のような関係だと思う。第1楽章の冒頭のティンパニの連打で始まる序奏部は、実はベートーベンの第9の第3楽章の終わりのまったりした空気を引きずっているのだ。ベートーベンはこの空気を断ち切るかのように第4楽章を第1楽章の「天啓」主題を変化させた目覚めの音楽で始めているが、ブラームスは断ち切るのではなく、引き継いで、飲み込もうとしている。
ベートーベンが、第4楽章の冒頭で、それまでの第1~3楽章を否定する事から始め、やがて「人生の希望」を高らかに歌うと言うべートーベンの方程式(「苦悩を貫いて歓喜」)による音楽を作ったのに対し、ブラームスは否定はせずに、内に秘めて、ふつふつと熱を高め、そして喜びを表現する、ロマン派らしい音楽を作ったのだ。師匠(シューマン)の妻(クララ)への思慕を心の内に秘めて、情熱を溜め続けたブラームスの生き様そのものだ。
  

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ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」

カラヤン/ベルリンフィル 1966年8月/9月/12月 スタジオ録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ (流麗)
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★★ (斬新)
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (布張ボックス) 
1960年代ヨーロッパクラシック楽壇の帝王に君臨したカラヤンは、1967年ザルツブルク・イースター音楽祭を始めた(従来のザルツブルク音楽祭はシーズン開幕の8月)。ザルツブルクは自身の故郷であり、そこの祝祭大劇場で自分が主宰者となってシーズンオフの4月に音楽祭を開く、しかもコンサート専門オーケストラであるベルリンフィルをオケピットに入れて、歌劇をやろうと言うのだ。その第1回の上演作品に彼が選んだのがワーグナーの楽劇「ワルキューレ」である。そしてそれに先立って、グラモフォンに録音してLPを売り出したのだ。オケと歌手陣の練習にもなり、録音料も入り、レコード会社が宣伝もしてくれ、まさに一石三鳥だ。頭がいい。
LP5枚組の布張りボックスで売り出された(8,000円)。表のデザインは金色の三重の輪だ。説明書によると、楽劇の中で象徴的な役割を果たすトネリコ(北欧神話の世界樹、ユグドラシル、セイヨウトネリコ)の木を表したものだと言う(当然指輪RINGの意味もあると思う)。バックは黒、金色が映える。劇の最後、主人公のワルキューレの眠る周りを炎で囲い、勇者のみが彼女に近づけると言う設定で幕が降りるので、私はバックは真紅がよかったのにと思った。「ワルキューレ」は序夜と第1~3夜と言う4日間に渡って上演される連続楽劇『ニーベルングの指輪』の2日目の夜(第1夜)の劇なので、これ以降の音楽祭で、1日目の夜(序夜)に上演される「ラインの黄金」、3日目の夜(第2夜)に上演される「ジークフリート」、4日目の夜(第3夜)に上演される「神々の黄昏」と順に上演され、その度に、LPがボックス発売されると思った。それで、私としては金色のトネリコの輪はそのまま通しで使い、バックの色を「ラインの黄金」は水色、「ジークフリート」は緑色、そして「神々の黄昏」でこそ黒色を使うのがいいと思った。
トネリコの木の年輪、あるいは指輪のデザイン
1966.8.25-29/9/12.30録音
しかし実際は、私の読みはほとんど当たらなかった。金の輪のデザインは継承され、背景の色は私の希望通り「ラインの黄金」では水色だったが、残念な事にその上に波の模様が全体を覆い、黒地に金の輪の鮮烈なイメージが失われていた。多分、ライン川のそこに沈んだ指輪を表そうとしたのだろうが、次の「ジークフリート」では、中心から発する黒い放射状の模様が金の輪を覆い、これまた黒地に金の輪の鮮烈なイメージが失われていた。最後の「神々の黄昏」では、赤と黒の炎状の模様が金の輪を覆い、これまた黒地に金の輪の鮮烈なイメージが失われていた。CD時代になって4部作を一つにまとめたセットが出た。「ワルキューレ」の金と黒を逆にした、金地に黒いトネリコの輪(輪も左右逆)となった。うーん、イマイチだ。
ニーベルングの指輪全4部作CD復刻盤
ラインの黄金
1967.12.6-28録音
  

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カラヤン・オペラ間奏曲集

カラヤン/ベルリンフィル 1967年9月 セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (流麗)
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★★ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (見開きジャケット、デラックスシリーズ)  
小曲の演奏にも全く手を抜かなかったカラヤンが放った大ヒットLP。オペラの幕間に演奏される間奏曲12曲を取り上げ、そのどれもをドラマチックに演奏し、交響曲の1章あるいは交響詩と言っても過言でない雄弁な音楽に昇華させた。ヴォルフフェラーリの「マドンナの宝石」第3幕間奏曲などは、普通は超有名曲である第2幕間奏曲に隠されてしまって、陽の目を見る事はないが、カラヤンは第2幕間奏曲に勝るとも劣らない佳曲である事を見事に証明している。ヴェルディの「椿姫」第3幕への前奏曲は、厳密に言えば間奏曲ではないので、ここに「マドンナの宝石」第2幕間奏曲を持って来る事も可能だったろうに、ヴェルディの第3幕への前奏曲は気分は立派な間奏曲であり、なおかつ、この間奏曲集の幕開けに相応しい前奏曲でもあると考え、「マドンナの宝石」第2幕間奏曲を取り入れないと言う苦渋の選択をしたのだと思われる。

 ① ヴェルディ:    「椿姫」第3幕への前奏曲
 ② マスカーニ:    「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
 ③ プッチーニ:    「修道女アンジェリカ」間奏曲
 ④ レオンカヴァッロ: 「道化師」間奏曲
 ⑤ ムソルグスキー:  「ホヴァンシチナ」第4幕間奏曲
 ⑥ プッチーニ:    「マノン・レスコー」第3幕間奏曲
 ⑦ シュミット:    「ノートル・ダム」間奏曲
 ⑧ マスネ:      「タイス」第2幕第2場間奏曲
 ⑨ ジョルダーノ:   「フェドーラ」第2幕間奏曲
 ⑩ チレア:      「アドリアーナ・ルクヴルール」第2幕間奏曲
 ⑪ ヴォルフフェラーリ:「マドンナの宝石」第3幕間奏曲
 ⑫ マスカーニ:    「友人フリッツ」間奏曲
日本で発売されたデラックスシリーズ盤
1967.9.22-25セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
12曲の中で、クラシック愛好家によく知られていたのは3曲(ヴェルディ、マスカーニ、マスネ)で、残りはよほどのオペラ愛好家でないと聴いた事はなかったと思われ、ドイツ初盤のジャケットデザインもシャンデリアのアップ写真で、平凡なデザインだったせいもあり、このLPは人気がイマイチだった。間奏曲として一番有名なヴォルフフェラーリの「マドンナの宝石」第2幕間奏曲(私の小学校の下校時の音楽だった)が入っていなかったのも敗因の一つ。そこで、売り上げを伸ばすために作戦変更を強いられ、ジャケットデザインを「指揮台上のカラヤンをバイオリン奏者側から撮った横向きの指揮姿」の写真に入れ替えて、再発売する事になった。その結果、この作戦が当たり、このLPは売れに売れた。LPの売り上げにジャケットデザインがいかに重要かを証明する事となった(日本では最初からカラヤンの指揮姿のデラックスシリーズ2,000円で発売された)。
デザインを変更したドイツ盤
最初のジャケットデザイン

  

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カラヤン・「運命/未完成」

カラヤン/ベルリンフィル 1962.3、1964.10 セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ (流麗)
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (見開きジャケット、デラックスシリーズ)  
べートーベンの交響曲第5番「運命」(演奏時間約35分)とシューベルトの交響曲第8番「未完成」(演奏時間約25分)を1枚のLPの表裏に収録した、SP時代には考えられない、LP時代だからこそ出来る最強カップリング商品。両巨匠の代表的な傑作であり、多くの指揮者・管弦楽団がこぞって録音し、売り出して来た。欧米では第5番は次第に「運命」と呼ばれなくなった(単に第5交響曲と呼ばれている)が、日本では「運命」と言う呼称は根強い人気がある。その結果「運命/未完成」と言う鉄板呼称が当たり前となっており、日本ほどこのカップリングのLPが売られている国はない。とにかくヴィヴァルディの「四季」に次いで、安定して多く売れるのだ。
そして、今回取り上げたLPは泣く子も黙るカラヤン/ベルリンフィルと言う最強コンビによる演奏であり、通常盤ジャケットデザインもカラヤンの指揮姿のモノクロ写真でまとめてあり、当初、大いに売れると思われた。しかし、現実はそうでもなかった。一層の売り上げを模索し、日本グラモフォンは通常盤(1,800円)よりも単価の高いデラックスシリーズ(2,000円)を出す事になり、その第1弾として当然ながら、カラヤン/ベルリンフィルの「運命/未完成」を売り出す事になった。そして、ジャケットデザインにカラヤン/ベルリンフィルの1966年の日本ツアー(4月12日~5月3日)での舞台カラー写真(おそらく東京文化会館でのツアー初日のプログラム「コリオラン」「田園」「運命」でのワンショット)を使った。明るいカラー写真が前面に出て、LP商品として華やかさが増し、ツアーコンサートでの生のカラヤン/ベルリンフィルを聴けなかった多くのクラシック愛好家の購買意欲を掻き立てた。その結果このLPは売れに売れた。LPの売り上げにジャケットデザインがいかに重要かを証明する事となった。
日本で発売されたカラヤンのデラックスシリーズ
運命1962.3.9/12セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
未完成1964.10.27セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
ベートーベンの「運命」が表現している世界は実に分かりやすい。ベートーベンの人生そのものかもしれないが、彼のモットーであった「苦闘から勝利へ」あるいは「苦悩を通して歓喜へ」を音楽で描いているのだ。前者が「運命」で、後者が「第九」と言う事も出来る。これに比べると、シューベルトの「未完成」が表現している世界はちょっと分かりにくい。彼の歌曲を見ると「冬の旅」「魔王」「死と乙女」など、若人、青春、人生、悲しみ、死と言った抒情的・観念的世界を歌った詩に曲を付けた傑作が多い。そう言った世界にシューベルトが共感していた事は間違いないと思う。ベートーベンのモットー風に言えば「人の生と死」あるいは「苦悩の末の平和」と言った所か。そう言う観念で、「未完成」を聴くと、実にしっくりする。
シューベルトは若い頃から父親と反りが合わず葛藤の日々だったらしいが、青年期を経て(彼の若すぎる晩年に)父親と和解する事が出来たと言われている。私はシューベルトはこの顛末を交響曲に書き留めたのではないかと思う。すなわち、第1楽章で「葛藤」を、第2楽章で「和解」を描いたのではないか?その後、第3楽章、第4楽章で、何を描こうと考えていたのか今では知る由もないが、「人生の肯定」と、「平和」を描きたかったのかもしれない。しかし、気が付けば第2楽章で充分、「平和の世界」「彼岸の世界」を表し切れていた事に気付き、それ以上の展開が難しいと感じたせいで、第3楽章の9小節まで書いた所で筆を置いたのかもしれない。

ちなみに「未完成」はアマチュアオーケストラの演奏レパートリーとしては断トツで人気がある。美しい旋律が次々と現れて、演奏する側にとっても、聴く側にとっても、心地いいばかりでなく、2楽章と言う短さが演奏する側にとっても、聴く側にとっても、 ちょうどいい長さで、負担が少ない。そして何よりも、オーケストレーションが心憎いのだ。旋律がいろんなパートにバランスよく配分されている。普通、バイオリンやフルートなど高音楽器に主旋律を弾かせる作曲が多いが、シューベルトの「未完成」は違うのだ。すべての楽器に花を持たせるよう旋律を持ち回りで弾かせている。発足したてのオーケストラにとってはまさにバイブルである。
話がズレたので元にもとに戻そう。カラヤンの演奏はとにかく流麗、スポーティ、さっそうとしている。フルトヴェングラーがウィーンフィルと入れた盤(1954年2-3月、1950年1月録音)はじっくりと音楽と向き合って、ベートーベン、シューベルトのモットーあるいは人生観に寄り添っている。共に「運命」第1楽章の提示部は譜面の指示通り繰り返しているが、第4楽章の提示部は繰り返していない。
フルトヴェングラー/ウィーンフィル
カラヤンの通常盤
  
   
ワルター/コロンビア響(運命1958年1月27/30日スタジオ録音)、ニューヨークフィル(未完成1958年3月3日スタジオ録音)は晩年のワルター芸術の貴重な記録であり、特に「未完成」は素晴らしい。「運命」の有名な運命の動機(ダダダダーン)のフェルマータは歴代の指揮者で最長の5秒(同じ音が続いているせいで、音が揺れるのがよく分かる。マスターテープの延びか?)だが、テンポは速めで、推進力にあふれている(第1楽章の提示部も第4楽章の提示部も繰り返さない)。このLPはなぜか「未完成」がA面、「運命」がB面となっている。つまりこのLPは「運命/未完成」盤ではなく、あくまで「未完成/運命」盤であり、主役は「運命」ではなく、「未完成」なのだ。
それが分かれば、ジャケットデザインにドイツのノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥石城)の写真を使った意味も理解できる。この城はバイエルン王国の王ルートヴィヒ2世の命によって1869年9月5日に着工、1886年6月13日に王の死で建設中止となった未完成の城だからだ。また、黄昏時(と信じたい)の写真を用いる事により、莫大な建設費用で国家財政の危機を招き、精神が病んでいると診断され、強制的に幽閉され、謎の死を遂げた王の運命をも暗示させているのかもしれない。実に意味深なジャケットデザインだ。
バーンスタインの運命/未完成
ワルターの未完成/運命
  
バーンスタイン/ニューヨークフィル盤(運命1961年9月/未完成1963年3月スタジオ録音)の演奏は正統派、どっしりと構えた大きな音楽で、安心して聴いていられる(「運命」第1楽章の提示部も第4楽章の提示部も譜面の指示通り繰り返している)。ベートーベンの「運命」の自筆譜写真のジャケットデザインも正統派。老年のワルターはスピーディで、青年のバーンスタインはどっしりと言う、見た目と逆の音楽作りをしている。バーンスタインは年を重ねるごとにますますじっくりと演奏するようになった。
CD時代になって、1枚当たりの収録時間が大幅に伸びたので、カップリングの相手が変わった。「運命」は同じくベートーベンの交響曲第6番「田園」と組み合わされ、「未完成」は同じくシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」と組み合わされた。「運命/未完成」と言う最強のコンビはLP時代の生んだ徒花だったのだ。
バーンスタインの未完成/ザ・グレイト
ワルターの運命/田園
  
ベームの未完成/ザ・グレイト
1966.2セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
1963.6セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
カラヤンの運命/田園
  
1966年、岩城宏之/NHK交響楽団が、日本人指揮者・演奏団体として、大手レコード会社に「運命/未完成」を録音し(1966年3月録音)、初めてLPを出した。西洋音楽は西洋の音楽家が演奏したレコードを買って聴くものと考えていた日本人に、日本人でも充分やれる・聴けるじゃないかとガツンと一発カツを入れてくれた歴史的1枚。
岩城宏之/N響盤見開き表表紙
岩城宏之/N響盤見開き裏表紙
  
1999年、「運命」を世界で初めて録音したSP盤の存在が確認された。このSP盤は、1910年、ドイツのオデオンレーベルに、フリードリッヒ・カークが「大オデオン弦楽オーケストラ」を指揮してアコースティック録音(大きな逆ラッパ型の集音器で音を集め、原盤にダイレクト・カッティング)したもの。やり直しの出来ない一発勝負、まさに吹き込んだのだ。弦楽オーケストラと銘打っているが、管楽器とティンパニも入っており、フルオーケストラだ(「大」と言う冠がそれを意味しているのか?)。カークは第1楽章の提示部は譜面の指示通り繰り返しているが、第4楽章の提示部は繰り返していない。
このオデオン盤が発見されるまで「運命」の世界初録音は、1913年、ドイツのグラモフォンレーベルにアルトゥール・ニキシュがベルリンフィルを振ってアコースティック録音したSP盤だと言われていた。ニキッシュは第1楽章の提示部も第4楽章の提示部も繰り返していない。
ニキッシュ/ベルリンフィル
1913年録音
カーク/大オデオンSO
1910年録音
  
歴史的録音と言えばフルトヴェングラーが戦後戦犯容疑が晴れて音楽界に復帰したコンサート(1947年5月25-28日)のライブ録音も外す訳には行かない。がれきの残るベルリンでベルリンフィルを振って(フィルハーモニーホールは爆撃で吹き飛ばされていたので)ティタニア・パラストと言う劇場で行われた。聴衆も、楽員も総立ちで彼を迎え、復帰を喜ぶ会場の熱気がよく記録されている。演奏的には粗さが目立つ上に、フルトヴェングラーが指揮台上で足を踏み鳴らすノイズが激しく、まさに勢いを聴くと言う録音盤だ。
1947.5.27復帰演奏会第3夜ライブ
オケの興奮のせいか出だしがそろってない
1947.5.25復帰演奏会第1夜ライブ

ちなみに交響曲第5番の呼び方は、日本では「運命」と言うのが一般的だが、海外では「5th Symphony」と番号で呼ばれる事がほとんどだ。昔は「運命交響曲」と呼ばれていた時代もあり、その時の表記はドイツ語:”Schicksalssinfonie”、 英語: “Fate Symphony” または “Destiny Symphony”、フランス語 :”Symphonie du Destin”、イタリア語: “Del Destino”、中国語: “命運交響曲”、朝鮮語: “운명(運命)”などとなっている。これは第9は海外では、「Choral」(コーラル)と「9th Symphony」と両方の呼び方があり、日本でも昔は「合唱」あるいは「合唱付き」と呼ばれていたが、年末に第9の演奏会が多く行われるようになってから「第九」と番号で呼ばれる事が多くなった事象を考えると興味深い。「運命」の場合と逆の現象が起きている。
ところでこの「運命交響曲」は日本の演歌と深い関係があるのではないかと思う。ダ・ダ・ダの3音+ダーンの1音の計4音からなる「運命の動機」のリズムは、何も、ベートーベンの専売特許でもなく、モーツァルトも多用しているし、古典派音楽には普通に(多くは3連符として)使われる動機なのだが、ここまで有名になったのは、この動機を「『運命はかく扉を叩く』とベートーベンが説明した」と言う逸話が広まったからである(この逸話は、秘書・弟子のシントラーが創作・捏造したと言うのが今や常識となっている)。しかし、そのおかげで、「運命」、つまり「人の生きる定め」を表現する演歌には、このリズムが使われる事が多くなったのではないか、と言うのが私の妄想なのだ。例えば石川さゆりの歌う「津軽海峡・冬景色」では、冒頭の導入から、ずばり「運命の動機」が使われ、曲全体も、ダ・ダ・ダの3音で作られていると言っても過言ではない。ここまであからさまな登用は珍しいが、都はるみの歌う「北の宿から」では3連符が多用され、別れた男への切ない未練が歌い上げられている。哀しい心情を歌った演歌には「運命の動機」のリズムが隠れている事が多い。演歌の成立時期は定かではない(明治の自由民権運動の際に、政治的な主張や主義・主張を街頭で歌い広めた歌(演説歌)が作られ、これが略されて「演歌」となったとされている)が、大正・昭和初期には歌謡曲の1ジャンルとして認められ始め、戦後の復興期に、テレビ放送で流行歌が人気を博したのに乗じて、演歌も一大ブームとなった。歌謡曲・流行歌・演歌の作曲家と言えども、東京音楽学校を頂点とする多くの音楽学校で西洋音楽を学ぶ際に、ベートーベンの「運命交響曲」を題材に、アナライズさせられただろうから、そこで「運命の動機」のリズムが身に付いた可能性は高いと思う。
1975.12.1発売
阿久悠(作詞)小林亜星(作曲)
第18回日本レコード大賞・大賞
第7回日本歌謡大賞・大賞
第5回FNS歌謡祭・グランプリ、最優秀歌唱賞
1977.1.1発売
阿久悠(作詞)三木たかし(作曲)
第19回日本レコード大賞・歌唱賞
’77FNS歌謡祭・グランプリ、最優秀歌唱賞
2017年(平成29年)2月16日の5大全国紙と中国新聞の朝刊に度肝を抜く、思想と言うか、主張と言うか、お尋ねと言うか、とにかく新聞の1ページを使った一面広告が出た。タイトルは、『昭和21年2月、広島の「未完成」。それは生き残った人々に、共感と勇気を与えました。』と銘打たれており、出したのは、特定非営利活動法人「音楽は平和を運ぶ」である。一面の真ん中にシューベルトの「未完成」の冒頭からの4つのメロディの譜面がドーンと印刷されており、次のようなサブタイトルが付けられていた。「サブタイトルはこの法人が制作したイメージコピーであり、歌詞など譜面に付属するものではありません」との注釈が付いている。

  原曲小節1~8:死の焼け野原
  原曲小節9~12:あちこちにうごめく生き残った人
  原曲小節13~28、31~36:やっと立ち上がる生存者の悲痛な叫び
  原曲小節51~60、73~85:叫びはやがて復興の力となり、次第に強まっていく

一面の下部には、

『広島の復興はクラシック音楽と共にあった
  
演奏会場は、窓のガラスが破れたままの旧制広島高等学校(現広島大学付属中・高等学校)の講堂でした。指揮者は故・竹内尚一氏で、昭和17年まで旧制広島高等師範学校附属中学校(現広島大学付属中・高等学校)の音楽教師でしたが、被爆当時は島根大学におられました。演奏したのは30人ばかり、プロ、アマ問わず手元の楽器をもって集まった方々だったと思います。音程も不正確でした。聴衆には小学校(当時は国民学校)2年生の子供も交じっていました。当時は子供でも立派な労働力でした。竹内尚一氏が広島の生存者たちに、「未完成」がなぜ必要と判断されたのかわかりませんし、シューベルトがどんな光景を想定してこの曲をつくったのかわかりません。ともかくその後の広島では、クラシック音楽を聴く機会が増え、クラシック音楽に含まれている理想主義的心情は、故・濵井信三市長と生き残られた方たちによる広島の復興の精神的支柱となり、理想的な街づくりを実現しました。戦後70年を過ぎたいま、戦争をなくし、平和な世界を目指すために、音楽の持つ理想主義を、改めて次の世代に引き継ぎ、世界に広めていく義務が、広島にあると思います。

この演奏会についてご記憶のある方、実際に演奏された方とその家族、聴衆の皆さんを探しています。』

と、今回、一面広告を出すに至った経緯が書いてある。https://music-peace.jp/media.html#Memorial

原爆投下から半年の広島で、この様な尊い演奏会が開かれ、それが広島の復興の精神的支柱になったと言う事実は胸を打ちます。それもさることながら、私は、シューベルトの音楽から、前述のようなサブタイトルを感じ取ったこの法人の思想家に敬意を表したい。「未完成」はシューベルトの父親との葛藤を描いたのではないかと言う話があるが、その解釈より、数段、音楽のイメージに合致しており、私の腹に落ちた。加えて、核の脅威がなくならない現代社会において、『平和を願う「未完成」第2楽章の音楽』が今ほど求められている時はないと心の底から思う。

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ベートーベン:ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」

バックハウス/イッセルシュテット/ウィーンフィル 1959年6月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ 
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ (見開きジャケット)  
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」はベートーベンが技術の粋を注ぎ込んだピアノコンチェルト。普通、ピアニストに音楽センスを披露させるために楽章の終わり近くに、ピアノだけで自由に弾いてよいカデンツァと言われる空白部分が与えられるが、ベートーベンは自分より素晴らしいカデンツァを作曲できるピアニストはいるはずはないからと、すべてのカデンツァも書いてしまった。完璧な音楽。このせいか、私はこの曲を聴くといつも分厚いステーキのフルコースを食べたような気持になり、もう結構と飽食するのだ(特に第3楽章は旋律の繰り返しが多いので、聴き手も飽きやすい)。その反動で、さっぱりした和食、いやいや、もっと簡素なおにぎりとか、お茶漬けを食べたいと思うのだ。
バックハウス盤
バックハウスのピアノは強靭で安心して聴いていられる。イッセルシュテットの指揮は正統派で、均整がとれていて好ましい。第5番「皇帝」にはカーゾンのピアノ、クナパーツブッシュ指揮ウィーンフィルと言う強力なライバル盤(1957年6月録音38分39秒)がある。雄大な音楽作りで有名な指揮者がバックアップしているので、これまた聞き逃せない演奏となっている。
バックハウスCD復刻盤
第5番「皇帝」/第4番
カーゾン盤
  
   
さっぱりとした和食に相当するのが第3番と第4番のピアノコンチェルトだ。さしずめ、お刺身定食が第3番、お茶漬けが第4番と言った感じかな。第3番はハ短調で書かれており、男性的な音楽だが、第4番は抒情的な美しさに満ちていて女性的だ。私は2曲とも大好きだ。
もちろん「皇帝」も好きなので、3曲セットと言うものを作ってほしいのだが、存在していない(バックハウス/イッセルシュテット/ウィーンフィルは全5曲を録音し、LP3枚組の全集ボックス(6,000円)が出ていて、私も買ったが、第4番が2枚目3枚目に泣き別れで収録されていたり、そもそも私は第1・2番をあまり好きではなかったので、興味を失い手放してしまった。しかしCD時代になって、結局全集をまた買い戻した。私は何をやっているのやら・・
バックハウスのベートーベンPC全集CD復刻盤
第3番(1958年4月録音34分46秒)、第4番(1958年4月録音32分33秒)、第5番(1959年6月録音37分17秒)はどれも35分前後の演奏時間がかかるので、LP時代は各1枚に収録するか、3番4番を1枚に入れて発売されていたが、CD時代になって、1枚に悠々2曲収まるとなると、組み合わせが3通り生まれる事となった。で、結局3種類のCDを買う羽目になった。私は何をやっているのやら・・その中で、私は発見した。第3番ハ短調(作品37)と第5番変ホ長調(作品73)を組み合わせたCDを見ていて気付いたのだ。ハ短調はb(フラット)3つ、変ホ長調も3つ、つまり音楽理論で言う所の平行調の関係なのだ。そして作品番号が37と73と言う前後をひっくり返した数字なのだ。面白いではないか。
バックハウス
第3番/第4番
バックハウス
第5番「皇帝」/第3番
ここで、カナダの鬼才グレン・グールド(1932.9.25-1982.10.4)が残した稀有な録音を紹介しておこう。ヨーロッパ・ソビエト遠征ツアーの帰途、1957年5月24‐26日、ベルリンでカラヤン/ベルリンフィルとベートーベンのピアノ協奏曲第3番を共演した。カラヤンの滑らかなレガートな響きを追求する演奏スタイルと、グールドのノン・レガートな響きと慣例に囚われないテンポで演奏するスタイルとでは、とても共演できないと思われていたのだが、二人はすぐに意気投合して、お互いを尊敬しあい、お互いの演奏スタイルの違いを飲み込み、うまく合わせた。カラヤンはそれだけ大人であり、プロだったと言う事だ。

遅めのテンポでじっくりと演奏するバーンスタインとの共演では、1962年4月6日ニューヨーク、カーネギーホールで、グールドはバーンスタイン・ニューヨークフィルとブラームスのピアノ協奏曲第1番を共演した。バーンスタインがこの共演時に意見の違いがあった事をプレトークで暴露しているが、その中で、「私が、独奏者の全く斬新な、これはどうかと思えるような構想に従わざるを得なかったことは、これまでに一度だけありました。それは、この間グールド氏と共演した時です(爆笑)」と述べているが、それは1961年3月20日のニューヨークフィルとのベートーベンのピアノ協奏曲第4番の共演時の事だ。しかし、この録音を聴く限り、お互いの主張がぶつかり合って、音楽が立ち往生している個所はない。確かにグールドのテンポは、バーンスタインよりさらにゆっくりしたものだったのだろうが、バーンスタインはうまく合わせている。グールドが和音を分散和音で弾く個所もあるが、いかにも自由に即興で弾き合うと言う協奏曲の伝統が息づいているようで好ましい、分析的ではあるが、反面、グールドのリリシズムが際立って美しく聴こえる。グールドを自由に羽ばたかせたバーンスタインはそれだけ大人であり、プロだったと言う事だ。
  
ピアノ協奏曲第4番
グールド/バーンスタイン/ニューヨークフィル
1961年3月20日スタジオ録音
ピアノ協奏曲第3番
グールド/カラヤン/ベルリンフィル
1957.5.26ライブ録音@ベルリン音楽大学コンサートホール
コンサート活動を引退してレコーディング活動に専念していたグールドが、1966年3月1-4日にニューヨーク、マンハッタン・センターで、グールドに勝るとも劣らない個性派巨匠レオポルド・ストコフスキーと、ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を共演して録音した。何よりもグールドとストコフスキーの視線がそっぽを向いているジャケット写真が、鬼才同士のぶつかり合いを表現していて面白いが、もちろんこれはプロデューサーの演出だ。

実際はお互いの個性を尊重し合い、素晴らしい共演となった。「怪物指揮者 レオポルド・ストコフスキーと鬼才ピアニスト グレン・グールドと言ういう2大巨匠のたった一度の協演。まさに一期一会の貴重なレコーディングである。グールドはこの怪物指揮者ストコフスキーとの協演をかねてから熱望していた事でこのレコーディングが実現したそうであるが、全曲を通じてストコフスキーが設定した悠然としたテンポの上にグールドのピアノが時に華麗に美しく、時に深く熱く奏でる威風堂々たる演奏の皇帝だ」とか、「ピアノの音色は、グールドの深奥いところから繰り出される感じで、未だ嘗てない鮮度を伴って、人間味豊かに高鳴っている。ゆったりとしたテンポにも、全く緩まず、多少古めかしさのあるストコフスキー指揮/アメリカ交響楽団の音とも、少しも違和感を生じさせていない」などのリスナーの高評価にもあるように、ストコフスキーが求める「英雄のテンポで」に従って、堂々たる威容を誇り、壮大かつ細部まで明晰な(左手の音型を際立たせる個所もある)、かつリリシズム溢れる「皇帝」像を描き出した、まさに一期一会の貴重なレコーディングだ。

グールドの作る音楽が、奏でる音の響きがとにかく優しいのだ。特にピアノの音が澄んでいて美しい。とても60年前の録音とは思えない。CBSの録音ってこんなに美しかったっけと、驚嘆する。一般的には、ベートーベンの「皇帝」は威圧感があり、聴いていると疲れるのだが、グールドの「皇帝」は疲れない。ストコフスキー/アメリカ交響楽団の演奏もとにかく優しい。第2楽章が抒情的なのはもちろんの事、雄大な第1楽章も、さらに驚く事にはリズミックな第3楽章ですらも抒情的なのだ。「皇帝」の第3楽章は旋律の繰り返しが多いので、自然と演奏が間延びしてだれやすい、当然聴く方も飽きる事が多いが、この演奏はそれを感じさせない。これは驚くべき事だ。まさに「リリック皇帝」だ。こんな「皇帝」は他に類を見ないと思う。

ここから、学んだことは、曲のニックネームの影響が大きいと言う現実だ。「皇帝」もその一つなのではないか?的外れの呼称が多いクラシックの名曲の中にあって、「皇帝」は比較的、曲想に合ったいい呼称だと感じて来たのだが、そうではなかったのだ。そもそも、「皇帝」はベートーベンが付けたタイトルではなく、聴衆が付けたといわれている。確かに第1楽章は雄渾な音楽であるので、さもありなんと思うが、その呼称が、第2、第3楽章にまで影響し、曲本来の魅力を覆い隠してしまっていたのではないか?ベートーベンのピアノ協奏曲第5番はもっと抒情的な音楽だったのだ。私たちは「皇帝」と呼ばない方がいいかもしれない、いや、絶対にそう呼んではいけないと思う。
ベートーベン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
グールド/ストコフスキー/アメリカ響
1966年3月1-4日スタジオ録音@NY マンハッタン・センター

もう一つ、イタリアの名ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(1942.1.5-)の素晴らしい演奏を取り上げて置く。ベーム/ウィーンフィルと入れた第4番(1976年6月録音)はフレッシュで好ましい。当時、若手のホープであった34才のポリーニが、82才の巨匠ベームの前ではにかんでいる一瞬を写したジャケット写真もまた素晴らしい。この2人はその後、第3番(1977年11月録音)、第5番「皇帝」(1978年5月録音)を共演し、ブラームスのピアノ協奏曲第1番をセッション録音(1979年12月19-21日)したりして、ベートーベン及びブラームスのピアノ協奏曲全集完成を目指したが、1981年8月14日ベームの死去により果たせなかった。後年、ポリーニはアバドやティーレマンなどと共演し、ベートーベン、ブラームス、バルトークなどのピアノ協奏曲全曲を精力的にしかも何度も録音している。
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番
ポリーニ/ベーム/ウィーンフィル
1976年6月スタジオ録音
   
ベートーベン:ピアノ協奏曲第4番
第5番「皇帝」
ポリーニ/アバド/ベルリンフィル
1992.12、1993.1ライブ録音
ピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」
ポリーニ/ベーム/ウィーンフィル
CD復刻盤2009.10.21発売
ピアノ協奏曲第3番、第4番
ポリーニ/ベーム/ウィーンフィル
CD復刻盤2007.8.28発売

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ベートーベン:「悲愴」「月光」「熱情」

バックハウス(ピアノ) 1958年10月、1961年1月、1959年10月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆  
ベートーベンは生涯に渡って交響曲(9曲)、弦楽四重奏曲(16曲)、ピアノソナタ(32曲)を作曲し続けたので、彼の音楽性・人間性の成長を私たちは追体験する事が出来る。そのピアノソナタの中でも、第8番ハ短調作品13「悲愴」、第14番嬰ハ短調作品27‐2「月光」、第23番ヘ短調作品57「熱情」は3大ピアノソナタとして人気がある。中でも「熱情」は交響曲第5番ハ短調作品67「運命」と兄弟のような作品で、「苦悩を通して勝利へ」と言うメッセージも共通なら、旋律のモチーフも似通っており、特に有名な「運命はかく扉を叩く」と言われた運命の動機(ダダダダーン)が曲を支配しているのも変わらない。スケールと言い、音の響きと言い、1台のピアノに弾かせるにはもったいない位音楽が充実している。誰か管弦楽に編曲して、交響曲「熱情」として世に送り出してほしいものだ。
バックハウスの悲愴、月光、熱情
1958.10/1961.1/1959.10録音
これに第17番「テンペスト」、第21番「ワルトシュタイン」、第26番「告別」を加えて、6大ピアノソナタと言われる。私としては晩年の傑作、第30番、第31番、第32番を加えて、9大ピアノソナタと勝手に言っている。
バックハウスの第30,31,32番
1961.11/1963.11/1961.11録音
バックハウスの
ワルトシュタイン、テンペスト、告別
1960.1/1963.2/1961.11録音
  
バックハウスはすでにモノラル録音でベートーベンピアノソナタ全集を完成していた(1950年~1954年録音)が、1970年のベートーベン生誕200年記念に合わせてステレオ録音で入れ直していた(1958年~1969年録音)。あと1曲(第29番「ハンマークラヴィーア」)で完成だったが、1969年7月5日心臓麻痺で他界し、ついに完成できなかった。
バックハウスに限らず、名曲中の名曲なので、世界の名だたる名演奏家が名演奏を残している。ケンプもベートーベン生誕200年記念に合わせてステレオ録音を進め(1964年~1969年スタジオ録音)ついに全集を完成した。「熱情」に関しては長らく鉄のカーテンに閉ざされていた伝説のピアニスト、リヒテルが初めて西側諸国に姿を現した時のコンサートの演奏(1961年ライブ録音)が有名だが、直後にビクタースタジオでセッション録音した演奏が、絶頂期のリヒテルを記録した演奏として意味があるのみならず、いまでもベートーベン愛好家から「熱情の決定盤」であると熱烈に支持されている。
リヒテル
1961ライブ録音@カーネギーホール
ケンプ
  
リヒテル
1961セッション録音@ビクタースタジオ
グールドは過去の慣習や伝統に捉われず、かつ作曲者の指示すら見つめ直して再構築している(1969年スタジオ録音)。ギレリスは繊細かつ強靭な演奏を残している(1973年、1980年スタジオ録音)。
ギレリス
1980、1973録音
グールド
1966.4.18-19、1967.5.15、1967.10.18
スタジオ録音
  
オピッツは3か月に渡りNHK教育TVのピアノ講座講師を務めた事もあり、日本では顔なじみのピアニストだ。正統派のベートーベン演奏を聴かせてくれる(1989年スタジオ録音)。ハイドシェックはゆったりと大きく構えて自由奔放に弾いている(1991年宇和島ライブ録音)。
ハイドシェック
1991.5.24ライブ録音
オピッツ
1989年1月スタジオ録音

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ベートーベン:ヴァイオリンソナタ 第6/7/8番

クレーメル(Vn)、アルゲリッチ(Pf) 1993年12月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ 
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (デジタル・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆  
ベートーベンの10曲のヴァイオリンソナタの中で、一番有名なのは何と言っても第5番の「スプリングソナタ」(作品24)で、2番目が第9番の「クロイツェルソナタ」(作品47)だが、私は作品30の3曲(第6~8番)も曲作りがしっかりしていて、音楽が充実していて、それぞれに色合いが違っていて、大好きだ。ヴァイオリンの神様クレーメルとピアノの女王アルゲリッチが共演したこの盤は、演奏が素晴らしいだけでなく、暖かさが伝わってくるステージ写真のジャケットが、非の打ち所がない。全曲録音の第3弾で、後にこの2人は全集を完成した。
1993年12月3-7日 スタジオ録音
ヴァイオリンの巨匠オイストラフとピアノのオボーリンも全曲を録音(1962年)していて、中でも「スプリングソナタ」と「クロイツェルソナタ」を入れた1枚は昔から名盤の誉れが高い。それにしても、この名盤のジャケットデザインは最悪だ。オイストラフとオボーリンがそれぞれ別の方向を見ていて、まるで仲違いをしているかのようで、2人の演奏は実に素晴らしいのだが、ジャケットデザインの影響で冷たい印象を与えてしまっている。ジャケットデザインとしては失敗ではないか。せめて2人を左右入れ替えたデザインにすれば、かなり暖かい印象を与える事ができたと思う。
全曲盤
1962年スタジオ録音
2001年CD復刻盤
「スプリング」と「クロイツェル」
1962年スタジオ録音
全曲CD復刻盤は2001年に出されており、その時期にはCD1枚の収録時間の規格も改訂されていて、82分以上になっていて、時間的には3枚にだって入れる事が出来るのに、この全集は4枚のCDに納めている。きっと作曲した時期の近い作品毎にゆったりと入れられているだろうと思い、その内容を見たら、

 CD1:第1~3番(作品12)<計53分26秒>
 CD2:第4番(作品23)<18分2秒>、第5番(作品24)<24分33秒>、第6番(作品30)<22分1秒>
 CD3:第7番(作品30)<27分47秒>、第8番(作品30)<20分6秒>
 CD4:第9番(作品47)<34分1秒>、第10番(作品96)<27分30秒>

となっているではないか、ビックリだ。なぜ作品30を泣き別れにしたのか。作品30の3曲はまとまっていてこそ意味がある。私はこんな事が許されるのなら、

 CD1:第1~3番(作品12)、第4番(作品23)<計71分28秒>
 CD2:第5番(作品24)、第6、7番(作品30)<計74分21秒>
 CD3:第8番(作品30)第9番(作品47)、第10番(作品96)<計81分37秒>

と3枚にする事もできただろうにと思う・・・
藤田容子(Vn)と雄倉恵子(Pf)
スプリングソナタ、他
1987年スタジオ録音
「スプリング」と「クロイツェル」
1962年スタジオ録音
1995年CD復刻盤
スプリングソナタに限って言えば、私は藤田容子(ヴァイオリン)と雄倉恵子(ピアノ)が入れた「STRADIVARIUS ON GOLD CD」と言うタイトルのCD(純金薄膜のCD)の演奏が気に入っている。ヴァイオリンとピアノが実に息が合っていて、暖かい二重奏となっている上に、音質がいい。響きが柔らかく、ふくよかで、さすがはストラディヴァリウスだと納得する(ストラディヴァリウスだと言われて、いい音に違いないと聴く前からバイアスがかけられ、勝手にそう思い込んでいるだけなのかもしれない。もっとも大半の名演奏家はストラディヴァリウスを使っているので、彼らが入れたCDも素晴らしいはずだ)。この録音で使ったストラディヴァリウスはサンライズと言う愛称の名品で、この録音当時は株式会社龍角散の社長が所有していた。ヴァイオリンの藤田容子は大阪生まれ、辻久子らに師事し、1979年にアメリカ・フィラデルフィアのカーチス音楽院を卒業、1982年にバンベルク響の首席ヴァイオリンに就任した。と、言う事は同年9月のヨッフム/バンベルク響の日本公演は故郷に錦だったのかも・・

もう一つのバイアスは純金薄膜のCDと言う言葉だ。CDにレーザーを照射してデジタルデータであるピット(くぼみ)の凹凸を読み取らせるための反射膜は一般的にはアルミだが、このCDは純金薄膜だ。デジタル記録されたCDの再生原理を考えれば、レーザーの反射膜がアルミであろうが、純金であろうが、音質に違いが出るはずがない。違いが出るとすれば、寿命であろう。アルミは酸化して反射膜が劣化する恐れがあるが、純金ではその恐れは無い・・と、頭では分かっていても、なぜか人間は音質がいいと感じてしまう。純金の魔力・・
ベートーベンのヴァイオリンソナタを話題に上げたなら、モーツァルトのヴァイオリンソナタに触れない訳にはいかない。そしてモーツァルトのヴァイオリン曲の演奏なら、このヴァイオリニストだと言われているアルテュール・グリュミオーと、これまた、モーツァルトのピアノ曲の演奏なら、このピアニストだと言われているクララ・ハスキルの2人が組んで、第25番 K.301、第28番 K.304、第32番 K.376、第34番 K.378の4曲を入れた名盤だ。
1995発売CD復刻盤
Arthur Grumiaux/Clara Haskil
1958.10.16-17スタジオ録音

ベートーベンとモーツァルトのヴァイオリンソナタを話題に上げたなら、ブラームスのヴァイオリンソナタ全3曲(第1番「雨の歌」Op.78、第2番 Op.100、第3番 Op.108)に触れない訳にはいかない。なぜなら、ベートーベン、モーツァルトに劣らず力作なのだ。ここではムターとワイセンベルクの入れた全集と、デュメイとピアスの入れた全集を上げておく。3曲の内では、内に秘めた思いが熱い第1番と第3番が私は好きだ。
Augustin Dumay/Maria Joao Pires
1991.8録音@Munchen, Hochschule Grosser Saal
Anne-Sophie Mutter/Alexis Weissenberg
1982.9.6-9録音@Paris, Salle Wagram

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ベートーベン:弦楽四重奏曲 第7番、第8番

スメタナ四重奏団 1978年5月29-31日、1979年10月8-9日/12-13日 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ 
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (デジタル・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆  
ベートーベンの16曲の弦楽四重奏曲の中の白眉の2曲。第7-9番は長年のスポンサーであるラズモフスキー候に献呈されたので「ラズモフスキーセット」と呼ばれていて、どれも力作だが、私は7番、8番が気に入っている。特に第8番の第1、2楽章、第7番の第3、4楽章が素晴らしく、自分でカセットやMDにこの順番でコピーして1曲の弦楽四重奏曲「第7.5番」として楽しんでいた(ベートーベン先生ごめんなさい)。
スメタナ四重奏団は16曲全曲の録音を完了して全集を出した。CD時代になり、この2曲が一枚のCDに収録されて、再生に便利になった。そのおかげで「第7.5番」の出番もなくなった。
第7番、バリリ四重奏団
2004年再発CD
全集と言えば、ベートーベンの弦楽四重奏曲は名曲揃いなので、多くの四重奏団が録音している。古くはウィーンフィルのコンサートマスターのバリリ四重奏団の名演奏セットがあり、次にズスケ四重奏団、ブダペスト弦楽四重奏団、アマデウス四重奏団、ジュリアード四重奏団の名盤もあり、近年ではアルバンベルク四重奏団、ゲバントハウス四重奏団の名演奏がある。
アルバンベルク四重奏団
ベートーベンSQ全集(CD8枚組)
1978-83録音
ブタペスト弦楽四重奏団
ベートーベンSQ全集CD復刻盤(CD8枚組)
1958-61スタジオ録音
ベートーベンの弦楽四重奏曲を話題に上げたなら、モーツァルトの弦楽四重奏曲に触れない訳にはいかない。なぜなら、ベートーベンに劣らず名作ぞろいなのだ。ここではアマデウス四重奏団、ウィーン弦楽四重奏団、アルバンベルク四重奏団の名盤を上げておきたい。
アマデウス四重奏団
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第14番、
弦楽四重奏曲 第15番
1964.3.12、1966.5.20-23録音
アマデウス四重奏団
ハイドン:弦楽四重奏曲 第77番「皇帝」
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番「狩り」
1963.9.13-15、1963.6.18-19/23録音
ウィーン弦楽四重奏団の入れた盤は、番号が振られたモーツァルトの弦楽四重奏曲では最後となる2曲:第22番(「プロシャ王」第2番)と第23番(「プロシャ王」第3番)が聴ける私のお気に入りの一枚。モーツァルトの弦楽四重奏曲では「ハイドンセット」と呼ばれる6曲(第14~19番)が有名だが、私はこの「プロシャ王セット」3曲(第21~23番)の、しかも後寄りの2曲の方が好きだ。簡素だけど、美しく、何よりも暖かいアットホームな音楽だ。
アルバンベルク四重奏団
モーツァルト後期SQ集(第14-23番)
(CD4枚組)1976-79録音
ウィーン弦楽四重奏団
モーツァルト「プロシャ王」第2番・第3番
ベートーベンとモーツァルトの弦楽四重奏曲を話題に上げたなら、ブラームスの弦楽四重奏曲(第1番 Op.51-1、第2番 Op.51-2、第3番 Op.67)に触れない訳にはいかない。なぜなら、ベートーベン、モーツァルトに劣らず力作なのだ。ブダペスト四重奏団、アルバンベルク四重奏団の全集を上げておきたい。3曲の内では、内に秘めた思いが熱い第1番と第2番が素晴らしい。交響曲第1番と同じ厳しさ、響きを持っていて、おそらく交響曲と並行して作曲が進められたと思われる。とにかく情熱がほとばしる凄さだ。
アルバンベルク四重奏団
ブラームスSQ全集(CD2枚組)
1991.12/11.3、1992.4録音
ブタペスト弦楽四重奏団
ブラームスSQ全集(LP2枚組)
1961スタジオ録音

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メン・チャイ:ヴァイオリン協奏曲

スターン/オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団 1960年 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ 
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (見開きジャケット、メンコン全曲スコア付) 
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調を1枚のLPの表裏に収録したレコードが、「メン・チャイ」盤と呼ばれ、大人気を博し、大いに売れた。これらの他に、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲ニ長調、ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調の2曲を加えて4大ヴァイオリン協奏曲と言われるが、こちらの2曲は40分位の演奏時間だったので、それぞれが1枚のLPで出される事が多かった。
  
私はもちろん4大協奏曲は好きだが、その他にも好きなヴァイオリン協奏曲がある。まずはブルッフの協奏曲第1番ト短調、次にシベリウスの協奏曲ニ短調、それからサンサーンスの協奏曲第3番ロ短調だ。これで7曲になるが、10大協奏曲とするなら、ヴュータンの協奏曲第5番イ短調、モーツアルトの協奏曲第5番イ長調、プロコフィエフの協奏曲第1番ニ長調を加えよう(10曲の内、私が1番好きなのはブルッフ、2番目がシベリウスだ)。
ブラコン・メンコン/クライスラー
ブラームス:1927.11.21/23/35 録音
メンデルスゾーン:1926.12.9/10 録音
ベトコン・ブルコン/クライスラー
ベートーベン:1926.12.14-16 録音
ブルッフ:1924.12.29/30、1925.1.2 録音
ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番とシベリウスのヴァイオリン協奏曲が世界に知れ渡るようになると、「メン・チャイ」盤と言う鉄板レコードにも変化が起きた。ドイツ・オーストリア圏の音楽であるメンデルスゾーンとブルッフの組み合わせと、ロシア・北欧圏の音楽であるチャイコフスキーとシベリウスの組み合わせが流行るようになった。CD時代になって、収録時間が伸びたので、メンデルスゾーンやブルッフは同じドイツ・オーストリア圏のベートーベンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲との組み合わせも出て来るようになったが、チャイコフスキーやシベリウスとの組み合わせは少ない。  
チャイコン・シベコン/オイストラフ1959.12録音
ブルコン・メンコン/ヴェンゲーロフ
1993.9録音
  
   
ヴァイオリンと言う楽器は長い訓練期間が必要だが、それを克服した暁には他では得られぬ喜びがある。だから世界中の若い音楽家がこぞって腕を競っている。昔は、クライスラー、メニューイン、オイストラフ、スターン、ハイフェッツ、グリュミオー、シェリング、ミルシュテインと言った大家の独壇場だったが、その後、パールマン、ムローヴァ、ヴェンゲーロフ、ムター、クレーメル、ミンツ、キョンファ、チャン、マイヤーズ、ユン、レーピン、リン、ツィンマーマン、チェボタリョーワ、ハーン、さらに日本人ヴァイオリニスト:千住真理子、戸田弥生、堀米ゆず子、諏訪内晶子、竹澤恭子、五嶋みどり、庄司紗矢香、神尾真由子、川久保賜紀、五嶋龍など若手が次々と世界のコンクールで優勝してデビューした。とにかく、女性、東洋人が大活躍する時代になったのだ。
ベトコン/ミンツ
1986.9録音
ブラコン/ハーン
2001.6.13-14録音
グラミー賞受賞
  
モツコン/ムター
1978.2録音
サンコン・ヴューコン/グリュミオー
1963.12録音
   
言葉を3文字・4文字に短縮したがる日本では、ヴァイオリン協奏曲の呼び方も面白い。メンデルスゾーンの協奏曲は「メンコン」(肌着素材のようだ)、チャイコフスキーの協奏曲は「チャイコン」、ベートーベンの協奏曲は「ベトコン」(ベトナムの兵士のようだ)、ブラームスの協奏曲は「ブラコン」、ブルッフの協奏曲は「ブルコン」、シベリウスの協奏曲は「シベコン」と言った具合だ。では「ドボコン」とは誰の協奏曲か?ドボルザークの協奏曲なのだが、ヴァイオリン協奏曲ではない。もちろんドボルザークもヴァイオリン協奏曲を残している。でもそれ以上に彼の場合はチェロ協奏曲の方が格段に有名なので、「ドボコン」と言えばドボルザークのチェロ協奏曲の事となっている。私は数あるヴァイオリン協奏曲、あるいはピアノ協奏曲、弦楽器・管楽器の協奏曲などあらゆる協奏曲中で最も感動的な曲はこの「ドボコン」だと思う。
ドボコン/ロストロポーヴィッチ
1968.9.21/23-24セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
昭和44年(1969年)第7回日本
レコードアカデミー賞(協奏曲部門)
プロコン/チャン
2005.9.14-20録音
  

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ショパ・リス・チャイ:ピアノ協奏曲 第1番

アルゲリッチ/アバド/ロンドン交響楽団 1968.2 セッション録音@ロンドン
リヒテル/カラヤン/ウィーン交響楽団 1962.9 セッション録音@ウィーン

 ・曲のよさ      ★★★☆☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ 
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆  
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
リヒテル/カラヤン/ウィーン交響楽団
1962.9セッション録音@ウィーン
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
リスト:ピアノ協奏曲第1番
アルゲリッチ/アバド/ロンドン交響楽団
1968.2.2-12セッション録音
@ロンドン・サムストウタウンホール
ショパン(1810.3.1-1849.10.17)のピアノ協奏曲 第1番(1830初演)、リスト(1811.10.22-1886.7.31)のピアノ協奏曲 第1番(1849初演)、チャイコフスキー(1840.5.7-1893.11.6)のピアノ協奏曲 第1番(1874初演)を私は3大「ピアノ協奏曲 第1番」と位置付けている。この3作品が、『ピアノ協奏曲 第1番』と言うブランドの確立に大いに貢献したと思う。普通、文学にせよ、絵画にせよ、楽曲にせよ、一人の作家が複数の作品を世に発表した場合、初期の作品より、後の方の作品の方が円熟味を増して、よりよいものであろうと期待されるが、芸術作品と言うものはそんな簡単な理屈では説明が付かないものだと言う一例でもある。初々しさとかガラスのような繊細な感受性とか、若い時しか得られないものが作品に乗り移る事があるからだ。もっとも、ショパンにせよ、リストにせよ、第2番との作曲時期はそんなに違っていないし(ショパンに至っては第1番初演が第2番初演より3ヶ月遅いのだが出版社の都合で番号が逆になった)、内容はほとんど変わっていないので、共に名曲となった。

ショパンの協奏曲第1番はあくまでピアノが紡ぎだす旋律の美しさ、抒情性を歌い上げるように作られていて、構成もオーソドックスな3楽章形式で、管弦楽パートもピアノに邪魔をしないように控えめに、あっさりと絵画で言えば水墨画のように、料理で言えば和食のように描かれている。「ショパンコンクールでは審査員は連日ショパンのピアノ協奏曲 第1番、第2番を一日数回、それも数日間も聴かなければいけないのだが、ショパンがあっさりとしたオーケストレーションにしてくれたおかげで、何回でも集中して聴けるのがありがたい」と語っていた審査員がいた。これがベートーベンやチャイコフスキーのようなこってりとした、絵画で言えば油絵のような、料理で言えばステーキコースのような協奏曲では何十回と聴くのはとても耐えられないだろうと言う事だろう。

それに対し、リストの協奏曲第1番はピアノとオーケストラが融合してあたかも交響詩のように響く事を目指している。ソナタ(アレグロ)、緩徐楽章(アダージョ)、スケルツォ、フィナーレ(アレグロ)の4楽章からなっていて、全曲を一つの主題で統一を図った循環形式によるソナタとなっていて、切れ目なく演奏され、交響詩でもあり、ロマン派の交響曲と言った感じである。リストはゲーテの「ファウスト」を愛読しており、弟子のザウァーが第1楽章はファウストを、第2楽章はマルガレーテを、第3楽章・第4楽章はメフィストを表したものだと解釈する事ができると述べている。リストは後に80分の大曲「ファウスト交響曲」(1854年初演)を書いているが、ピアノ協奏曲第1番はそのプロトタイプだったのかもしれない。

この様にショパンと、リストのピアノ協奏曲第1番は目的も性格もまったく異なっているのだが、雰囲気は似通っている。どうやら、曲の始まりが似ているのが原因ではないかと思う。とは言え、明らかにリズムが違っているし、女性的で優しいショパンの出だしに比べ、男性的で荒々しいリストの出だしなので、似ているはずがないと考えがちだが、どうやら第1音から第3音までの3つの音が同じ音の運びである事が影響しているのではないかと私は考えるようになった。このたった3音の上下動が似ているから、雰囲気が似てしまったのだ。凄いではないか。

一方、チャイコフスキーはピアノ協奏曲を3曲作曲したが、第1番だけが有名になってしまった。その一番の理由は言うまでもない、冒頭の「運命の滑り台」動機に導かれる雄大なメロディーによる。この「運命の滑り台」動機は明らかにベートーベンの交響曲第5番「運命」の「運命」動機の変型なのだ。そのせいもあってこれがピアノ協奏曲?と疑問に思う位、管弦楽が主役で、ピアノは両手で和音を鳴らすだけの伴奏に回っている。なので、これって、もう交響曲でしょと思う人は多いのではないか。交響曲に引けを取らない協奏曲と言えば、ベートーベンのピアノ協奏曲 第5番「皇帝」があり、華やかで力強い音楽だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲 第1番だって負けてはいない、とにかく雄大な事、比類がない。もっとも、チャイコフスキーは勢いのいいのは冒頭だけで、主部に入るとトーンが下がり、反面いかにもピアノ協奏曲らしくなってくる。つまり冒頭はあくまで聴く人の心を引き寄せる、いわゆる『掴み』だったのだ。暗い音楽で始まる曲が多いチャイコフスキーだが、冒頭から派手な強奏(フォルテッシモ)で始まるのはこのピアノ協奏曲第1番と、交響曲第4番、およびイタリア奇想曲位ではないか。この「運命の滑り台」動機は実はリストのピアノ協奏曲第1番の冒頭の「ファウスト」動機の流れであり、関係があるのだ。そして、もっと重要な事は、この「運命の滑り台」動機がチャイコフスキー最後の交響曲 第6番「悲愴」の第1楽章の流れ落ちるように美しい第2主題に姿を変えて曲全体を支えている事だ。

ちなみに第3番に関して言えば、チャイコフスキーは交響曲 第6番「悲愴」に着手する前に、『人生』と言うタイトルの交響曲を構想し作曲を進めていたが、もう一つの新しい交響曲(第6番)の構想が沸き上がり、そちらに注力するようになり、交響曲「人生」の作曲は行き詰った。おそらく、交響曲「人生」としての構想は交響曲 第6番に引き継がれ、統合されたと考えるのが順当である(交響曲 第6番のタイトルとして、「悲愴」よりか、「人生」と名付けた方がしっくりくる理由がここにあると思う)。後にこの交響曲『人生』の草稿をピアノ協奏曲に仕立て直したのがピアノ協奏曲 第3番(変ホ長調作品75)で未完成作品・遺作である。

チャイコフスキーの作品は批判に晒されれば晒される程、後に曲の素晴らしさが理解され、世の中に受け入れられると言う傾向が強い。このピアノ協奏曲 第1番やヴァイオリン協奏曲などは、演奏を依頼したソリストから演奏不可能と突っ返されたり、交響曲 第6番「悲愴」は消え入るように終わる曲のせいもあって、世の中には受け入れられず、死後、支援者が粘り強く演奏会を開いてくれてようやく認められた。バレエ音楽「白鳥の湖」はもっとひどい目に合っている。初演(1877年)が振り付けやオーケストラの演奏の悪さ・未熟さで失敗に終わると、死ぬまで16年間見向きもされなかったのだ。再演されたのは死後2年目で、ようやく日の目を見ている。現代では古典バレエ音楽の最高峰に位置付けられており、考えられない事だ。
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
キーシン/キタエンコ/モスクワP
12才の神童の1984.3.27ライブ録音
@モスクワ音楽院大ホール
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
アルゲリッチ/ロヴィツキ/ワルシャワフィル
1965第7回ショパンコンクール本選ライブ録音
@ワルシャワ・フィルハーモニー
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
クライバーン/コンドラシン/交響楽団
1958.5.29-30スタジオ録音@NYビクタースタジオ
(1958.4 開催の第1回チャイコフスキー国際コンクール
優勝、帰国、1958.5.20ブロードウェイ凱旋パレード、
NY/Philadelphia/Washingtonでの4公演の3日後
NYビクタースタジオで徹夜で録音が行われた。オケは交響楽団としか記されていないが、RCA交響楽団と記すCDもある。いずれにせよ急遽呼び集めた臨時オケだろう)
このLPは全世界で100万枚以上を売り上げ、ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続)を獲得した唯一のクラシック作品。キャッシュボックスのポップアルバムチャートでも最高2位を記録。
リスト:ピアノ協奏曲第1番/第2番
リヒテル/コンドラシン/ロンドン響
1961.7.19-23スタジオ録音@ロンドン
磁気テープ録音ではなくて
映画のサウンドトラックに光学録音している
チャイコ:ピアノ協奏曲第1番
ホロヴィッツ/トスカニーニ/NBC
1943.4.25戦争債権コンサート
ライブ録音@カーネギーホール
リスト:ピアノ協奏曲第1番/第2番
リヒテル/コンドラシン/ロンドン響
1961.7.19-23スタジオ録音@ロンドン
1999年発売復刻CD

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ブルックナー:交響曲 第9番

フルトヴェングラー/ベルリンフィル 1944年10月 放送録音@ベートーベンザール

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (神がかり) 
 ・録音/臨場感    ★★☆☆☆ (アナログ・モノラル・放送録音)
 ・ジャケットデザイン ★★☆☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★☆☆☆☆  
連合国軍の空襲が激しくなり廃墟と化した1944年のベルリンで、10月7日ベルリンフィルの演奏が行われた(ベルリンフィルの本拠地はすでにこの年の1月に空襲で破壊されていたので、ベートーベン・ザールで行われた)事にまず驚く。オケの団員は兵役に就かなくてよかったのか?オケの団員はどこで生活していたのか?ともあれ、この放送用録音でのフルトヴェングラー/ベルリンフィルの演奏は鬼気迫るもので、まさに神がかり、よくぞ戦時下にこんな凄い演奏が出来た(あるいは戦時下だからこその奇跡的な演奏)、そして、よくぞこの録音テープは戦火をくぐって残されたと感謝すべきだ(フルトヴェングラーのブルックナー第9番の録音は、この戦時下の録音が唯一無二)。
鬼気迫るフルベンの写真ジャケットがいい
フルトヴェングラーは1906年、ミュンヘンのカイム管弦楽団(後のミュンヘンフィル)を振ってデビューした(20才)。その時の曲がブルックナーの交響曲第9番だった。以来、交響曲作曲家3大B(ベートーベン、ブラームス、ブルックナー)とワーグナーの作品を演奏する事を使命として活動し、高い評価を得て、まさに第一人者となった。この曲は第3楽章までしか書かれていないブルックナーの「未完成・絶筆」交響曲で、ブルックナー特有の曲の大団円(第4楽章の終結部コーダ)を聴く事が出来ないのだが、第3楽章の終わり方が「祈り」となっており、救われる。シューベルトの「未完成」交響曲の第2楽章の終わり方と相通ずるものがある。
シューリヒト/ウィーンフィル
1961年11月スタジオ録音
ワルター/コロンビア響
1959年11月スタジオ録音
  
マタチッチ/N響
1968.9.6ライブ録音
カラヤン/ベルリンフィル
1966.3.15-19セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
 
ヴァント/ベルリンフィル
1998.9.18ライブ録音
平成11年(1999年)第37回日本
レコードアカデミー賞(交響曲部門)

朝比奈隆/大阪フィル
1995.4.23ライブ録音
   
ちなみにフルトヴェングラーの指揮で戦時下(1939年9月1日~1945年5月9日)でも放送録音された演奏は少なからずあるが、中でもこのブルックナーの交響曲 第9番を含めて、私は以下の3つの演奏をフルトヴェングラーの3大戦時下演奏と位置付けている。

 ①ブルックナー:交響曲 第9番    ベルリンフィル 1944年10月 7日@ベートーベンザール
 ②ブルックナー:交響曲 第8番    ウィーンフィル 1944年10月17日@ムジークフェラインザール
 ③ベートーベン:交響曲 第3番「英雄」ウィーンフィル 1944年12月19日@ムジークフェラインザール

いずれも神がかり、まさに鬼気迫る名演奏だと思う。

CD時代になって、このフルトヴェングラーのブルックナーの交響曲第9番もCDで再発売された。しかもCDの表面のレーベルデザインが、1960年代のグラモフォンのLPレコードのレーベルと同じ、チューリップが円の周りに配されたデザインだった。1970年以降、グラモフォンのレーベルは味気ない単に黄色い一色のレーベルになっていたので、懐かしかった。
チューリップロゴのCDレーベル
1999年再発CD
重ねてちなみにフルトヴェングラーの指揮で戦後(1945年5月10日~1954年11月30日)録音された演奏はかなり多いが、私は以下の3つの演奏をフルトヴェングラーの3大戦後演奏と位置付けている。

 ①ブルックナー:交響曲 第8番    ベルリンフィル 1949年 3月 14-15日 ライブ@Gemeindehaus
 ②ベートーベン:交響曲 第9番    バイロイト祝祭 1951年 7月 29日 ライブ@バイロイト祝祭劇場
 ③ベートーベン:交響曲 第3番「英雄」ウィーンフィル 1952年11月26-27日スタジオ@ムジークフェライン

いずれも他の指揮者の到達しえない孤高の演奏だ。
  

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チャイコフスキー:交響曲 第4番

ムラヴィンスキー/レニングラードフィル 1960年9月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆  
1960.9.14-15セッション録音
@ロンドン、ウェンブリータウン・ホール
ムラヴィンスキー/レニングラードフィルの演奏は非の打ちようがない。鍛えに鍛えられたオケが、まさに一糸乱れず、熱い演奏を繰り広げている。ここまで完璧な演奏は、他に類を見ない。解説書によれば、ムラヴィンスキーがチャイコフスキーの後期交響曲(第4~6番)を指揮した回数は、第4番が10回、第5番が113回、第6番「悲愴」が66回との事。曲のまとまり・完成度の高い第5番が一番多く、旋律の美しい第6番「悲愴」が次になっていて、何故か第4番は最下位。
しかし、私の愛聴ランキングは第4番が1位、第5番が2位、第6番「悲愴」は3位である。まず、第4番は(ベートーベンの交響曲第5番「運命」の『運命の動機』に似た)チャイコフスキーの運命のモチーフが冒頭から金管楽器によって高らかに奏でられ、その後もこのモチーフがはっきりと曲全体を支配し、「苦悩から勝利へ」と言うメッセージも明確で、まさにベートーベンの交響曲第5番「運命」と同じ構造なのだ。 
とにかく、運命の主題が鳴り響く第1楽章、大音量で驀進する第4楽章、どちらも聴いていてその凄さに唖然とするばかりだ。聴き終わるなり、「これは凄い、爽快だ、痛快だ」と感嘆せざるを得ない。心に悩みを抱えている人は、一度騙されたと思って第4番、特に第4楽章を聴いてほしい。必ず気が晴れ晴れする事を保証する。もちろん、この難しい曲を完璧に演奏するためにはオーケストラは鍛えられていなくてはいけない。オーケストラにとってこの曲は試金石だ。後述のマゼール/ベルリンフィルの演奏も凄いが、ベルリンフィルと言えどもレニングラードフィルに比べれば合奏力が劣るのがよく分かる。
第5番は、暗い序奏があり、やがてふつふつと内に秘めた苦悩が爆発する第1楽章が素晴らしい。この「苦悩の動機」が全曲を支配し、第4楽章でも苦悩との闘争が描かれるが、コーダに至って、「苦悩の動機」が「勝利の動機」に変貌し、高らかに勝利を奏でて曲を閉じる。第4番より暗いが、「苦悩から勝利へ」と言うメッセージが貫かれており、曲の完成度は高い。また、特筆すべきは緩徐楽章(第2楽章)の美しさ、内に秘めたる情念の発露表現の力強さ、曲の構成の素晴らしさである。私は、ベートーベンの英雄交響曲(第3交響曲)の緩徐楽章(第2楽章)、ブルックナーの第8交響曲の緩徐楽章(第3楽章)、ショスタコーヴィチの第5交響曲の緩徐楽章(第3楽章)と合わせて交響曲における4大緩徐楽章であると勝手に称賛している(情念の発露表現で順位を付けると、爆発的なブルックナーが1位、同じく爆発的なチャイコフスキーが2位、少し控えめなベートーベンとショスタコーヴィチが共に3位)。

第6番「悲愴」はチャイコフスキーの最後の作品で、「悲愴」と言うタイトルは初演後、弟と話し合って決めたと言われているが、この話は弟の創作で、私はチャイコフスキーは作曲を始めた時から決めていたと思う。なぜなら第1楽章の主題が、ベートーベンの「悲愴」ソナタの序奏から取られているからだ。第6番「悲愴」は個々の楽章はよくできている事は認めるが、交響曲としてのまとまりに欠け、4楽章全体を通して何を言いたいのかメッセージが希薄なので、あまり好きではない。第3楽章の行進曲音楽も実によく書けていると思うけど、響きはうるさ過ぎる。第6番のテーマである「人生」には、この第3楽章はちょっとふさわしくないと思う。なお、チャイコフスキーは交響曲 第6番「悲愴」に着手する前に、『人生』と言うタイトルの交響曲を構想し作曲を進めていたが、もう一つの新しい交響曲(第6番)の構想が沸き上がり、そちらに注力するようになり、交響曲「人生」の作曲は行き詰った。おそらく、交響曲「人生」としての構想は交響曲 第6番に引き継がれ、統合されたと考えるのが順当である(交響曲 第6番のタイトルとして、「悲愴」よりか、「人生」と名付けた方がしっくりくる理由がここにあると思う)。後にこの交響曲『人生』の草稿をピアノ協奏曲に仕立て直したのがピアノ協奏曲 第3番(変ホ長調作品75)で未完成作品・遺作である。

第1楽章、第4楽章は深い重い音楽だ。それを伝えようと、多くの指揮者・管弦楽団が挑戦している。チャイコフスキー自身はこの曲のテーマは「人生について」だと言ったと伝えられている。私もこの曲にタイトルを付けるとしたら、「人生」、「後悔」、「告別」、「悲嘆」辺りがいいと思う。同じコンセプト、メッセージを持つ交響曲にマーラーの交響曲第9番があり、緩徐楽章が終楽章に置かれている点も同じ構造となっている。チャイコフスキーの「悲愴」が発表されたのが1893年であり、マーラーが交響曲第9番を作曲し始めたのが1909年(完成は1910年、初演はマーラーの死後の1912年、弟子のワルター/ウィーンフィルによってなされた)なので、ウィーンフィルの指揮者でもあったマーラーは当然チャイコフスキーの「悲愴」を何度となく演奏し、曲をよく知っていたので、影響は少なからず受けたと思う。

私はこのチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」と、シューベルトの交響曲第7(9)番「ザ・グレイト」と、ブラームスの交響曲第4番の3曲を3大「半完成」交響曲と勝手に位置付けている。ブラームスの交響曲第4番では第3楽章が、シューベルトの「ザ・グレイト」では第3・4楽章がどうにもうるさくて場違いなのだ。 一応4楽章そろっているので「未完成」とは言いづらいが、曲としては道半ばではないか。だから「半完成」だと言いたい。そんな訳で私はいつもこれらの交響曲を聴く時は第1,2楽章だけにしている。こう言う状況での再生にはLPが最適だ。1,2楽章はA面に収録されていて、3,4楽章はB面だからだ。つまり、A面だけで再生が止まるのだ。CDではこうは行かない。2楽章が終わったら、急いで意図的に再生を止めないといけない。
第6番1960.11.7-9セッション録音
@ウィーン、ムジークフェラインザール
第5番1960.11.9-10セッション録音
@ウィーン、ムジークフェラインザール
ここで、私が発見した、交響曲 第4番作品36、第5番作品64、第6番作品74「悲愴」と3大バレエ「白鳥の湖」作品20、「眠れる森の美女」作品66、「くるみ割り人形」作品71との関係を記しておく。第4番の第1楽章の大団円は「白鳥の湖」第1幕の終わり方の推敲版だと言っても過言ではない。第2楽章は「白鳥の湖」の宮殿の背景の音楽と言っても差し支えないし、オーボエが切ないメロディを奏でるのも相まって、「白鳥の湖」の音楽世界の雰囲気が濃厚だ。第3楽章のトリオ(中間部)には今すぐバレリーナに躍らせる事が出来るほどリズミックな音楽が書かれている。第5番の第4楽章の大団円で曲を閉じる「ダ・ダ・ダ・ダン」の4つの和音は「くるみ割り人形」の第1幕の終わりに再利用されている。第6番の第1楽章の再現部が突然大音響で始まると言う曲の作り(ビックリ開始)は「眠れる森の美女」ですでに試されていたと思っている。バレエ曲も交響曲も同じテイストで書かれているのだ。まあ、それも、同じ作曲家が書いたのだから当然だ。チャイコフスキーはバレエ曲であっても、交響曲であっても、手を抜く事なく、彼自身の感性と能力を全力注入したと言う事だ。
レコードのようなCDレーベル
2001年再発CD3枚組セット
CD時代になって交響曲第4番(40分52秒)、第5番(43分5秒)、第6番「悲愴」(43分57秒)を3枚のCDにそれぞれ収録した理想的なセットが出た。これまでLPあるいはCDで、2枚組で出された事があったが、常に第5番は1・2楽章と、3・4楽章とが泣き別れになってしまい、不満があった。LP3枚組で布張りボックスに入れて出してほしいと思っていたが、LP時代には実現しなかった。CD時代になって、CDで再発売され、ようやく実現した。しかもこのGRAMMOPHON THE ORIGINALSと言う復刻CDは、表面のレーベルデザインが、1960年代のグラモフォンのLPレコードのレーベルと同じ、チューリップが円の周りに配されたデザインで、しかもその外周を黒いレコードの盤面のように黒く印刷してあって、LP盤の雰囲気が出ていて、素晴らしい。
第6番1982.10.17ライブ盤
第5番1983.3.19ライブ盤
  
1954年はベルリンフィルの常任指揮者フルトヴェングラーがまだ健在だった(11月30日死去)ので、カラヤンは徹底的に干されていた。そのせいもあり、4月2日(1908年4月5日生まれなので46才直前)、単身来日し、5月9日までの1ヶ月間、N響を叩き直した。フルトヴェングラーの死後、1955年にベルリンフィルの常任指揮者に就任してからのカラヤンの多忙さを考えたら2度とあり得ない事だ。そしてN響を指揮して東京、京都、宝塚、名古屋と14回のコンサートを行った。4月21日の日比谷公会堂での「悲愴」ライブ録音がCDで出ているが、これがほんとにN響?と言う位、演奏がまとまっている。戦後9年目の日本のオケにも拘わらず、鍛えられれば、こうも変貌するのだ、と驚く。とは言え、1964年2月にベルリンフィルと入れた「悲愴」スタジオ録音盤を聴くと、オケの実力の差をまざまざと思い知らされる。
カラヤン/ベルリンフィル1964盤
1964.2.11-12セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
カラヤン/N響1954盤
1954.4.21ライブ録音
@東京・日比谷公会堂

  
バーンスタインが1986年8月にニューヨークフィルを振って入れた「悲愴」はじっくりと構えた演奏で、特筆すべきは第4楽章の遅さだ。人生への惜別を音楽で表現したと言われる曲にふさわしい遅さを追求した結果だろう、普通10分弱の演奏時間の所、バーンスタインは17分もかけてゆったりと演奏している(4楽章合わせた全曲は58分30秒にもなっている)。今の所、「悲愴」の演奏で最も深さ・重さを追究して成功していると思えるのが音楽の哲学者フリッチャイがベルリン放送響を振って入れた彼の人生の最後の演奏だ(1959年9月録音)。
フリッチャイ/ベルリン放送響
1959.9セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
バーンスタイン/ニューヨークフィル盤
1986.8スタジオ録音
2013年になって、1960年6月にマゼールがベルリンフィルを振って入れた録音が初めてCD化された。マゼールが30才と言う史上最年少でバイロイト・デビューした年にセッション録音されたこの演奏は、若きマゼールの覇気に満ちた統率ぶりと、それに完璧に応えるベルリン・フィルの迫力ある音楽作りがいい。ただし、このCDはベルリンフィルと言えどもレニングラードフィルに比べれば合奏力が劣る事を実証してしまっている。
交響曲 第4番
マゼール/ベルリンフィル盤
1960.6セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会

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チャイコフスキー:「白鳥の湖・くるみ割り人形」

カラヤン/ウィーンフィル 1965.3、1961.9 セッション録音@ゾフィエンザール

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
チャイコフスキーの3大バレエ音楽とは、3つのバレエ音楽、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」を言う。舞台でバレリーナが曲に合わせて踊るためのダンス用音楽ばかりでなく、場面の転換などの背景音楽も作られており、どれも2時間位の演奏時間となる。全曲をコンサートで聴くのは長すぎる。そこで、バレエの伴奏目的ではなく、コンサートの演目として有名な曲だけを抜粋してセットにしたものがバレエ組曲だ。「白鳥の湖」組曲、「眠れる森の美女」組曲は、演奏者が抜粋して組み合わせる事が多いが、「くるみ割り人形」組曲は、チャイコフスキー自身が選んだ8曲セットとなっている。それ位「くるみ割り人形」の出来には自信があったものと思われる。ちなみに3大バレエ音楽と言うが、チャイコフスキーはバレエ用の音楽はこの3曲しか残していない(習作は2、3あったようだが、すべて破棄されている)。ストラビンスキーの「火の鳥」「ペトリョーシカ」「春の祭典」もストラビンスキーの3大バレエ音楽とよく言われるが、彼の場合は他にもバレエ曲は残されており、それらの中でも力作で、発表当初は不評だったが次第に受け入れられて有名になった3曲をストラビンスキーの3大バレエ音楽と言っている。
白鳥の湖、眠れる森の美女1965.3.19録音
くるみ割り人形1961.9.5-22録音
チャイコフスキーの残した作品の中で何が一番好きかと問われたら、交響曲第4番でも5番でも6番「悲愴」でもなく、ヴァイオリン協奏曲でもなく、ピアノ協奏曲第1番でもなく、大序曲「1812年」でもなく、私はバレエ音楽「白鳥の湖」だと即答する。2番目はと問われたら、バレエ音楽「くるみ割り人形」だと答える。それから、ようやく交響曲第4番が出てくる。それ位、この2曲のバレエ音楽は素晴らしい(「眠れる森の美女」も苦心の末の作品だとは思う。特に第1幕の「ワルツ」は秀逸。ただ、物語りが劇的さに欠け、感動に至らない)。どうして、バレエ音楽が交響曲よりもいいのか?私にとっては、旋律が美しいのが第1の理由だ。モーツァルト、ドボルザークに劣らないメロディーメーカーであるチャイコフスキーの面目躍如。次に、バラエティに富んだ音楽を多種多様に惜しげもなく紡ぎ出している点だ。美しいだけでなく、抒情性に富み、物語の場面に合ったダイナミックさもあり、ついつい引き込まれる。まさに聴き手のツボを押さえている。そうなったら感動しない訳にはいかないではないか。
チャイコフスキー写真
長年、バレエ音楽の演奏ならアンセルメ/スイスロマンド管弦楽団の右に出るものはいないと言われていたが、カラヤンの演奏はそれを凌駕している。オケのうまさ、演奏の面白さ、音楽の勢い、スピード感、音色の豊かさ艶っぽさ、すべてにおいて最高点なのだ。これを聴いてしまうと、あんなに何度も繰り返し聴いたアンセルメ/スイスロマンド管弦楽団の演奏が、通り一遍で、学者的な演奏に聴こえてしまう。
アンセルメ/スイスロマンド
3大バレエハイライト盤
1959.6/1959.4スタジオ録音
アンセルメ/スイスロマンド
「白鳥の湖」全曲盤
1959.6スタジオ録音
「白鳥の湖」全4幕46曲から6曲が組曲として選ばれる事が多いが、オデットとジークフリートの悲恋の物語を描いたこのバレエを十全に表現しているとは言い難い。ここは物語の伏線を理解するためにも全曲を聴くべきだ。チャイコフスキーの音楽は第1幕・第3幕の宮殿の舞踏会の場面も素晴らしいが、それ以上に第2幕・第4幕の白鳥の湖での情景を描いた音楽が素晴らしい。近年では最後の場面でジークフリートが悪魔ロートバルトを打ち破って乙女たちが白鳥に姿を変えられた魔力を解くと言う演出が多い。しかし、ジークフリートがオデットに化けたオディールに愛を誓ったと言う過ちは許されず、オデットとジークフリートが湖に身を投げ、あの世で結ばれると言うエンディングへ向けてのシンフォニックな音楽が、チャイコフスキーの面目躍如。「白鳥の湖」は全曲を聴くと2時間半(第1幕52分、第2幕32分、第3幕44分、第4幕16分)になるが、組曲で満足せずに全曲を聴くべきだ。小澤征爾が手兵のボストン響を振って入れた「白鳥の湖」全曲盤は実に聴きやすい。日本人特有の間合いを尊重し、細かい所に手が届く丁寧な演奏だ。
「くるみ割り人形」全2幕14曲からチャイコフスキーは組曲として8曲を選んだが、第1幕からは「小さな序曲」と「行進曲」しか選ばれていない。実は第1幕こそ、クリスマスの夜のパーティがお開きとなり、夜中にくるみ割り人形の兵隊とネズミ軍の戦いが繰り広げられる様が描かれて、実に面白い舞台となっている。チャイコフスキーのシンフォニックな音楽が劇的な効果を上げており、音楽作品として申し分ない。組曲ではこのスぺクタキュラーさが感じられず惜しい。「くるみ割り人形」は全曲を聴いても1時間半(第1幕44分、第2幕40分)なので、組曲で満足せずに全曲を聴くべきだ。マッケラス/ロンドン響の「くるみ割り人形」全曲盤は、舞台が眼前に想像出来る位、演奏の語り口が上手い。

チャイコフスキーはワルツも得意で、3大バレエにはそれぞれ素晴らしいワルツが組み込まれているが、「くるみ割り人形」のワルツは特に『花のワルツ』として愛されている。チャイコフスキーの音楽には名旋律が山のようにあるが、私は「白鳥の湖」の『白鳥のテーマ』(別名『情景のテーマ』として有名だが、情景ばかりでなく、全編に渡って効果的に使われていて、第2幕、第4幕ではまさに主役とも言える主題だ)と、この『花のワルツ』が稀代のメロディメーカー、チャイコフスキーの代名詞となっていると思う。冒頭、ハープのソロが華々しく繰り広げられ、ハープ奏者にとっては腕の見せ所となっている。このワルツは夢の中の舞踏会で奏でられ、『花のワルツ』と言う名前に相応しい華やかで明るい曲かと思われがちだが、実は音楽は憂いを帯びた悲しい響きを纏っている。まるで1年半後の自身の死(1893年11月6日)を予感し憂いているかのようだ。

この憂いを生み出しているのは、もちろん半音階を効果的に使っているからであるが、開始3分10秒あたりからの変奏では、半音階の上行下降が使われている。これはロシアで流行した歌曲「黒い瞳」(フレビーンカの詩をС. ゲルデリがフローリアン・ヘルマン作曲のジプシー音楽のワルツ「Hommage」(オマージュ)にあてはめて1884年3月7日に発表)の冒頭と相通ずるものがある。「黒い瞳」では半音2連の上行に半音下降となっていて、憂いを強化している。チャイコフスキーが「くるみ割り人形」を作曲したのが1891年2月~1892年4月であるので、当然チャイコフスキーは「黒い瞳」を知っていたはずだし、当時の社会の流行や雰囲気には影響されたと思う。
マッケラス/ロンドン響
「くるみ割り人形」全曲盤
1986.5.13/14/16スタジオ録音
小澤征爾/ボストン響
「白鳥の湖」全曲盤
1978.11.11-12.2スタジオ録音
CD時代になってカラヤン/ウィーンフィル盤もCDで再発売された。1999年にはDECCA Legendsシリーズで出た。このシリーズは、中々気が利いている。CDのレーベルがオープンリールのテープのようになっているのだ。懐かしい。LPの後は、オープンリール時代だと言われていたが、取り扱いが容易ではなく、広く受け入れられる事なく、やがて取り扱いが容易だったカセットテープに取って代わられた。そのカセットも1982年に登場した音質が抜群に優れていたCDに取って代わられた。
オープンリールテープのようなCDレーベル
1999年再発CD
2009年にはDECCA THE ORIGINALSと言う復刻CDで出た。このシリーズは、CD表面のレーベルデザインが、1960年代のDECCAのLPレコードのレーベルと同じ、濃紺のデザインで、しかもその外周を黒いレコードの盤面のように黒く印刷してあって、LP盤の雰囲気を出そうとしているのだが、両方とも濃い暗い色なので、GRAMMOPHON THE ORIGINALSの黄色いレーベルに黒いレコード盤面を模したものほどは上手くLPレコード盤の雰囲気を出せていない。ただ、このレーベルのスピンドル穴の左側に楽譜の1小節が印刷されているが、そこには5つの四分音符がレミドドラの音程で書かれている。英語・独語表記で表せばDECCAだ。何と洒落たロゴだ。
LP盤を模したCDレーベル
2009年復刻CD

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マーラー:交響曲 第9番

カラヤン/ベルリンフィル 1979.11、1980.2/9 セッション録音@フィルハーモニー

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆  
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ (LP2枚組見開きジャケット)
1979年11月22-23日、1980年2月15-17日、9月30日
セッション録音@ベルリンフィルハーモニーホール
1970年以降、カラヤンは演奏会でマーラーの交響曲を取り上げ始めた。例によって、その練習過程の仕上げとしてスタジオ録音も済ませると言う一石三鳥の方法でグラモフォンからLPを出した。第5番(1973年録音)、「亡き子をしのぶ歌」(1973年録音)、「大地の歌」(1973/1974年録音)、「リュッケルトの詩による5つの歌曲」(1974年録音)、第6番「悲劇的」(1975/1977年録音)、第4番(1979年録音)、と立て続けに出して(虹のデザインを通しで使った)、最後にこの第9番を出した(なぜか人気曲の第1番「巨人」、第2番「復活」には手を付けなかった)。カラヤンにしては珍しく1年もかけて録音したこの演奏は、さぞ完璧と思いきや、皮肉な事に、3年後のライブ録音盤よりもミスが多い。虹の円弧が雲の上に顔を出したようなジャケットデザインは天国を想像させ、人生への告別を表現したとされる音楽にふさわしい。(1981年発売 5,200円)
第5番(青色地)、第6番(茶色地)、大地の歌(緑色地)
前述したように、このスタジオ録音の出来がよくなかったせいか、カラヤンは1982年9月20-30日のベルリン芸術週間での演奏会のデジタル録音ライブCDを出したのだ。本来、ライブ録音を世に出す事をよしとしなかった完璧主義者カラヤンが、1984年GOサインを出した。昭和59年(1984年)第22回日本レコードアカデミー賞(交響曲部門)受賞。その背景には、当時、クラシック音楽界で人気を2分していたバーンスタインが3年前1979年10月4-5日のベルリン芸術週間にベルリンフィルへ客演し、マーラーの交響曲第9番を演奏したのだが、その演奏が素晴らしく、高い評価を受けた事が影響しているとされている。ちなみにこの時のバーンスタインのライブ録音はカラヤンのライブ盤から遅れる事8年、ようやく1992年に発売され、1992年アメリカ・グラミー賞、平成4年(1992年)第30回日本レコードアカデミー賞大賞を受賞した。カラヤンは1989年7月16日、バーンスタインは1990年10月14日に世を去っているので、このマラ9ライブ盤競争は、知る由もなく、天国で苦笑しているだろう。カラヤンのライブ演奏は流石、ライブ盤嫌いのカラヤンが発売を許可しただけあって、大きな傷はないが、バーンスタインのライブ盤は、ベルリンフィルらしからぬ、演奏上のミスが目立つ。リハーサルの時からバーンスタインは涙を流し思い入れが激しく、少しも前に進まなかったと言われており、第3楽章ではアンサンブルが乱れ、第4楽章ではトロンボーンがごっそり落っこちている。それでも感動を呼ぶのは、バーンスタインの情熱が勝っていたからか。
バーンスタイン/ベルリンフィル
1979年10月4-5日ライブ初盤
@ベルリン・フィルハーモニーホール
1992年発売
カラヤン/ベルリンフィル
1982年9月20-30日ライブ録音
@ベルリン・フィルハーモニーホール
1984年発売
客演でのマーラーの交響曲第9番の名演奏と言えば、バルビローリの逸話を外す訳にはいかない。以前からバルビローリを尊敬していたベルリンフィルは1963年1月に彼の客演指揮でマーラーの交響曲第9番を演奏した。その演奏は素晴らしく、高い評価を得た。何よりもベルリンフィルの楽員が感動し、この演奏を録音して後世に残したいと申し出た。そして1年後の1964年1月10日11日14日18日の4日間のスタジオ録音が実現したのだ。その出来栄えはまさに理想的演奏と言っていいだろう。もともとゆったりとした音楽を奏でるバルビローリだが、意外にもこの3者の中では一番演奏時間が短い(バルビローリ盤:CD1枚78分18秒、バーンスタイン盤:初盤CD2枚/再発盤CD1枚81分47秒、カラヤンのライブ盤:CD2枚84分22秒、カラヤンのスタジオ盤:CD2枚85分10秒)。
マーラーの交響曲の演奏では弟子だったワルターがウィーンフィルを振った演奏を外す訳には行かない。特に第9番はワルター/ウィーンフィルが1912年6月26日に初演したので絶対だ。このCDは1938年1月16日のライブ演奏であり、世界初のマラ9の録音である。名演奏だ。
ワルター/ウィーンフィル
1938.1.16ライブ録音
マラ9初録音
バルビローリ/ベルリンフィル
  
近年ではブーレーズがシカゴ響を振った演奏が分析的でいい。小澤征爾/サイトウキネンオーケストラの演奏は熱演。
ブーレーズ/シカゴ響
1995.12スタジオ録音
小澤征爾/サイトウキネン
2001.1.2-4ライブ録音
  
余談だが、1982年10月1日に世界で一斉に発売となった新しい記録媒体CDの収録時間の規格は、カラヤンがベートーベンの第9がきちんと入るようにと、ソニーの大賀副社長に進言して74分42秒に決まったと言われている(CD規格を策定していたソニーとフィリップスはCDの直径・収録時間でもめていた。フィッリプスは11.5cm・60分を主張したが、ソニーは12cm・74分を主張した。この2者択一をカラヤンに諮問したらしいが、別にカラヤンでなくても誰でもソニー案の方がいいと思うに決まっている。大賀はフィリップス陣を納得させるために親交の深かったカラヤンの名を引き合いに出したのではないか)。その後CD規格は度々改定され、収録時間も79分、82分、・・と徐々に伸びて来ている。

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マーラー:交響曲 第2番「復活」

ショルティ/ロンドン交響楽団 1966年5月 セッション録音@キングズウェイホール

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
1888年3月、マーラーは後の交響曲第1番となる「交響詩」(第1稿)を完成させると、5月にはライプツィヒ市立歌劇場の職を辞して故郷のイグラウに戻った。10月1日にはブダペストのハンガリー王立歌劇場の音楽監督に就任した。マーラーが新たな楽章の作曲に取りかかったのはイグラウにいた6月の事である。曲は8月にほぼ完成、9月にプラハで浄書された。この楽章の自筆総譜の表紙には、「葬礼」と書かれているが、その下には掻き消された「交響曲ハ短調 第1楽章」の文字が残されていた。マーラーは同じ年に『子供の不思議な角笛』に出会い、これにも作曲を開始している(この年マーラーは、11月に後の交響曲第1番となる「交響詩」(第1稿)を初演するが、失敗。マーラーは曲を改訂する必要を感じたと見られる)。
1891年3月26日、マーラーはハンブルク市立劇場の指揮者に就任した。10月、マーラーは作曲済みの「交響曲ハ短調 第1楽章」をショット社に送付し、単一楽章の交響詩として出版することを打診した。「葬礼」の標題は、この時に付けられたものと思われる。11月には「葬礼」をピアノ演奏してビューローに聴かせるが評価されず、ショット社からも出版を拒否され、マーラーは単一楽章としての発表を断念(この間、マーラーは『子供の不思議な角笛』の作曲を進めており、1892年4月に完成、翌1893年にはオーケストラ版の総譜が完成する。このうち第7曲「この歌をひねり出したのはだれ?」が、後に「交響曲ハ短調」(第2番)の第4楽章「原光」に使われる)。
1893年1月にマーラーは後の交響曲第1番となる「交響詩」を改訂(第2稿)。7月にザルツブルクの近郊、アッター湖畔にあるシュタインバッハにおいて、「交響曲ハ短調」の第2楽章から第4楽章までを完成させた(この時、『子供の不思議な角笛』の新たな1曲(第9曲)「魚に説教する聖アントニウス」も第3楽章と同じ材料に基づいて作曲されている)。マーラーはこの年から夏休みをシュタインバッハで作曲に専念して過ごすようになり、また、バート・イシュルに滞在していたブラームスを訪問して知己を求めている。同年10月、マーラーは改訂した「交響詩」(第2稿)に『巨人』のタイトルを付してハンブルクで演奏、翌1894年7月ヴァイマールで再演するが、いずれも成功しなかった。
1894年2月12日、指揮の師ビューローがカイロで客死し、3月29日ハンブルクのミヒャエリス教会で葬儀が行われた。この葬儀に出席したマーラーは、オルガンと合唱によるクロプシュトックの賛歌「復活」を聴き、「交響曲ハ短調」(第2番)の終楽章に転用する事を思いつく。この時の感動をマーラーは「あたかも稲妻のように私の身体を貫き、曲の全体の形が私の前に、はっきりと明らかな姿で現れました。創作する者はかくのごとき『稲妻』を待つ、まさしく『聖なる受胎』を待つ事なのです」と友人のザイドルに宛てた手紙に書いている。 まず、賛歌の最初の二連を転用、三連以降は歌詞を自作。4月に「葬礼」を短縮かつ編成拡大などの改訂を施して第1楽章として完成させ、6月には全曲総譜の下書きが完成。最終稿が出来上がったのは、12月18日ハンブルクにおいてであった。
1895年3月4日、声楽のない第1楽章から第3楽章までをベルリンフィルを振って初演(その夏にはマーラーはシュタインバッハにおいて交響曲第3番の作曲に取りかかった)。全曲初演は1895年12月13日(ベルリンフィル)マーラー35歳の時である。膨大な管弦楽と、独唱者・合唱隊のため多額の資金が要り、マーラーは私財を投じ、借金をし、結果初演は大成功となった。第1交響曲(第3稿)が初演された1896年3月16日の演奏会では、第1交響曲の全楽章に先立ち、「第2番」の第1楽章に再び「葬礼」の標題を付けて演奏した。「葬礼」の標題を使用したのは、これが最後と見られる。
マーラーの交響曲第2番「復活」は大曲であり、名曲中の名曲なので、世界中の指揮者や管弦楽団は、こぞって演奏し、録音を残している。しかもいずれも渾身の演奏となっており、素晴らしい。しかし、演奏には大編成の管弦楽(バンダと呼ばれる舞台外で演奏する別働隊も必要)と独唱者・合唱団が必要で、演奏会の運営は困難を極める。生半可な入場者数と入場料では必ず赤字になる主催者泣かせの曲だ。強力なスポンサーが付いていないと上演は難しい。それでも、この曲はオーケストラの一員としては演奏したくなる魅力がある。魅力と言うより魔力に近い(マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」もオケや合唱団が複数必要、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」も大編成の管弦楽しかも特殊な楽器が必要で経費は莫大な額になる)。
ショルティ/ロンドン響の演奏(1966年5月スタジオ録音)は長らく「復活」の最優秀録音盤としてのみならず、クラシックの管弦楽演奏の最優秀録音盤として、あらゆる音響機器の試聴テストに使われて来た。よく使われたのが第5楽章開始から10分15秒(191小節)の3人のティンパニストによるドラムロールで始まる管弦楽がpppからfffまでクレッシェンドする部分だ。このLPは録音のよさにとどまらず、ショルティのメリハリの利いた指揮によるダイナミズム、スピード感、推進力のある演奏が素晴らしい。日本盤(キングレコード1967年発売 4,000円)のジャケットデザインは日の出の写真を使っていて、この交響曲の「暗闇から光明へ」のメッセージに合っていて素晴らしい。2020年の今となっては、このジャケットデザインは2011年3月11日に起きた東日本大震災の津波で流された陸前高田の高田松原の7万本の松の中で一本だけ耐え抜いて生き残った「奇跡の一本松」を彷彿とさせ、感慨深い。
ショルティ/ロンドン響
日本盤(ロンドンレーベル)のジャケット
ショルティ/ロンドン響の英盤は眼光鋭いショルティの顔をアップで掲げたジャケットデザインで、この交響曲の「暗闇から光明へ」のメッセージに合っていて素晴らしい。メータがウィーンフィルを振って入れた盤はジャケットにメータが音のピッチを下げろと指示している写真を使っていて日本独自のデザインで好感が持てる(英デッカのジャケットは昇天場面を描いた明るい細かい絵画を使っていて、ちょっと合わない)。ただし、演奏はよくない。メータがロサンゼルスフィルを振って入れた演奏に見られるキレがない。第1楽章や第5楽章などのフォルテッシモでは、音が濁って響き、交通整理が出来ていない。テンポもイマイチだし、なにより雰囲気がウィーンフィルらしくない。超一流オケを使ってのデッカ録音なのに、もったいない限りだ。
メータ/ウィーンフィル
1974.11スタジオ録音
日本盤(ロンドンレーベル)のジャケット
ショルティ/ロンドン響
英盤(ロンドンレーベル)のジャケット
マーラーの交響曲の演奏では弟子だったワルターの演奏を外す訳には行かない。戦後3年目のウィーンフィルの演奏会(1948年5月15日)のライブ録音が残っている。またCBSコロンビアがワルターの芸術をステレオ録音で残そうと立ち上げたプロジェクトで1957年2月18日からニューヨークフィルを振って復活を録音し始めたのだが、すぐにワルターが心臓発作を起こし中断せざるを得なくなり、1年後の1958年2月21日にようやく完了したと言う1年がかりの「復活」も記念碑的だ。
ワルター/ニューヨークフィル
1957年2月-1958年2月スタジオ録音
ワルター/ウィーンフィル
1948.5.15ライブ録音
@ウィーン・ムジークフェラインザール
アバド/シカゴ響の「復活」はアバドのマーラーシリーズ第1弾で、アバドの指揮による丁寧な演奏が聴かれる。シリーズを通してクジャクの羽根をアレンジしたようなジャケットデザインが使われているが、この第2番「復活」のジャケットデザインは特に魔力を秘めているような色合いが魅力的だ(第5番のジャケットと色違い共通デザイン)。
小澤征爾/サイトウキネン
2000.1.2-5ライブ録音
平成12年(2000年)第38回日本
レコードアカデミー賞(交響曲部門)
アバド/シカゴ響
1976年スタジオ録音
  
マーラーの交響曲第2番「復活」は5楽章からなり、第1楽章が終わると休憩を取るように指示されている(コンサートではここで、ソリストや合唱団を入場させる事が多い)。確かに第1楽章だけでも20数分かかる大曲で、人間の人生・死を扱った重い音楽であり、第2~4楽章の音楽とは趣が違うので休憩もありかと思う。その指示に従ったように、2枚のCDに第1楽章と第2~5楽章を割り振ったのがワルター/ウィーンフィル盤、キャプラン/ウィーンフィル盤だ。小澤征爾/サイトウキネン盤も2枚のCDなのだが、第1~2楽章と第3~5楽章とに割り振られていて、マーラーの指示が徹底されていない。
ブーレーズ/ウィーンフィル
2005年5月/6月スタジオ録音
キャプラン/ウィーンフィル
2002年11月/12月スタジオ録音
ギルバート・キャプラン(1941.3.3-2016.1.1)はアメリカで経済誌『インスティテューショナル・インベスター』を創刊(1967)して大成功を収めた実業家で、特別な音楽教育は受けていないが、1965年にストコフスキーの指揮でこの曲を聴いて感動し、これを生涯に一度でいいから指揮したいとの夢を抱き、30才を過ぎてからショルティに指揮を師事した。そして40代に入った1982年、自費で雇ったオーケストラを指揮してニューヨーク・エイヴリー・フィッシャー・ホールでマーラーの交響曲第2番「復活」のコンサートを開いた。それが絶賛を浴び、一夜にしてマーラーの交響曲第2番「復活」のスペシャリストと認められ、やがて世界中のオケから客演指揮の依頼が舞い込み、プロの音楽家(ただし交響曲第2番「復活」専門)となった。さらにマーラーの自筆譜を買い集め、出版されている楽譜の間違いを正し、ついには校訂版「キャプラン版」まで出版した。そしてそれを使って2002年11月/12月ウィーンフィルを振ってスタジオ録音した。それがこのCDだ。まさにアメリカンドリーム。
交響曲第2番「復活」の第3楽章、第4楽章では、マーラーが1892年に完成した管弦楽伴奏の歌曲集『子供の不思議な角笛』の歌を流用している。続く交響曲第3番、交響曲第4番も『子供の不思議な角笛』の歌を使っているため、これらを「角笛」3部作としている。管弦楽伴奏の歌曲集『子供の不思議な角笛』には、名ソプラノ:シュワルツコップと名バリトン:フィッシャーディスカウがセル/ロンドン交響楽団をバックに楽しく歌い上げた超名盤がある。
『子供の不思議な角笛』
シュワルツコップ、フィッシャーディスカウ、セル/ロンドン響
1969スタジオ録音
   

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マーラー:交響曲 第1番(巨人)

ワルター/コロンビア交響楽団 1961年1/2月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
1884-1888年、若き(24-28才)マーラーがジャン・パウルの小説「巨人」に感銘を受けて作曲した交響曲。何度も改訂を重ねた(第1稿~第3稿)。この曲の作曲中に管弦楽伴奏の歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出されており、同歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が交響曲の主題に直接用いられているなど、両者は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。この交響曲は、ライプツィヒを去る前の1888年3月に書き上げられ、同年ブダペストに移った翌月の11月にオーケストレーションが完成した。マーラーはこの年の6月には後の交響曲第2番「復活」の第1楽章となる交響詩『葬礼』にもすでに着手していた。。

第1稿:1889年11月20日にマーラー自身の指揮、ブダペスト・フィルハーモニー交響楽団によって初演。しかし成功しなかった。「ブダペスト稿」とも呼ばれるこの稿は、現在は失われている。マーラー自身は作曲当初からこの曲を交響曲と呼んでいたが、初演に際しては「2部からなる交響詩」として発表した。全体は5楽章からなり、第1楽章から第3楽章までを第1部、第4楽章以下を第2部としていた。この時点ではタイトルや、1部、2部、各楽章への標題はない。
第2稿:ブダペストでの初演の後、マーラーは第2楽章(花の章)、第3楽章(スケルツォ)、第5楽章(フィナーレ)に改訂を施した。1893年1月の段階では、「花の章」を削除する考えに至ったが、8月にはこれを撤回して5楽章構成として残し、10月29日ハンブルクで上演、翌1894年7月にもヴァイマールで再演した。上演に際してマーラーは、全曲を「交響曲様式による音詩」とし、「巨人」(Titan)という標題を与えた。各部、各楽章にも以下のような副題が付された。これらの副題も、ジャン・パウルの小説から影響を受けていると考えられている。

  第1部 青春の日々から、若さ、結実、苦悩のことなど
    第1楽章 春、そして終わることなく
    第2楽章 花の章
    第3楽章 順風に帆を上げて
  第2部 人間喜劇
    第4楽章 座礁、カロ風の葬送行進曲
    第5楽章 地獄から天国へ

第3稿:1896年3月16日のベルリンでの初演に当たって、マーラーは「花の章」を削除して全4楽章の「交響曲」とした。二部構成や各楽章に付けられていた標題もすべて取り払われた。ジャン・パウルの小説を知らない多くの世界中の人々には「巨人」と言われても、全く意味が分からないのであるから、この判断は正しかったと思う(この前年、1895年にはベルリンで次作交響曲第2番「復活」の全楽章が初演された。「交響曲」というタイトルでは、1番より2番の方が早く初演された事になる)。楽器編成は四管に増強され、とくにホルンが4本から7本に増やされたのが特徴的である。このベルリン稿に基づく楽譜は、1899年にヴァインベルガー社より「交響曲第1番」として出版された。
ワルター/コロンビア交響楽団
1961年1月14/21日、2月4/6日スタジオ録音
上記のように、今日世界中のコンサートで使われている楽譜は第3稿が基となっており、そこには曲のタイトルも、各楽章の表題も付けられていない。したがって、今日、この曲に「巨人」と言うタイトルを付けたり、各楽章の表題を付けて、コンサートを開催したり、LP/CDを販売するのはマーラーの意図に適った事なのか、甚だ疑問である。いずれにせよ多感な青年であったマーラーが自身の悩み多き青春を音楽として書き残した記念碑であり、曲が一風変わっているのは否めない(支離滅裂とまでは言えないが、統一感はない。ただそれが青春の最中にいる青年の精神状態をよく表しているとも言える。ちなみにマーラーの交響曲の中でもっとも支離滅裂なのは交響曲第7番「夜の歌」の第5楽章だと思う。いろんな要素がごった煮状態で、言いたいメッセージが皆目分からない)。なので、それぞれの楽章を理解するのに、第2稿で付けた標題が一助にはなる。かと言って、LP/CDのジャケットとして巨人像を用いたり、巨人が悩む姿を描いたりするのは、やはりマーラーの表現したかった青春のはかなさ、悲しみ、苦しみ、矛盾、喜び、凶暴さ、優しさ、自然の美しさ、深遠さ等を多元的に表すにはバイアスがかかり過ぎ、よくないとも思う。私があえてこの曲にタイトルを付けるとしたら、「青春」もしくは「若人」がいいと思う。どうだろう?
マーラーの弟子でもあったワルターが、ワルターの芸術を残そうと組織されたコロンビア交響楽団を振って、1961年の1月14/21日、2月4/6日に入れたこの交響曲第1番のステレオLPは素晴らしい。ワルターの残した録音の中でも1、2を争う名演奏だ。ヴァイオリンのフラジオレット奏法による超高音A音(ラ音)の持続の上に、オーボエとファゴットが4度下降する動機を奏でる第1楽章の冒頭を聴いただけで、心がぎゅっと掴まれてしまう。音が、音楽が、演奏が、優しいのだ。ステレオ初期の録音としては信じられないくらい美しく録音されている。昭和38年(1963年)第1回日本レコード・アカデミー賞(交響曲部門)受賞。
バーンスタインがニューヨークフィルを振って入れたLPのジャケットデザインはなかなか意味深で秀逸だ。マーラーの写真やいろんな図案の断片をコラージュ風に散りばめて、しかも光が数条遠慮なく横切っていて、とても冒険的であり、この曲の支離滅裂さ、疾風怒濤さをうまく表現している。しかもタイトルに「Titan」と入れていない点も喝采したい。バーンスタインの演奏は支離滅裂感があって、ある意味、曲の趣旨にあっているとも言える。一方、オーマンディは1969年、第3稿で削除され長らく行方不明だった第2稿の第2楽章「花の章」を元の位置に戻した全5楽章版を世界初録音した。しかし前後の第1楽章、第3~5楽章は第3稿なので、この試みに意味があるのか多少疑問が残る。名手揃いのフィラデルフィア管弦楽団の演奏は好演だ。
オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団
1969年5月21日セッション録音@フィラデルフィア、
スコティッシュ・ライト・カテドラル
1978年発売来日記念盤
バーンスタイン/ニューヨークフィル
1966スタジオ録音
1982年10月1日にCDが世界同時発売となり、CBSソニーは一斉に名録音をCDで出した。1983年にワルター/コロンビア響の一連の録音も復刻発売され、日本では3500円だった。私はその中からマーラーの交響曲第1番を買った。金箔押しの額のような高級感あふれるジャケットで、いよいよノイズのない夢の世界が始まるんだと言う、不思議な高揚感に包まれた。
2009年に新鋭指揮者オラモがロイヤルストックホルムフィルを振って入れた盤は実に楽しい。第1楽章にカッコウの鳴き声らしきものが描かれているのはよく知られているが、オラモはさらに明らかに鳥の鳴き声と分かる音を足しているのだ。果たしてこれが最新の楽譜には書いてあるものなのか、はたまたオラモの茶目っ気から出た創作なのか分からないが、新鮮ではある。他の楽章ではそう言った冒険もなく、演奏はすこぶる整っている。好演だ。
オラモ/ロイヤルストックホルムP
2009.9.10-12セッション/ライブ録音
@ストックホルム・コンサートホール
ワルター/コロンビア交響楽団
1983年発売初CD復刻盤3500円
2018年にロトが手兵レ・シエクル管弦楽団を振って第2稿である「交響曲様式による音詩『巨人』」(1893-1894年 ハンブルク-ヴァイマール版)を録音した(当然「花の章」も入っている)。このオケはピリオド楽器オケで、1893年当時の楽器による演奏だ。古典派時代の音楽ならピリオド楽器の意義もあるが、果たして近代の後期ロマン派時代のオケに、現代のオケとの違いがどれほどあるのか、ちょっと聴いただけでは分からない位だ。しかし管楽器演奏者は楽器のメカニズムの違いに相当苦労したそうだ。第2稿はマーラーがきちんとタイトルや各部、各楽章に標題を与えたので、そう言う表記のジャケットデザインになっている。しかし巨人が村々を歩き壊しているような絵は頂けない。まるで怪獣映画のゴジラのようだ。
なお、兄弟作と言われる管弦楽伴奏の歌曲集「さすらう若人の歌」には、名バリトン:フィッシャーディスカウがフルトヴェングラー/フィルハーモニア管弦楽団をバックにみずみずしく青春を歌い上げた超名盤がある。
『さすらう若人の歌』
フィッシャーディスカウ(Br)
フルトヴェングラー/PO
1952.6.24スタジオモノラル録音
「交響曲様式による音詩『巨人』」
ロト/レ・シエクル管弦楽団
2018.2/3/10スタジオ録音

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ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番

バーンスタイン/ニューヨークフィル 1979年7月録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆  
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (デジタル・ステレオ・ライブ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
交響曲第5番
バーンスタイン/ニューヨークフィル
1979.7.2-3ライブ録音@東京文化会館

バーンスタイン(1918.8.25-1990.10.14)とニューヨークフィルは1959年8月-10月にヨーロッパ公演を行い、ソ連でも11回の演奏会を持った。モスクワ公演最終日9月11日にはショスタコーヴィチが聴きに来ており、交響曲第5番を演奏した。演奏後ショスタコーヴィチはこの夜の演奏に感激して舞台に上がり、バーンスタインとニューヨークフィルを讃えた。帰国後すぐ10月20日、ボストンでスタジオ録音された。
1959.10.20録音@ボストン
2トラック38cm/sec
オープンリールテープよりの復刻CD
Grand Slam社2018.11.20発売
作曲者と演奏者を写したジャケット写真
1959.9.11@モスクワ公演
録音は1959.10.20@ボストンシンフォニーホール
CBSソニー発売2016復刻CD

バーンスタイン/ニューヨークフィルは1979年6月‐7月、極東ツアーを行った。

  6月22日(金)京都  京都会館       プログラムA(ハイドン104、マーラー1)
  6月23日(土)大阪  フェスティバルホール プログラムB(シューマン1、ショスタコ5)
  6月25日(月)大阪  フェスティバルホール プログラムA
  6月26日(火)名古屋 市民会館       プログラムB
  6月27日(水)新潟  新潟県民会館     プログラムA
  6月29日(金)ソウル 世宗文化センター   プログラムB
  6月30日(土)ソウル 世宗文化センター   プログラムA
  7月 2日(月)東京  東京文化会館     プログラムB
  7月 3日(火)東京  東京文化会館     プログラムB
  7月 5日(木)東京  NHKホール      プログラムA
  7月 6日(金)東京  NHKホール      プログラムA

プログラムBの目玉はショスタコーヴィチの交響曲第5番だった。私は3日の公演を聴きに行った。ニューヨークの雰囲気を引っ張って来たと言う感じで、楽員と同じ白い舞台用ジャケットに黒い蝶ネクタイのバーンスタインが颯爽と登場し、第1楽章から気合の入った指揮をした。最後は第4楽章を速いテンポで駆け抜けた。熱狂した聴衆のアプローズは何回も続き、5回目位で、楽員は退場したが、その後も、バーンスタインだけが舞台へ引き戻され、10回目位にとうとう、バーンスタインが根を上げた。左手を上に掲げ、右手の人差し指を立てて、左手の腕時計を指さし、両手を合わせて、右頬に沿えて、「みなさん、もう、おやすみの時刻ですよ。さあ、帰りましょう」と言うパントマイムをやったのだ。何と言うセンスのよさ。これで、聴衆のみんなも心を鷲掴みにされて満足して帰路に着いた。アメリカではこの夜の映像がDVDで売られているが、当然アメリカ規格(リージョン1)なので、日本(リージョン2)では見られない。残念だ。特にアプローズのパントマイムまで録画されているかどうかが気になる。
Kultur Video社発売DVD
カセット表紙の写真は白黒だが、
中の映像はカラー。

YouTubeには東京公演の映像が次のURLに投稿されている(第1楽章から第3楽章まで)
https://www.youtube.om/watch?v=D7XSPsdWIng
CDより、オンマイクなのか録音が生々しい。第1楽章の4:44(チューニングの映像開始から演奏開始まで49秒あるこの映像では5:33)のハープの和音や8:20(この映像では9:11)のピアノの入りなど、まるで違う演奏のように聴こえる。CDとこの映像のタイミングが微妙に違っているのもおかしい。どちらかが編集されている。まあ、普通に考えれば、映像は2日間の公演のどちらかを記録したもので、CDは2日間の録音のいいとこ取りする形で編集され、音響も相当調整され、商品として無難に作られていると言う事だ。

次の二つのURLには第1・2楽章と第3・4楽章が分けて投稿されている。先のURLと映像の画角、録音の音質が違っているので、違うソースと思われる。このURLは余計な感想が字幕で流されるので目障りだ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm5930407
https://www.nicovideo.jp/watch/sm6141665

第4楽章のコーダに付いては、次のURLで、デュトワ、ムラヴィンスキー、バーンスタイン、ショルティ、4人の指揮者の演奏の聴き比べが出来る。バーンスタインの映像は服装から東京公演だと思われる。
https://www.youtube.com/watch?v=j2YfIfl1xgQ
4人の指揮者の演奏を聴いて、驚いたのはデュトワの演奏(N響のロンドン公演?)がもっとも整っていた事(佐渡/ベルリンフィルの演奏に似ていた)、ムラヴィンスキーの演奏が間延びしていて迫力がなかった事、バーンスタインの映像は当たり前だがCDの演奏と同じだったが、何よりビックリしたのは、ショルティの演奏だ。速いのなんのって、バーンスタインより速かったのだ。いや、驚いた。速過ぎて感動が薄かった。
この復刻CDでは録音日が1979.7.3-4と記されている。
正しくは1979.7.2-3であり、明らかな記載ミス
1998年発売復刻CD
ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906.9.25-1975.8.9)は20世紀、第1次ロシア革命(1905)直後に生まれ、第2次ロシア革命(1917)後に1922年に樹立されたソビエト政権下で次第に制約を受け、葛藤と妥協を続け、自らの芸術を打ち立てた、おそらく交響曲作曲史上最後の大作曲家。1925年のレニングラード音楽院卒業以来、西欧的かつ前衛的な作品を発表していたが、1936年にソビエト共産党機関紙『プラウダ』でその作曲姿勢を批判され、自己批判を余儀なくされる。リハーサルも終えていた交響曲第4番の初演を取り止め、封印した。スターリンの独裁政権と言う国内事情を考えたら、西側諸国に亡命するか、それが出来なければ妥協して体制の言うなりになるしか道はなかったと思う。歯向かえば収容所送りとなり、殺されるのは目に見えていたのだから。

そして、政府が自国の音楽に求めた「社会主義リアリズム」路線に沿って作曲し、1937年、ベートーベンの交響曲と同じく「暗から明へ」、「降りかかる運命との闘争の末に勝利が訪れる」と言う葛藤克服型の交響曲第5番を発表。この曲は、政府のみならず大衆にも大いに受け入れられ、20世紀最後の、それどころか西洋音楽史上最後の傑作交響曲とまで称賛された。この曲が成功したのはソビエト政権がショスタコーヴィチに作曲姿勢を変えさせたおかげであると言う意見もある。もし若い時のように前衛的な曲を作っていたら、新ウィーン楽派同様、世には受け入れられなく、歴史に埋もれてしまっていたかもしれない。『芸術が時代を創る』のか?はたまた『時代が芸術を創る』のか?ショスタコーヴィチの場合は後者のような気がする。これ以降、ショスタコーヴィチは多くの作品を発表したが、「体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家」との評価が付いて回った。しかし、彼の死(1975年)後、特にソ連の崩壊(1991年)以降、再評価が進められ、今では「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」と評価されている。
ベートーベンの交響曲第5番「運命」と同じプログラム、メッセージ性を持つショスタコーヴィチの交響曲第5番は、時に「革命」と称される事もあるが、ショスタコーヴィチがそのようなタイトルを付けるはずもないので、我々がそう呼ぶのは自重した方がいい。と言うのは、確かに内容は葛藤克服型なので、ロシア革命の雰囲気を感ずる人もいるとは思うが、前記のような曲の成立過程を知れば知るほど、「革命」と言うタイトルは皮肉っぽくなる。つまりロシア革命勢力への賛辞と言うより、ショスタコーヴィチの作曲姿勢の転換・無節操な変節・体制への妥協を揶揄したものになるからだ。

彼は本当に変節したのか?いいや、そんな事はあり得ない。曲を聴けばすぐ分かるのは、これは明らかに、スターリンへの反発から生まれた曲だと言う事だ。幸い、スターリンやその取り巻きには、音楽を感じる人間がいなかったから、彼にはお咎めがなかったのだろうけど、ちょっとでも、音楽をかじった人間がいたら、隠したメッセージを指摘され、断罪され、収容所送りになったと思う。第1楽章は苦悩・苦渋・迫害を、第2楽章は諦め・自虐を、第3楽章は怨念・恨み・呪い・哀しみ・祈りを、第4楽章では爆発する怒り・反発・闘争・復活・再生を描いていると思う。

全体にビゼーの歌劇「カルメン」の音楽が見え隠れしており、特に『ハバネラ』(恋は野の鳥)が多用されている。そもそも冒頭の「苦悩動機」は『L’amour est enfant de boheme(愛はボヘミアンの子』の変型・変奏だし、練習番号9(バーンスタイン盤で4’48″)からのヴァイオリンの弾く第2主題(思い出動機)は『L’amour ! L’amour ! L’amour ! L’amour !(愛 ! 愛 ! 愛 ! 愛 !)』に基づいており(そもそも、この2つの旋律は兄弟であり、どちらが先に生まれたか分からない)、特に第1楽章のクライマックス後の練習番号39の2小節(バーンスタイン盤で13’37″)からのフルートはソロで長々とビゼーのメロディそのものを弾いているので、聴く者は誰もがこの旋律は明らかにビゼーのハバネラだと気付く。ハバネラの歌は、マリア・カラスの歌唱https://www.youtube.com/watch?v=cqbuPbCpOdoが素晴らしいが、日本のソプラノ秋本悠希の歌唱https://www.youtube.com/watch?v=xPtbfUEKPAoも負けず劣らず素晴らしい。特にピアノ伴奏が凄く柔らかく優しい。

ショスタコーヴィチが交響曲第5番にカルメンの音楽を使ったのは、「束縛される事を徹底して嫌い、自由である事を求める」カルメンと言う主人公に自分の願望を重ね合わせた結果かと思う。私はこの曲に敢えてタイトルを付けるとしたら、「苦諦怨怒(苦しみ、諦め、怨み、怒り)」とか、「面従腹背(めんじゅうふくはい)」がピッタリだと思うが、余りにあからさま過ぎるので、共産党指導部を煙に巻く謎めいたタイトル「我が闘争」あるいは「我が復活」がいいと思う。・・・いっその事、「カルメン交響曲」とか「ハバネラ交響曲」ってのはどうだろう?・・・いや、冗談です。
第4楽章はトロンボーンによる劇的な「怒り動機」の強奏で始まる。この「怒り動機(B-E-F#-G)」も第1楽章冒頭の「苦悩動機」の基となった「ハバネラ」の『L’amour est enfant de boheme(愛はボヘミアンの子)』の始まり4音(B-E-F#-G#)を短調に変化させたもので、これがコーダでは元の長調に戻り「復活動機(B-E-F#-G#」となってこの交響曲を締めくくっている。短調で音楽を始めて、コーダでその動機を長調に変化させるのは、「暗から明へ」と言う葛藤克服型の音楽では常套作曲技法である。チャイコフスキーの交響曲第5番の終楽章とまったく同じだ。

第4楽章では「怒り動機」の強奏があまりに華々しいので、聴く者はそちらに耳目が持って行かれるが、中間部(練習番号112~121)の瞑想的な音楽も忘れてはいけない。この中間部の音楽は(Wikipediaによれば)、第5交響曲の前に作曲された『A・プーシキンの詩による四つの歌曲』の第1曲「復活」の引用で、『虐げられた芸術の真価が時と共に蘇る』と言う詩の内容は、そのままスターリン圧政下の作曲者の思想と二重写しとなる。冒頭のはじめの4音に A-D-E-F と言うこの歌曲の最初の4節冒頭の音を置いてこの詩を暗示し、コーダ近くのハープをともなう旋律は「かくて苦しみ抜いた私の魂から 数々の迷いが消えて行き 初めの頃の清らかな日々の幻想が 心の内に湧き上がる」(小林久枝訳)の伴奏部の引用である。おそらくショスタコーヴィチは、この交響曲の公開によって彼の立場を回復する事が失敗した場合に、自分の秘密の信号がいつか将来的に解読される事を望んだのではないかと推察されている。ベートーベンの第九の場合はシラーの詩に「喜びの歌」を付け、高らかに声楽と合唱で歌い上げたのに、ショスタコーヴィチの場合は、プーシキンの詩を高らかに歌い上げる事など出来るはずもなく、悩み苦しんでやむなく暗号として埋め込んだと言う訳だ。

交響曲第5番は1937年11月21日、レニングラード(現サンクトペテルブルク)で、ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィルによって初演されたが、第4楽章の途中から、聴衆が興奮して立ち上がり、演奏が終わると猛烈なスタンディングオベーションとなった。同席していた作曲者の夫人は「夫への迫害に対する抗議のような拍手喝采だった。聴衆は『迫害に答えた、立派に答えた』と連呼した。作曲者が舞台に下唇を噛みながら現れたが、目には涙があふれていた」と後に述べている。この騒ぎがかえって体制への抗議活動とみなされる事を恐れた関係者が、素早く作曲者を裏口から退場させた。初演直後、作曲者は「終楽章コーダを長調のフォルティシモにしたが、もし短調のピアニッシモにしていたらどうなっていたか」とつぶやいたと言われている。

1941年ナチス・ドイツはソビエト連邦に侵攻し、瞬く間にショスタコーヴィチのいるレニングラードを包囲した。このナチスの侵略、恐怖、屈従、束縛、それに対する反抗、蜂起、勝利をショスタコーヴィチは交響曲第7番として描き、9月17日ラジオを通じて音楽を放送し、レニングラード市民、ソビエト連邦国民を鼓舞した。しかし、彼が描いたのは、反ナチズムだけではない。作品完成直後の1941年12月27日に、疎開先クイビシェフで隣人に『ファシズムとは単にナチズムを指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛であり、ソビエトの全体主義体制もだ』と語ったと言われている。

ちなみに「革命」を描いた音楽としては、ショスタコーヴィチは戦後、ソビエト指導部に強要され、1905年の「血の日曜日事件」を賛辞した交響曲第11番「1905年」を1957年に上梓・初演し、1917年の「10月革命」を賛辞した交響曲第12番「1917年」を1961年に上梓・初演している。一見(一聴)、上っ面は「革命」を描き、その「成功」を描いているように見える(聴こえる)が、深層(真相)では、彼は「革命・成功・賛辞」なんか描いていない。彼が一貫して描いているのはソビエト指導部への「苦悩・諦め・怨念・哀しみ・祈り・怒り」だ。第12番の交響曲の主題の音型Es・B・Cはキリル文字に変換すると「くそ食らえ、スターリン」が隠されていると言われている。ショスタコーヴィチは1975年に亡くなったが、もし1991年まで生き延びて、共産主義が行き詰り、ソビエト連邦が崩壊するのを目の当たりにしたらどう思っただろう。喜びと虚しさが交差してさぞ複雑だっただろうと思う。。
交響曲第12番「1917年」
ムラビンスキー/レニングラードフィル
1984.4.29ライブ録音@レニングラード
交響曲第5番
ムラビンスキー/レニングラードフィル
1984.4.4ライブ録音@レニングラード
ベートーベンの交響曲第5番「運命」がショスタコーヴィチの交響曲第5番のモデルとされるが、第1楽章主題、つまりは全曲の主題である「苦悩動機」はベートーベンの交響曲第9番の第1楽章の「天啓動機」の上下をひっくり返したものだし、緩徐楽章を第3楽章としているのも第9交響曲と同じなので、ベートーベンの両方の交響曲に影響されていると思う。ちなみにブラームスの交響曲第4番の第1楽章主題「夢動機」、つまりは全曲の主題はベートーベンの交響曲第9番の第1楽章の「天啓動機」の変型だし、はたまたブルックナーの交響曲第8番の第1楽章主題「地霊動機」、つまりは全曲の主題は、ベートーベンの交響曲第9番の第1楽章の「天啓動機」の上下をひっくり返したものだ。いかにベートーベンの交響曲第9番が西洋音楽の発展に影響を及ぼしたかがよく分かる。
また、特筆すべきは緩徐楽章(第3楽章)の美しさ、内に秘めたる情念の発露表現の力強さ、曲の構成の素晴らしさである。私は、ベートーベンの英雄交響曲(第3交響曲)の緩徐楽章(第2楽章)、ブルックナーの第8交響曲の緩徐楽章(第3楽章)、チャイコフスキーの第5交響曲の緩徐楽章(第2楽章)と合わせて交響曲における4大緩徐楽章であると勝手に称賛している(情念の発露表現で順位を付けると、爆発的なブルックナーが1位、同じく爆発的なチャイコフスキーが2位、少し控えめなベートーベンとショスタコーヴィチが共に3位)。
1954.4.3スタジオモノラル録音


ムラヴィンスキー(1904.6.4-1988.1.19)はショスタコーヴィチとお互い支え合う盟友だった。1937年に交響曲第5番を初演して以来、第6、8、9、10、12番と初演している。第5番の録音も数種類残されているが、1954年4月3日のスタジオ・モノラル録音は見過ごせない点がある。第1楽章のクライマックスで聴く者の脳天を叩くハンマーのごとく、ティンパニと打楽器群が強奏する3度に渡る「ダ・ダーン」と言う音型(練習番号36アウフタクト、練習番号37の2拍前アウフタクト、練習番号38の4拍目アウフタクト)だ。もちろんこれは冒頭の「苦悩動機」タターン(32分音符、2分音符-32分音符)の拡張なのだが、32分音符が16分音符に伸ばされたと言うだけの単純な演奏では許されない。緊張のクライマックス、この楽章の最も重要な局面なのだ。

ムラヴィンスキーの1954年4月3日の録音(冒頭から10’46″、11’03″、11’22″目)は「ダ」と「ダーン」の間の『間』が短すぎて「ダダーン」と演奏されており、迫力が全くないのだ。確かにスコアではティンパニの16分音符「ダ」(アウフタクト)と打楽器・金管楽器群のテュッティ2分音符+8分音符による「ダーン」が書かれていて(3回目は全音符+8分音符)、その間には休符がある訳でもないので、「ダダーン」と言う演奏でも譜面通りなのだが、それではダメだ、もっと『間』を取れと、曲が(音楽が)「ダ」と「ダーン」の間に『間』を入れる事を要求しているのだ。曲が(音楽が)作曲者の手を離れて、独立し、成長していく過程で、演奏家に「こうでなければいけない」と自己主張し、迫っている。その一例だ。

ブラームスの第1交響曲ほどではないがショスタコーヴィチの交響曲第5番も『間』を演奏者に要求している。初演時はそれほどでもなかったと思うが、世界中で演奏されるに従って、ここには『間』が必要なのだと、聴衆が、演奏者が、指揮者が暗黙の裡に流れを作って来たのだ。そう、音楽は生きている。これは、ベートーベンの「第九」の第1楽章のコーダで「天啓動機」を最後に念押しして明確化している所でも、直前にブレス、つまり『間』を入れた方が演奏者も、聴衆も納得できるのと同じだ。そうなのだ、音楽は生きているのだ。

初演したムラヴィンスキーも、その後バーンスタインなどの欧米の指揮者の演奏が『間』を大切にするメリハリの利いた演奏をして劇的さが大いに増しているのを聴いて(目の当たりにして)、ムラヴィンスキーも『間』を大切にし始めた。その後の演奏の録音を聴くと、バーンスタインほどではないが、それなりの「間」が取られている(ムラヴィンスキー/レニングラードフィルは、1973年、1975年、1977年、1979年と4回来日している。彼は飛行機が苦手で、シベリア鉄道と船に乗って来日していた。1973年のライブ盤ジャケットは船から降りた所を撮っている。多分新潟港だろう)。73年の来日公演ライブ盤では1回目のダダーンは少し間が取られているが、2回目、3回目のダダーンは54年のスタジオ録音と変わりない。84年のレニングラードでのライブ盤では、かなり間が取られるようになっている。
交響曲第5番
1973.5.26ライブ録音@東京
2000年CD初出
交響曲第5番
1954.4.3スタジオモノラル録音
1997年CD復刻盤

バーンスタインの弟子の佐渡 裕(さど ゆたか)は2015年のベルリンフィル客演初デビューにショスタコーヴィチの交響曲第5番を選んだ。豪放磊落なイメージの佐渡だが、このデビューは日本人らしい精緻な演奏で「間」も充分取られている。作曲者によるテンポ指示が書かれていたとされる自筆譜が失われ、出版譜の指示は写譜ミスがあると疑われている第4楽章コーダは、世界中の演奏者間で大混乱を起こしているが、佐渡のテンポは、日本人にとってはまさに正解、ど真ん中で、聴いていて何の不安も起きない。曲の最後の小節で強打するティンパニの(譜面には書いてない暗黙の)リタルダンドも日本人らしく繊細に指示されていて感動する。

ただ、問題がない訳ではない。第2楽章ではテンポを緩急変化させ過ぎていたり、ヴァイオリンソロに色を付け過ぎたり、第3楽章では精神性を高めようとしたのだろうが、石橋を叩いて渡るような慎重な音運びが裏目に出て、音楽に勢いが失われてしまっており、それが第4楽章まで、引きずられてしまい、第1楽章の問いに対する答えを雄弁に歌い上げなければいけない第4楽章が、全く迫力のない大人しい音楽となってしまっている。あまりに慎重になり過ぎて、音楽が優等生のようになり、小さくまとまってしまった。第4楽章に必要なのは、室内楽的な正確さより、大オーケストラの燃え滾る情熱だ。

ベルリンフィルのメンバーからは、「いろいろ指示されたが、何でそうするのかの説明が足りなかった」との手厳しい意見も出ており、これまでの所、再客演の要請はまだ来てない。言葉によるコミュニケーションの壁もあったと思うが、佐渡応援団としては悔しい。
交響曲第5番
佐渡 裕/ベルリンフィル
2011.5.20-22ライブ録音
@ベルリン・フィルハーモニーホール

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シベリウス:交響曲 第4/5/6/7番

第4/5番:チェクナヴォリアン/ロイヤルフィル 1976年7月スタジオ録音
第6/7番:カラヤン/ベルリンフィル      1967年4月/9月スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
ジャン・シベリウス(1865.12.8-1957.9.20)は20世紀最高の交響曲作曲家。1924年(59才)に交響曲第7番、1926年(61才)に交響詩「タピオラ」を発表した後、沈黙生活に入り、その後世を去るまでの30年間、作品を発表する事はなかった(作曲活動をしなかったのではなく、交響曲第8番を模索し続けていたと言われている)。7曲の交響曲では第3番は人気がない(昭和63年のNHK大河ドラマ「武田信玄」のテーマ曲に似た旋律が現われる)が、その他の6曲は高く評価されており、特に第7番はシベリウスの音楽の最高傑作となったばかりでなく、ベートーベンに始まった「音による思想の表現としての交響曲」の流れの最終到着点となった。短い22分位の単楽章の交響曲だが、音楽的な充実は素晴らしく、シベリウスがすべてを出し切った感がある(これが第8番を作れなかった理由だと思う)。
チェクナヴォリアンはイランの小澤征爾とも言うべきスター指揮者だ。ロイヤルフィルを振った第4番・第5番が素晴らしい。カラヤンはベルリンフィルとシベリウスの交響曲を何度も録音しているが、第3番だけは録音していない。ベルリンフィルと入れた第6番・第7番は完璧な演奏で、シベリウスが生涯をかけた音楽をまさに響かせている。
第6・7番、カラヤン/ベルリンフィル
第6番1967.4.18セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
第7番1967.9.20-21セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
第4・5番、チェクナボリアン/RPO
1976年7月スタジオ録音
バルビローリはマーラーやシベリウスの演奏で高く評価されている。手兵のハレ管弦楽団とシベリウス交響曲・管弦楽曲全集を完成した。バルビローリはそれ以前にも第2番をロイヤルフィルとも録音しており、これも名演だ。
バルビローリ/ハレ管弦楽団によるシベリウス全集
1966年1月~1970年5月 スタジオ録音
バーンスタインは1961年3月から1967年5月にかけてニューヨークフィルとスタジオ録音を重ね、交響曲全集を完成させた(ちなみに世界で初めての交響曲全集は、1961年、渡邉暁雄が日本フィルを振って入れたCBSのEpicレーベルのステレオ録音)。ニューヨークフィルの常任指揮者を辞めてからは、ウィーンフィルとの関係が強まり、コンサートのライブ録音盤でベートーベン、ブラームス、マーラーなどの名演奏を残した。このシベリウスの交響曲第2番も、その一環だが遅いテンポで(特に第2楽章、第4楽章)じっくりと歌い上げている。中でも第4楽章の盛り上げ方は見事で、感動を呼ぶ。
第2番バーンスタイン/ウィーンフィル
1986年10月ライブ録音
第2番バルビローリ/ロイヤルフィル
1960年スタジオ録音
   
   
全くの余興だが、先にシベリウスを20世紀最大の交響曲作曲家と述べたが、私の評価指標ではハイドン以降の有名交響曲(番号付き3曲以上)作曲家18人の内でべートーベンに次いで2位だ。それはヒットした名曲の絶対数、およびそのヒット率ともに、ブラームスを抜いているからだ。以下に18人の成績表を示す(前提条件:各作曲家の番号付き3曲以上の交響曲の内、私が気に入った曲をヒット曲とする)。
  ハイドン       :5曲(第94、第100、第101、第103、第104)/104曲 = 5%
  モーツァルト     :6曲(第35、第36、第38~第41)/38曲       = 16%
  ベートーベン     :9曲(第1~第9)/9曲               = 100% 
  シューベルト     :2曲(第5、第8)/8曲                 = 25%
  シューマン      :2曲(第1、第4)/4曲               = 50%
  メンデルスゾーン   :2曲(第3、第4)/5曲               = 40%
  ブラームス      :3曲(第1~第3)/4曲               = 75%
  ドボルザーク     :3曲(第7~第9)/9曲               = 33%
  ブルックナー     :3曲(第4、第8、第9)/9曲             = 33%
  チャイコフスキー   :3曲(第4~第6)/6曲               = 50%
  リムスキーコルサコフ :1曲(第2)/3曲                  = 33%
  サンサーンス     :1曲(第3)/3曲                  = 33%
  ニールセン      :1曲(第4)/6曲                  = 17%
  ラフマニノフ     :1曲(第2)/3曲                 = 33%
  シベリウス      :6曲(第1、第2、第4~第7)/7曲          = 86%
  マーラー       :3曲(第1、第2、第9)/9曲            = 33%
  プロコフィエフ    :2曲(第1、第7)/7曲               = 29%
  ショスタコーヴィチ  :3曲(第5、第11、第12)/15曲           = 20%

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クナパーッツブッシュ・ワーグナーアルバム

クナパーッツブッシュ/ウィーンフィル 1957年10月~1959年11月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
ワーグナー(1813.5.22-1883.2.13)は歌劇・楽劇の作曲・上演に生涯を捧げた巨人で、普通の劇場ではワーグナーが目指している世界を表現できないとばかりに、ワーグナーの歌劇・楽劇の上演のための専用劇場(オーケストラピットが舞台の下に潜り込んでいる)をバイロイトの丘に作り、毎年夏バイロイト音楽祭を開く伝統を打ち立てた。特に、上演に4日間を要する楽劇『ニーベルングの指輪』4部作(「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」)はヨーロッパの管弦楽伴奏付きの歌の劇の長い歴史が到達した金字塔となった。
クナ/ウィーンフィルのワーグナーアルバムでは、『ジークフリート』の「夜明けとジークフリートのラインへの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」、『ワルキューレ』の「ヴォータンの別れ」はこれ以上の演奏は望めない位素晴らしい(名作『トリスタンとイゾルデ』の「前奏曲」と「イゾルデの愛の死」がもう一つの白眉)。クナはミュンヘンフィルとも多くの名演奏を残している。
ウィーンフィル盤
もう一人のワーグナー指揮者のフルトヴェングラーもすごい録音(1938年2月~1954年3月)を残している。
フルトヴェングラー/ウィーンフィル
1949年3月、1954年3月スタジオ録音
クナ/ミュンヘンフィル盤
 
  
   
マゼールがベルリンフィルと作った「The “RING” without Words」と言う盤(1987年12月録音)が興味深い。声楽なしで管弦楽だけで『ニーベルングの指輪』のハイライトを演奏したのだ。面白い。
マゼール/ベルリンフィル
フルトヴェングラー/VPO/BPO/PO
   

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シューベルト:交響曲 第7番(ザ・グレイト)

フルトヴェングラー/ベルリンフィル 1951.11/12セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★☆☆ (第1,2楽章はいい) 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆  
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・モノラル・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★☆☆☆☆ 
フルベンのカラー顔写真は珍しい
この曲はまさに流浪の民。1828年シューベルト最後の年に作曲されたが、存命中にはついに陽の目を見なかった。1828年11月19日にシューベルトが亡くなった後、1838年シューベルトの生家を訪れたシューマンによってハ長調の交響曲の楽譜が発見され、遺作として世に出た(1838年3月21日、メンデルスゾーン/ゲバントハウス管弦楽団によって初演された)。その時までに6曲の交響曲のが発表されていたので、遺作は第7番とされた。第6番の交響曲もハ長調で作られていたので、そちらをハ長調小交響曲、この第7番をハ長調大交響曲と呼ぶようになった(「ザ・グレイト」と言うのは「偉大な」と言う意味ではなくて、単に「大きい方の」と言う意味であった)。
その後、未完のホ長調と2楽章まで書かれたロ短調の交響曲が見つかり、ロ短調は2楽章だけの交響曲「未完成」として第8番の番号を与えられた(ロ短調の初演は1865年12月17日ウィーン)。美しい旋律にあふれた「未完成」はすぐ世の中で受け入れられ、かつ、シューベルトはなぜ2楽章(正確には第3楽章の9小節の後)でペンを置いたのかと言う謎が幾多のロマンを生み、大人気となった(1933年、1959年にはシューベルトの失恋物語フィクション映画も作られた)。一方、天国的に長い第7番の人気はイマイチだった。戦後第7番が少しずつ演奏会で演奏されるようになり、そのよさが認識されるに従い、「ザ・グレイト」は曲の偉大さを表すのにぴったりな愛称となった。
シューベルト肖像画
1951年、シューベルト研究家のドイチュはシューベルトの作品がばらばらに散逸していたので、作曲年順に並べ直す作業(作品番号にあたるドイチュ番号制定)を進め、未完のホ長調を第7番とし、遺作だった「ザ・グレイト」を第9番とした。ベートーベン、ドボルザーク、ブルックナー、マーラーの交響曲も第9番で打ち止めだった事もあって、第9番は座りがよかった。
しかし、ドイチュの死後、1978年にドイチュ番号の見直しが行われ、ホ長調交響曲は自筆譜のままでは演奏できるものでない(未完の作品)として、作品リストから外される事となり、番号の玉突き降番が始まった。結果、「未完成」は第7番、「ザ・グレイト」は第8番となってしまったのだ。
私は「未完成」は第8番と言われていた時代に育ったので、この改番は未だに受け入れられない。「ザ・グレイト」も第9番のままでいいではないか。なぜ、シューベルトの名誉を下げるのか。次項、「モーツァルトの後期交響曲集」でも述べるが、モーツァルトの交響曲第37番が交響曲としては欠番となった時、第38番以降の交響曲はいずれもモーツァルトの代表作であり、曲そのものと番号とが強く結び付けられて記憶されているため、番号の降番変更がなされる事はなかったのだ。シューベルトの交響曲第7番、第8番の改番の騒動に比べれば、実に賢明な処置だ。シューベルトのケースもそう言う賢明な処置を求めたい。
あるいは、誰か「未完成」以前の時期に書かれた交響曲の完成楽譜を見つけて来て、「未完成」「ザ・グレイト」を昇番させて、元の番号体系に戻してほしい(この改番にしたがって律儀に表記しているのは日本位で、欧米では未だに「未完成」は第8番、「ザ・グレイト」は第9番と表記されている事例が多い。特に昔の番号体系時代に録音された演奏は、そのままの番号でLPやCDとなって売られている)。
「ザ・グレイト」の流転の話は置いておいて、この曲の偉大さを説明したいと思うのだが、これが難しい。発見者のシューマンが「天国的な長さ」と評したと言われているように、少なくとも冒頭からの悠然と流れる音楽を聴く限り、シューベルトは悠揚迫らない、ゆったりした時の流れを描こうとしたのは間違いない。その観点で見ると、「ザ・グレイト」は永遠の平和を描いた「未完成」第2楽章の世界を発展させたものなのだ。つまり、この2曲は繋がっているのだ。しかし、そのもくろみは達せられていない。
確かに第1,2楽章はまだその雰囲気を追求しているし、第3楽章のトリオ(中間部)のメロディーは天上の音楽のように美しい。しかし、トリオ以外の第3楽章や第4楽章は静寂な世界とは正反対の喧騒の世界だ。特に第4楽章はいつになったら曲が終わるのか、演奏するオケも「譜面をめくってもめくってもまだ続くよ」と(特にバイオリンのパート譜は12ページもある)呆れる位の長い長いうるさい音楽だ。私は、「ザ・グレイト」が「未完成」のような人気曲にならなかったのはこの喧騒の音楽のせいだと思う(ついでに言えば、ブラームスの交響曲第4番も人生の末期の穏やかな世界を描こうとしているのに、第3楽章が喧騒な音楽で、本来の意図が達成されてない。そのため人気もイマイチだ)。第4楽章の展開部の始まり部分で(第4楽章開始4分位)ベートーベンの第9の「歓喜の歌」の雰囲気を持った経過句が顔を覗かせるが、私は偶然そうなったのだと思う。シューベルトがベートーベンを尊敬していた事は事実だが、意図して(第9へのオマージュとして)取り込んだとは思わない。しかし、この事を持ってして、「ザ・グレイト」の番号を第9番にしようと言う動きになるのであれば、意図説に大いに肩を持つ。
私はこのシューベルトの交響曲第7(9)番「ザ・グレイト」と、ブラームスの交響曲第4番と、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の3曲を3大「半完成」交響曲と勝手に位置付けている。ブラームスの交響曲第4番では第3楽章が、チャイコフスキーの「悲愴」でも第3楽章がどうにもうるさくて場違いなのだ。 一応4楽章そろっているので「未完成」とは言いづらいが、曲としては道半ばではないか。だから「半完成」だと言いたい(第2楽章までしかないロ短調交響曲すなわち「未完成」交響曲が音楽的には「完成」しているのは何と言う皮肉、いやいや奇跡だ)。そんな訳で私はいつもこれらの交響曲を聴く時は第1,2楽章だけにしている。こう言う状況での再生にはLPが最適だ。1,2楽章はA面に収録されていて、3,4楽章はB面だからだ。つまり、A面だけで再生が止まるのだ。CDではこうは行かない。2楽章が終わったら、急いで意図的に再生を止めないといけない。

1952年に発売されたフルトヴェングラー/ベルリンフィル盤は悠揚迫らない、ゆったりとした時の流れを描いていて、少なくとも第1,2楽章は成功している。

1964年に発売された(昭和39年第19回文化庁芸術祭参加)ベーム/ベルリンフィル盤(1963年6月録音)ではあまり「天国的な」にとらわれず、純粋な器楽音楽として演奏している。ブラームスの交響曲第1番の項でも述べたように、ベームは、時々、能天気で、曲想に合わない音でホルンを吹かせる傾向があり、この盤でもその傾向がある。ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」の場合は曲想に合った、と言うか、曲想に助けられたホルンの演奏となっていたが、この「ザ・グレイト」では、助けられてはいない。昭和39年(1964年)第2回日本レコードアカデミー賞(交響曲部門)受賞。ジャケットデザインはテーブルクロスのような織物模様の真ん中に、ダンスをする男女のシルエットが白抜きで描かれた絵で、意味不明であり、何より曲想に合っていない。

それに反して、バルビローリ/ハレ管弦楽団盤のジャケットデザインは素晴らしい。遥かなる世界に向かって流れる大河の写真が「ザ・グレイト」の世界観を具現化しており、ジャケットデザインのお手本のようだ。バルビローリの特徴である落ち着いたテンポの演奏が「ザ・グレイト」の悠揚迫らない、ゆったりした世界、時の流れを表現している。
バルビローリ/ハレ管弦楽団盤
1964.6.2-3スタジオ録音
ベーム/ベルリンフィル盤
1963.6セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
   
さて、シューベルトの交響曲第7番「ザ・グレイト」を語る上で、避けて通れないのが日本のマーチ王古関裕而(1909.8.11-1989.8.18)が21才の1931年(昭和6年)に作ったデビュー作早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」だ。ともに主題の冒頭2小節が全く同じ旋律なのだ(発表時は第六応援歌だったが、昭和2年の慶応の応援歌「若き血」発表以来、昭和2年3年5年と負け越し中の早慶戦で早稲田を勝利に導いたとして、格上げされた)。
福島出身の古関裕而は独学で作曲を学び、リムスキーコルサコフやストラビンスキーやドビュッシーの音楽に魅了され、1929年(昭和4年)、管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』をロンドンのチェスター楽譜出版社の作曲コンクール(審査委員長ストラビンスキー)に応募し、二等入賞(20才と言うコンクール史上最年少、東洋人としても初めてと言う世界的快挙)を果たした(スコアは現在では失われている)。その位、クラシック音楽には精通していたので、シューベルトの交響曲第7番は知っていたかもしれない。
しかし、ベートーベンの第9番の世界初録音は1926年3月16-17日、ワインガルトナー/ロンドン交響楽団(ただし第4楽章の歌詞は英語)、ドイツ語歌詞による初録音は、1928年、オスカー・フリート指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団、そして今日CDでも復刻されているワインガルトナー/ウィーンフィル盤は1935年2月2-5日の録音だ。名曲中の名曲であるベートーベンの第9ですら、そういう状況なのに、果たして、1931年(昭和6年)にシューベルトの第7番のSPレコード(少なくとも5枚のSPのセット)が世の中(ヨーロッパも含めて)に出ていただろうか?SPレコードはなくても、スコアを目にした事があっただろうか?あるいはラジオ放送で冒頭だけでも放送された事があっただろうか?第7番は戦後になってようやく世の中で愛好者が増えた曲だ、古関裕而が1931年時点でシューベルトの交響曲第7番を知っていた可能性は0に近いと思う。
つまり、「紺碧の空」と「ザ・グレイト」の主題冒頭2小節が同じメロディになったのはまったくの偶然だと思う。ついでに言えば、1857年発表の「ジングルベル」の伴奏冒頭2小節と1949年封切の映画『青い山脈』の主題歌「青い山脈」(服部良一作曲)の伴奏冒頭2小節が同じなのは、偶然だとは言いがたい。なぜなら「ジングルベル」は戦前からあまりに世界中に受け入れられていたからである。西洋事情に詳しかった服部良一は当然聞いていただろう。意図したとは思わないが、頭の片隅から自然体で紡ぎ出されたとのではないかと思う。

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シューベルト:弦楽四重奏曲「死と乙女」

ブッシュ四重奏団 1936年10月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★☆☆☆ (アナログ・モノラル・スタジオSP録音)
 ・ジャケットデザイン ★★☆☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆ 
シューベルトの後期弦楽四重奏曲3曲(第13番イ短調「ロザムンデ」、第14番ニ短調「死と乙女」、第15番ト長調)の中の傑作。弦楽器を専攻する音楽学生仲間では俗に「シオトメ」と呼ばれ、愛されている。確かに歌曲「死と乙女」の美しい旋律を変奏した第2楽章の美しさ、素晴らしさには惹かれるが、私としては第15番が後のブルックナーの交響曲を予言したような雄大かつ深遠な音楽となっていて好きだ(誰かオーケストラ版に編曲してシューベルトの交響曲第9番として世に出してほしい)。
第14番「死と乙女」1936.10.16SP録音
第15番1938.11.22/30SP録音
VnIアドルフ・ブッシュとVcヘルマン・ブッシュは兄弟
シューベルトの歌曲には乙女を描いた歌が多いが、歌曲「死と乙女」もその一つ。詩はマティアス・クラウディウスによる。病の床に伏す乙女と、死神の対話を描いた作品。乙女は「死」を拒否し、死神に去ってくれと懇願するが、死神は、乙女に「私はおまえを苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と語りかける。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれている。ドイツでは、昔から「死は眠りの兄弟である」とよく言われており、ここでの「死」も一つの永遠の安息として描かれている。
第13番「ロザムンデ」
ウィーンコンツェルトハウス四重奏団盤

第14番「死と乙女」
ウィーンコンツェルトハウス四重奏団盤
  
タカーチ四重奏団盤
2006.5.22-25スタジオ録音
   
乙女を間接的に描いた歌が、歌曲「ます(トラウト)」だ。マスと言うと大きな荒々しい魚でとても乙女の感じはしないが、ここで言うトラウトはニジマスあるいはブラウントラウトの事で、日本のイワナ、ヤマメ、ヒメマスのようにきらきらと渓流にはねる華奢な魚だ。ドイツの詩人クリスティアン・シューバルトの4節の詞の3節までを使っている。詞は渓流で釣り人が業と水を濁らせて魚を釣り上げる様を歌ったものだが、第4節で「男はこのようにして乙女を惑わす。乙女は気を付けて」と最も重要なメッセージとなっているのに、シューベルトの歌曲では第4節が使われなくて、聴き手は真意を汲まないといけない難解な歌曲になっている。なぜシューベルトが作詞家が一番言いたかった第4節をカットしたのか?これこそ謎だ。私は失敗作だと思う。
シューベルトは後にこの歌曲「ます」の旋律をテーマとした変奏曲を第2楽章に持つピアノ五重奏曲「ます」を書いた。編成がピアノ+弦楽四重奏(VnI、VnII、Va、Vc)ではなく、Pf、Vn、Va、Vc、Cbと言う珍しい編成となっている。普通、コントラバス(Cb)は弦楽四重奏、五重奏系の曲には使われないが、このピアノ五重奏曲「ます」ではお呼びが掛かり、活躍できるありがたい曲となっている。
20世紀の大作曲家マーラーがシューベルトの弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」を弦楽オーケストラ用に編曲している。もともと弦楽四重奏曲なのだから、何も編曲しなくたってすんなりと弦楽オーケストラで弾けると思うが、コントラバスのパートを追加する必要があったのだろう。それと各パートも奏者が増えているのでバランスを考慮したと思われる(マーラーの交響曲はこと細かに指示が書かれているので有名)。その結果は驚くべきもので、豊かな響きの「死と乙女」が実現している。音楽がゆったりしていて、大きい。弦楽四重奏曲第15番ト長調も弦楽オーケストラ編曲版(キッシーン編曲)がある。ヴァイオリンの神様、ギドン・クレーメルがカメラータ・バルティカと入れたCDは、響きが豊かでいいのだが、テンポがあまりに遅くて、曲の持つ緊張感が失われているのが残念だ。
第15番キッシーン編曲版
クレーメル/カメラータ・バルティカ
2003.7スタジオ録音
第14番「死と乙女」マーラー編曲版
コフマン/キエフ室内オーケストラ
2003.11.27-28スタジオ録音
  
   
各パートの弦楽器を複数にすると音が豊かになる。音に艶が出る。これが「なぜオーケストラにはたくさんの弦楽器奏者が必要なのか?」と言う疑問への答えなのだ。本来弦楽器パートは5つ(VnI、VnII、Va、Vc、Cb)しかないのだから、5人の奏者でいいはずなのだ。なのに、各パートごとに複数の奏者を抱えている。現代の標準的なオケではVnI:16名、VnII:14名、Va:12名、Vc:10名、Cb:8名となっていて、弦楽器だけでも計60名の大所帯だ(これに各パート2名ずつの管楽器いわゆる2管編成の管楽器群と打楽器群を加えれば80名弱になる)。これでは、いくらスポンサーを見つけてお金を集めてもオケの運営は難しい訳だ。何故にこのようなモンスターになってしまったのか。もちろん管楽器の出す大きな音量に対抗するため(マイクもアンプもなかった時代)には、弦楽器群はそれぞれの楽器の数を増やさざるを得なかったと言う物理的な理由が大きかったと思われるが、理由はそれだけではない。それは弦楽器は同じ音を弾くにせよ、複数の楽器で奏でると、単体で弾いた時とはまるで別物の、豊かな共鳴音に支えられた艶やかな音色に変化すると言う化学変化にも似た現象が起きるのだ。弦楽合奏を楽しみ、慈しんできたヨーロッパ人はその艶っぽく変化した音色を愛して止まなかったと言う事だ。
2017年、ポケットフィルと言う基本各パート(VnI,VnII,Va,Vc,Cb,Fl,Ob,Cl,Fg,Hr,Tr,Tp)一人ずつの最小限オケ(12名)がベートーベンの交響曲全集CDを出した。確かに音の要素としては存在しているが、弦楽器群の線の細さはいかんともしがたい。管楽器と音が重なると、かき消される。無理もない、1本づつなのだ。音量が少ないのは当然としても、弦楽器だけが奏でる部分でも音に響きがない。音色に艶がない。面白いのは、第9だけオケを補強(基本の12名に加えて、VnI+2,VnII+2,Va,Vc,Fl,Ob,Cl,Fg,Hr+2,Tb,Pc+2)しているのだが、その結果は驚くべきもので、弦楽器が共鳴し合って豊かな響きの第9が実現している。音楽がゆったりしていて、大きい。これが「なぜオーケストラにはたくさんの弦楽器奏者が必要なのか?」と言う疑問への答えなのだ。
スタンゲル/ポケットフィル
ベートーベン交響曲全集
2012.5-2017.7スタジオ録音
マーラーは若い時から編曲狂だったらしく、ベートーベンの16曲の弦楽四重奏曲を全曲編曲したいと周りに漏らしていた(実際、1899年1月15日にはベートーベンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」をマーラーが弦楽オーケストラ用に編曲した版をウィーンフィルを振って初演している。またこの演奏会でチャイコフスキーの大序曲「1812年」のウィーン初演も振っている)。また、ベートーベンの第9交響曲の第4楽章の行進曲の箇所(331~429小節)をバンダと呼ばれる舞台外で演奏する別働隊に演奏させようとも考えていた(このアイディアを後にマーラーは自らの交響曲で幾度となく実現しているのが興味深い)。

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モーツァルト:後期交響曲集

ベーム/ベルリンフィル 1959.10~1966.2 セッション録音@イエスキリスト教会

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ (レタリングデザイン)
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (金箔押し文字、布張りボックス)
モーツァルトの後期交響曲6曲(第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」、第38番「プラーハ」、第39番、第40番、第41番「ジュピター」)を3枚のLPに収録した布張りボックス(6,000円)。
金箔押し文字布張りボックス
ベームはその後残りの40曲を精力的に録音し続け、1970年、ついに全46曲のモーツァルト交響曲全集を完成した(LP15枚組22,000円)。
ベームの師事したワルターは、戦前のSP時代からモーツァルトの交響曲の演奏では高い評価を得て来た。晩年コロンビア響を振ってモーツァルトの後期交響曲6曲をステレオ録音している。いずれも名演奏で、安心して聴いていられる。
ワルター/コロンビア響CD復刻盤
1960.2.26、1960.2.28-29、1959.12.2、
1960.2.20/23、1959.1.13/16、1960.2.25
スタジオ録音
ベーム/ベルリンフィルCD復刻盤
1959.10、1966.2、1961.12、1962.3セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
  
さて、モーツァルトの後期交響曲6曲(第35番ニ長調K.385「ハフナー」、第36番ハ長調K.425「リンツ」、第38番ニ長調K.504「プラーハ」、第39番変ホ長調K.543、第40番ト短調K.550、第41番ハ長調K.551「ジュピター」)について語る時、どうしても避けて通れないのが、その中に第37番ト長調K.444がなぜ入らないのかと言う問題である。
1907年、ヨハン・M(ミヒャエル)・ハイドン(有名なフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟)の研究家ペルガー(M. ハイドンの作品番号を表す「P.」は彼の名に基づく)は、それまでモーツァルトの交響曲第37番ト長調K.444として知られていた作品は、M. ハイドンが1783年5月に作曲した交響曲第25番ト長調P.16にモーツァルトが作曲した序奏を付け加えたにすぎないものだと言う研究結果を発表した。
これを受けて1964年に刊行されたケッヘルカタログ第6版では、この序奏のみをモーツァルトの作品として記載し、ケッヘル番号も従来のK.444からK.425a/Anh.A53(Anh.は断片などを表す)へと変更された。また、第38番以降の交響曲はいずれもモーツァルトの代表作であり、曲そのものと番号とが強く結び付けられて記憶されているため、番号の降番変更がなされる事はなく、交響曲第37番は欠番となった。前々項で述べた、シューベルトの交響曲第7番、第8番の改番の騒動に比べれば、実に賢明な処置だ。シューベルトのケースもそう言う賢明な処置を求めたい。

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モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番、第24番

ハスキル/マルケヴィッチ/ラムルー管弦楽団 1960年11月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆  
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆ 
1960.11.14-18 スタジオ録音
1977年再発売LP盤
モーツァルトのピアノ協奏曲 第20番(二短調 K.466)と 第24番(ハ短調 K.491)は モーツァルトの全27曲のピアノ協奏曲の中では短調で書かれた異色の傑作。この2曲に加えて、第21番(ハ長調 K.467)と第25番 (ハ長調 K.503)と第27番 (変ロ長調 K.595)の3曲を加えて、私は勝手にモーツァルトの5大ピアノ協奏曲と呼んでいる。 第21番と第25番は共にハ長調で明るく、それぞれの前作の音楽(共に短調)の暗く重い空気を一掃するかのような明るく元気付けられる曲だ。第21番の第2楽章は1967年のスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」に使われ一層有名となった佳曲。 第25番の第1楽章では後のベートーベンの「運命の動機」と同じリズムを持つ動機がここかしこに顔を出し、興味深い。第27番はモーツァルトの短い生涯の最後の年(1791年)の初頭に書かれた曲で、苦しい生活の中で作曲された。全体はまるで天上の音楽のように平穏で優美なのだが、時おり寂しさが顔を覗かせ、人生への告別とも言える音楽だ。第3楽章の旋律を基に歌曲「春への憧れ」(K.596)が作られた。
モーツァルトのピアノ協奏曲 第20番と第24番はハスキルがマルケヴィッチ/ラムルー管弦楽団と入れた名盤があり、深遠な音楽をきっちりと演奏していて、非の打ちようがない。第21番と第25番はイギリスのピアニスト、アンバーチェが自身の室内オケを弾き振りして入れた演奏が素晴らしい。第27番はベートーベン弾きとして知られたバックハウスがベーム/ウィーンフィルと入れた名盤がある。
第27番
バックハウス/ベーム/ウィーンフィル
1955年5月スタジオ録音
1996年再発売CD
第21番、第25番
アンバーチェ/ アンバーチェ室内管弦楽団
1990年1月スタジオ録音
1998年発売CD
バックハウスの弾く第27番には1956年1月の第1回ザルツブルグ・モーツァルト週間にベーム/ウィーンフィルと共に出演したライブ録音(1956年1月29日)盤もある。ここではバックハウスはベートーベンの音楽のような均整の取れた絶対音楽として演奏しているが、ベームはロマン派のような優美さを追求している。両者の解釈の違いがぶつかっていて、緊張感があって興味深いが、素直に音楽を楽しめない演奏だ。

ウィーンのピア二スト、グルダが1963年6月に第21番、第27番をスワロフスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団と入れた盤は実に面白い。グルダはクラシックのみならずジャズも達者で、アドリブの才に長けているのだが、この演奏でもカデンツァのみならず、オケのみの場面でもアドリブでメロディーを追加し、まさにオケと協奏している。指揮者のスワロフスキーは『モーツァルトの時代では、独奏が休みでオケのみが演奏していても、独奏者に振り当てられた通奏低音をアドリブで演奏していたので、独奏者は休む間がなかった。こうした習慣がなくなった事が協奏曲像を本質的に変えてしまった』と述べている。彼が振っている ウィーン国立歌劇場管弦楽団は、コンサートを自主開催する時にはウィーンフィルと名乗るが、レコーディング契約上そう名乗れない場合、本来の職責上の名前で出ている。ちなみにこの盤は日本でしか販売が許されていない。いろいろ契約上のしがらみがあるのだろう。
第21番、第27番
グルダ/スワロフスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団
1963年6月6日スタジオ録音
1997年発売CD
第27番
バックハウス/ベーム/ウィーンフィル
1956年1月29日ライブ録音
1995年発売CD
ハスキル/マルケヴィッチ/ラムルー管弦楽団盤は1995年にCDで再発された。ジャケットの2人の姿はLPの写真と同じ時に撮られたものだが、LPの方は第20番と第24番の曲想にふさわしく、厳しくスコアを検討している様子が写されているが、CDの方はマルケヴィッチがハスキルの肩に手をかけて暖かい雰囲気の中でスコアを検討している感じが出ていて、中々いい。
第20番、第24番
ハスキル/マルケヴィッチ/ラムルー管弦楽団
1960.11.14-18 スタジオ録音
1995年再発売CD

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貴志康一:「仏陀」交響曲

小松一彦/サンクトペテルブルク交響楽団 1994年4月 ライブ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ (日本の誇り)
 ・演奏のよさ     ★★★★★  
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (デジタル・ステレオ・ライブ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ 
サンクトペテルブルク盤
1994.4.11-12ライブ録音
ヴァイオリニスト・指揮者・作曲家であった貴志 康一(1909.3.31-1937.11.17)の代表作。と言っても、ほとんどの日本人は貴志 康一を知らない。大阪で名家に生まれ、9才で芦屋に移り、14才からヴァイオリンを習い、16才でヴァイオリニストとしてデビュー(よほど才能に恵まれていたと思われる)、17才で渡欧、ジュネーブ音楽院に入学、19才でベルリン高等音楽学校に入学、有名なヴァイオリニスト、カール・フレッシュに師事。3度の渡欧の中でも最後の1932年-1935年(23才~26才)のベルリン時代は作曲家・指揮者としてとして活躍、多くの自作曲をベルリンフィルやウーファ交響楽団を振って初演した(1934-1935年3月、ドイツテレフンケン社に自作小品19曲をベルリンフィルを振って録音)。ちなみにベルリンフィルを最初に振った日本人として名前が残っているのは作曲家・指揮者の近衛 秀麿(1898.11.18 – 1973.6.2)で1924年、25才の時。初舞台にカリンニコフの交響曲第1番を選んでいるのは大冒険。
ベルリンフィルを振った自作自演盤
交響組曲「日本スケッチ」全曲(市場、夜曲、面、祭り)
大管弦楽のための「日本組曲」より「道頓堀」「花見」
1934-1935.3SP録音
貴志 康一は1935年5月に帰国して、近衛 秀麿が作った新交響楽団(N響の前身)の指揮者として日本楽壇にデビュー。ベートーベンの「第九」(日本初の暗譜指揮による「第九」演奏)などで絶賛を浴びた。当時はドイツでの作曲家としての活躍は知られておらず、日本では指揮者として有名になったが、1936年、日中戦争が始まり、世の中が騒然とする中、虫垂炎で倒れ、1937年、腹膜炎で帰らぬ人となった(28才)。その後、太平洋戦争もあって、完全に忘れ去られてしまった。作曲家・瀧 廉太郎(1879.8.24-1903.6.29)と似た悲しい生涯だ。

彼が、もし病気にかからず、戦後まで生きていたなら、日本の音楽事情、楽壇は、まるで違ったものだっただろう。小澤征爾など、戦後、世界の楽壇に羽ばたいた若者が生まれたが、その飛び出す基盤がもっと堅固で、世界からの評価も高かったと思う。残念だ。
交響曲「仏陀」は1934年11月18日、作曲者自らベルリンフィルを指揮して初演している(日本での初演は1984年9月13日、小松 一彦/関西フィルハーモニーによる)。釈迦の生涯を描こうと、インドを意識して作曲されたと思うが、東洋風ではあるがインドの雰囲気はなく、美しさ、繊細さ、儚さ、抒情性にあふれた日本風な音楽となっている。特にヴァイオリンソロが歌うメロディは心がとろけるほど美しい。ヨーロッパでは、すでに12音技法など新しい潮流が巻き起こっていたが、貴志 康一はそれに影響されることなく、後期ロマン派の伝統を受け継ぎ、感動的な音楽を残した。この交響曲は私の好きな交響曲20傑に入る(20傑はこの項の最後に挙げる)。全楽章、素晴らしい音楽で溢れているが、特に全曲の終わり、つまりは第4楽章のコーダが素晴らしい。これは、ブルックナーの交響曲第9番の終わり、この交響曲は未完成交響曲で第3楽章までしかないのだが、つまりはそのコーダに勝るとも劣らない出来栄えだ。特に金管楽器を弱音で鳴らす鳴らし方が、ブルックナー、ワーグナー張りで、感動を禁じ得ない。
サンクトペテルブルク響はソビエト連邦時代はレニングラード交響楽団と呼ばれていて(ムラヴィンスキーの育てたレニングラードフィルは共にレニングラードフィルハーモニア協会所属の兄弟楽団)、レニングラード放送のオーケストラだった。第2次世界大戦で、レニングラードがナチスドイツ軍に包囲されて孤立した中、ショスタコーヴィッチの交響曲第7番「レニングラード」を初演・放送し、市民や兵士を激励した。サンクトペテルブルク響の「仏陀」交響曲の演奏については、小松 一彦/東京都響の「仏陀」交響曲演奏会(1987年1月)のライブ盤と聴き比べると、オケの実力が明確に分かる。都響はもちろん日本人団員が多いが、アンサンブルは荒く、繊細さに欠ける。それに比べてサンクトペテルブルク響は曲の持つ美しさ、繊細さ、儚さ、抒情性を実に上手く表現しており、日本のオーケストラなのではないかと思わせる位、日本的な演奏と響きで、聴く者を魅了する。オケの実力が凄い。安定している。特にコンサートマスターのヴァイオリンソロが、切なく美しい。
ジャケットデザインは明治の高名な日本画家・狩野 芳崖の「悲母観音」の一部を使っているが、貴志の音楽には少し合わない気がする。貴志の音楽は自然を描いたものなので、仏像をジャケットデザインにダイレクトに取り入れない方がいいと思う。1987年1月に小松 一彦/東京都響で行われた「仏陀」交響曲演奏会のライブ盤も、東大寺大仏(なぜか左右逆になっている)をジャケットデザインに取り込んでいるが、曲の持つ美しさ、繊細さ、儚さ、抒情性が微塵も感じられず、落第だと思う。1990年4月に数住 岸子(バイオリン)/小松 一彦/東京都響で行われたヴァイオリン協奏曲演奏会のライブ盤は吉野の千本桜のような風景写真を使っているが、「仏陀」交響曲もこう言う抒情あふれる絵画か写真を使ったジャケットデザインの方がいいのではないか?
ヴァイオリン協奏曲
1990.4.5ライブ録音
東京都響盤
1987.1.16ライブ録音
最後に、私の切なる願いを書いておこう。残念な事に、貴志 康一の伝道師を自認していた小松 一彦は2013年に65才で病気で亡くなってしまい、以来、貴志の音楽を世界に広めようとして奔走してくれる指揮者が出て来てないのが現状である。私は、少なくとも日本のすべての指揮者は、貴志の音楽、特に「仏陀交響曲」と「日本スケッチ」を必ず年に1回は演奏会に取り入れる位の気概を持っていただきたい。これは、日本人音楽家としての義務であり、責任である。2034年は「仏陀交響曲」の初演100周年なので、大々的に、日本のみならず、全世界で取り上げてもらいたい。
ここで、私の好きな交響曲ベスト20を挙げる。

  ①ベートーベン    交響曲 第9番
  ②ブラームス     交響曲 第1番
  ③ブルックナー    交響曲 第8番
  ④マーラー      交響曲 第2番「復活」
  ⑤R.シュトラウス   アルプス交響曲

  ⑥シューベルト    交響曲 第8番「未完成」
  ⑦ブラームス     交響曲 第3番
  ⑧ブラームス     交響曲 第2番
  ⑨ベートーベン    交響曲 第5番「運命」
  ⑩ベートーベン    交響曲 第3番「英雄」

  ⑪貴志康一      交響曲「仏陀」
  ⑫シベリウス     交響曲 第7番
  ⑬シベリウス     交響曲 第6番
  ⑭チャイコフスキー  交響曲 第4番
  ⑮チャイコフスキー  交響曲 第5番

  ⑯ショスタコーヴィチ 交響曲 第5番
  ⑰ドヴォルザーク   交響曲 第9番「新世界より」
  ⑱ドヴォルザーク   交響曲 第7番
  ⑲ベートーベン    交響曲 第6番「田園」
  ⑳シベリウス     交響曲 第5番

上記以外にも好きな曲は多いが、順番を付けるほどでもないので、以下に順不同で挙げる。

ベートーベン:交響曲 第4番、第7番、第8番、第1番、第2番; ベルリオーズ:幻想交響曲; ブルックナー:交響曲 第4番、第9番; マーラー:交響曲 第1番、第9番; シベリウス:交響曲 第1番、第2番、第4番; ドヴォルザーク:交響曲 第8番; シューベルト:交響曲 第5番;メンデルスゾーン:交響曲 第3番「スコットランド」、第4番「イタリア」; サンサーンス:交響曲 第3番;ビゼー:交響曲 第1番; フランク:交響曲; チャイコフスキー:交響曲 第6番「悲愴」;ショスタコーヴィチ:第12番「1917年」;プロコフィエフ:古典交響曲

ここにはハイドン、モーツァルトの交響曲が入っていない。もちろん、ハイドンの「軍隊」や「時計」、モーツァルトの第25番、第29番、後期交響曲集は大好きだ。しかし、ハイドン、モーツァルトの交響曲は、私が交響曲に抱く思想の器としては一時代古いものなので、挙げなかった。私が交響曲に求める思想と言うのは、「交響曲は人の心、人の喜怒哀楽、人生を表すものでなければいけない」と言うものだ。これはベートーベンが交響曲に託した理念そのもの、別の言葉でいえば「ベートーベン教の教義」そのものである。

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ヴィヴァルディ:合奏協奏曲集「四季」

アーヨ/イ・ムジチ 1959年4月/5月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ (華麗)  
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★☆ (見開きジャケット、全曲スコア付) 
「四季」の演奏でヴィヴァルディを一躍有名作曲家にしたイ・ムジチ(音楽家たち)合奏団。1952年にローマの聖チェチーリア音楽院の卒業生12名が集まって結成したヴァイオリン6挺、ヴィオラ2挺、チェロ2挺、コントラバス1挺、チェンバロ1台の室内アンサンブル。イタリアの大指揮者トスカニーニは、イ・ムジチ合奏団デビュー直後のリハーサルに遭遇、「素晴らしい!音楽はまだ死んでいなかった!」と絶賛。
イ・ムジチはコンサートマスターが変わる度に「四季」を録音して来ている。
 ①フェリックス・アーヨ    (1955年7月/モノラル録音)  フランスACCディスク大賞
 ②フェリックス・アーヨ    (1959年4~5月/ステレオ録音)世界で爆発的に売れたベストセラー
 ③ロベルト・ミケルッチ    (1969年9月/ステレオ録音)  日本初のクラシックミリオンセラー
 ④ピーナ・カルミレッリ    (1982年7月/ステレオ録音)  1983年、世界で累計1000万枚達成
 ⑤フェデリーコ・アゴスティーニ(1988年7月/ステレオ録音)
 ⑥マリアーナ・シルブ     (1995年8月/ステレオ録音)
 ⑦アントニオ・アンセルミ   (2012年1月/ステレオ録音) 2019年7月、来日公演前に急逝
イ・ムジチを世界的メジャー・アーティストにしたのはアーヨがコンマスの1959年盤。このLPはステレオ再生装置ブームとあいまって全世界で爆発的大ベストセラーとなり、ステレオの置いてある家庭には必ず常備されていたと言われる。続くミケルッチがコンマスの1969年盤は日本のクラシック界で初のミリオンセラー。1995年の時点で日本でのイ・ムジチ「四季」の歴代売り上げ合計は280万枚に達した。
ポップス界では1つの国でミリオンセラーを達成するアルバムは年に数多く出るだろうが、クラシック界ではそうは行かない(日本のクラシック界では1万枚も売れれば大成功と言われている)。ところが、このLPは世界で爆発的に売れたのである。それまで、バロック音楽作曲家の一人でしかなかったヴィヴァルディを一躍有名人にしてしまった。何がそんなに成功させたのか?四季と言うタイトルがよかったのか?四季を描いた音楽がよかったのか?四季の様子を描いたジャケットデザインがよかったのか?イ・ムジチ(音楽家たち)と言うイタリア語の響きがよかったのか?ステレオの再生装置は買ったものの、再生するレコードに何を買えばいいのか分からない中でBGMのようなこの音楽がぴったりマッチしたせいか?とにかくクラシックにあまりなじみのない多くの客もこのLPを買ったと言う事だ。
  
とは言うものの、アーヨの1959年録音盤が出た1959年/1960年の日本では、大卒サラリーマンの平均初任給は12,000円~13,000円位と推測される(ちなみに2012年は201,800円、2019年は210,200円)。今の時代(2020年)に換算するとアーヨの1959年盤(2,000円)は32,000円~35,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。
一方、ミケルッチの1969年録音盤が出た1969年の日本では、大卒サラリーマンの平均初任給は34,100円、1970年は39,900円で、今の時代(2020年)に換算するとこのミケルッチの1969年盤(2,300円)は12,000円~14,000円位に相当し、頑張れば買える物になっていた(これが日本でアーヨ盤でなく10年遅いミケルッチ盤がミリオンセラーとなった理由と思われる)。日本経済が世界に追い付いた証かもしれない。
アーヨ盤の復刻CD
ミケルッチ盤
1969スタジオ録音
  
余談だが、これまでに一番売れたクラシックのアルバムは、1981年に発売されたルイス・クラーク指揮ロイヤルフィルの「Hooked on CLASSICS(クラシックに夢中)」と言うアルバムだ。ジャズやロックになくてはならないドラムスのビートに乗せてクラシックの名曲のさわりをメドレーで(切れ目なく繋げて)演奏すると言う突拍子もない素晴らしいアイディアによりマルチミリオンヒットとなった(世界で最も売れたクラシックアルバムとしてギネスブックで認定されている)。
小澤征爾ニューイヤーコンサート
2002.1.1.ライブ録音
@ムジークフェライン
Hooked on CLASSICS
  
2002年の元旦の小澤征爾指揮ウィーンフィルニューイヤーコンサートのライブCDも日本でミリオンセラーを達成した。ニューイヤーコンサートは毎年元旦に全世界にTVで実況生中継される人気行事であり、21世紀を迎え各家庭には音響機器があまねく普及しており、3,000円のCDの値段は相対的に下がっており、イ・ムジチの四季の出た当時とは比較にならない好環境。その上日本人指揮者初のニューイヤーコンサート登場と言う記念すべき演奏会のライブとあって、日本では爆発的に売れた(とは言いつつも、実は80万枚で、2002年の暮れに売り出された小澤征爾指揮サイトウキネンオーケストラの第9と合わせてようやくと言う噂話もある)。

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レスピーギ:交響詩「ローマの松」

トスカニーニ/NBC交響楽団 1953年3月 放送用ライブ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ 
 ・録音/臨場感    ★★☆☆☆ (アナログ・モノラル・放送用ライブ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★☆☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆
レスピーギの交響詩ローマ3部作:「ローマの泉」(1916年作曲)、「ローマの松」(1924年作曲)、「ローマの祭」(1928年作曲)はどれも傑作だが、中でも「ローマの松」が一番作りがよく、人気がある。4つの部分からなり、それぞれに①ボルジア荘の松、②カタコンブ付近の松、③ジャニコロの松、④アッピア街道の松、と言う表題が付いている。それぞれの雰囲気や風景、歴史に思いを馳せた情景など、繊細で抒情的な音楽から、雄大・勇壮な音楽まで振れ幅が大きく、バンダと呼ばれる舞台外で演奏する別働隊も加勢し、管弦楽の醍醐味が味わえる。
トスカニーニ盤
1951.12.17、1953.3.17、1949.12.12放送録音
アンセルメ盤もカラヤン盤も「ローマの泉」と「ローマの松」を入れているが、「ローマの祭」は入れていない。「ローマの祭」は音楽的に完成度が低いと思われているのか、人気がない。
カラヤン/ベルリンフィル
1977.12-1978.1録音
アンセルメ/スイスロマンドO
1963.1録音
ジャケット写真は「トレヴィの泉」
    
トスカニーニ/NBC響
1985年発売初復刻CD3500円
アンセルメ/スイスロマンドO
1963.1録音17cmLP
ジャケット写真は「アッピア街道と松並木」

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ベートーベン:交響曲 第6番「田園」

マゼール/ベルリンフィル 1959年11月、1960年3月/4月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ (若々しい、正統派)
 ・録音/臨場感    ★★★☆☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★☆☆☆
1964年(中学3年生)のクリスマスにポータブルステレオを買ってもらい、さっそく雪の降る夕方、町のレコード店に一人で行き、初めて買った25cmLP。初ベートーベン、初交響曲。「田園」と言うタイトルとジャケットの田園風景写真がマッチしていて引き付けられ、値段が1,200円と割安(30cmLP通常盤は1,800円)だったのでよし買おうと決めた。とは言え、当時大卒サラリーマンの平均初任給は21,000円位(ちなみに2012年は201,800円、2019年は210,200円)だったから、今の時代(2020年)に換算するとこのLPは12,000円位に相当し、中学生にとっては実に贅沢な買い物だった。

もちろん私はクラシック音楽の初心者であったので、演奏の良し悪しも分からなかったし、ベルリンフィルと言うオケも知らなかったし、マゼールと言う指揮者に付いても何も知らなかった。ジャケットデザインに惹かれて買った訳だが、今から思うと幸運な出会いだったと思う。何事にも初体験と言うのは人間にとって大事な事であり、刷り込み現象でその後の人生の方向が決められてしまう事すらある。これはクラシックの音楽にも言える事で、最初に聴いた演奏が、その人にとっての基準となりうるのだ。特に繰り返し聞くレコードの選択は非常に重要だ。私が幸運だったのは、①交響曲であった事、②ベートーベンの「田園」であった事、③マゼールの演奏であった事の3点である。

①に付いては、ピアノ曲であっても、バイオリン曲であっても、協奏曲であっても、交響曲以外の管弦楽曲であっても、何ら不思議はない。我が家にはピアノなんてぜいたく品はなかったが、「エリーゼのために」や「乙女の祈り」などは耳にしてはいた。小学校の下校時のBGMは「マドンナの宝石」間奏曲だったし(登校時も鳴っていたと思うが、はっきりしていない。ペール・ギュントの「朝」だったかも)、小中学校の音楽の時間の音楽鑑賞では「ペルシャの市場にて」や、「魔法使いの弟子」や、「ウィリアム・テル」序曲などを聴いて、魅せられていたので、そう言う管弦楽曲のレコードを探してもよかったと思うが、やはりガラスの陳列棚に神々しく飾ってあった交響曲のレコードとそのタスキに書かれた誘惑的な一文に惹かれたのはしょうがないかなと思う。「交響曲」と言う言葉の魔力もあったかもしれないが、この選択により私の交響曲好きが決定的になった。

②に付いては、モーツァルトの「ジュピター」であっても、シューベルトの「未完成」であっても、ドボルザークの「新世界より」であっても、チャイコフスキーの「悲愴」であっても不思議ではないが、やはりベートーベンと言う名前に惹かれていたのだろう。中でも「運命/未完成」と言う最強カップリングの鉄板レコードが陳列棚の中で輝いていた。したがってこれを買ったとしても何ら不思議はない。しかし、魅かれるようなジャケットデザインではなかったのだろうし、何よりも高いと感じたのだと思う。標準盤であっただろうから1800円はしたと思う。いくら世間に疎い中学生であっても、その隣に1200円のレコードがあったら、そっちを検討するだろう。その上、ジャケットデザインがフィーリングに合ったから、決めたと思う。「田園」でよかったと思うのは、この曲があまり指揮者の演奏スタイルに左右されないと言う点だ。「運命」や「英雄」や「合唱」や「新世界から」や「悲愴」では、指揮者の主張が強く出て、演奏スタイルも違っていただろうし、結果、その後の私のクラシック音楽の好みが曲げられたかもしれないからだ。

③に付いても、フルトヴェングラーやトスカニーニの指揮による演奏ではその後の演奏スタイルの私の好みが変わっていたかもしれない。これは後になって認識したのだが、幸運な事にマゼールの演奏は若々しく溌溂とした正統的な演奏だったと言う事だ。これで、私のクラシック音楽の基準点が世の中の標準点に一致したと思う。私は毎日学校から帰ったら一度は聴いた。休みの日は朝・昼・晩と3度は聴いた。刷り込まれる筈だ。やがて歯笛で全曲口ずさぶようになった。
マゼール/ベルリンフィル盤
ワルターは、戦前のSP時代から田園交響曲の演奏では高い評価を得て来た。1936年にウィーンフィルを振って入れた盤は録音もそんなに悪くないし、演奏は早めのテンポで颯爽としている。しかし曲の最後(つまりは第5楽章の最後)の二つの和音が短いのが気になる。せっかく第5楽章でゆったりとしたのどかな田園の気分を表出したのに最後が「タ・タン」とせかせかした和音で締めくくるのは、それまでの素晴らしい演奏を台無しにしている。1958年にコロンビア交響楽団を振って入れたステレオ録音盤は名盤の誉れが高いが、曲の最後の和音は、ウィーンフィル盤よりかは長めだが相変わらず「タン・タン」と短めだ。ここはやはり「タン・ターン」とゆったりと曲を終えてほしいものだ。
ワルター/コロンビア響
1958.1スタジオ録音
ワルター/ウィーンフィル
田園交響曲:1936.12.17-18 録音
レオノーレ序曲:1936.5.21 録音
フルトヴェングラーの演奏では戦後戦犯容疑が晴れて音楽界に復帰したコンサート(1947年5月25日)のライブ録音がある。がれきの残るベルリンでベルリンフィルを振って(フィルハーモニーホールは爆撃で吹き飛ばされていたので)ティタニア・パラストと言う劇場で行われた。聴衆も、楽員も総立ちで彼を迎え、復帰を喜ぶ会場の熱気がよく記録されている。第5楽章の後半ではテンポがゆっくりとなり、曲の最後の和音は、「タン・ターーン」と実にゆったりと曲を結んでいる。1952年11月にウィーンフィルを振って入れたスタジオ録音盤でも、最後の和音は「タン・ターーン」と終えている。
  
フルトヴェングラー/ウィーンフィル
1952.11スタジオ録音
フルトヴェングラー/ベルリンフィル
1947.5.25復帰演奏会第1夜ライブ
ワルターの弟子のベームも名演奏を残している。晩年の1977年3月ウィーンフィルと日本公演を行った時の「田園」の名演奏が今でも語り継がれている。最後の和音は「タン・ターン」と正統派。
ベーム/ウィーンフィル
1977.3.4ライブ録音
ベーム/ウィーンフィル
1971年スタジオ録音
カラヤン/ベルリンフィルの1962年2月の録音は『氷上を疾走する戦車のよう(に滑らか)』と揶揄された位、スピーディで流麗な「田園」となっている。最後の和音は「タン・ターン」と正統派。
  
マゼール/ベルリンフィル
1958.5/6 1959.11 1960.3/4スタジオ録音
2006年復刻CD
カラヤン/ベルリンフィル
1962.2.13/15セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
1995年CD再発売
LP時代からCD時代になって、マゼール盤もCDで再発売された(2006年)。しかも第5番「運命」とカップリングされていた。第5番も録音していたのだ(1958年5月/6月録音)。演奏は第6番「田園」と同様、若々しく、さっそうと、しかも正統的。聴いていて爽快だ。私にとってはかけがえのない「運命/田園」のCDだ。ちなみにマゼールの「田園」の最後の和音は「ターン、ターーン」とゆったりと丁寧に鳴らしており、余韻が素晴らしい。
Symphony(英)、Sinfonie(独)、Sinfonia(伊)に「交響曲」もしくは「交響楽」と言う文字を充てたのは森鴎外と言われているが、これが日本人にとっては大きな福音であり、同時に十字架をも負わせる事となった。福音と言う意味では、よくぞ「交響」と言う2文字を考え出したと思う。Symphonyを直訳すれば「共音」で、少しひねれば「共響」までは思いつくが、キョウキョウと音がダブり、重々しさに欠け、威厳が足りない。さらに一ひねりした「交響」がいかに意味深で、威厳に満ちているか。「交響曲」と言う言葉は、中学生だった私にも心に響き、納得させられたのだ。十字架と言う意味では、単なる管弦楽による組曲に過ぎないのに、交響曲と言われると、背筋をきちんと伸ばして、真剣に聴かなければいけないような気にさせる文字列になってしまった事だ。これが、クラシック音楽を堅苦しいものだと多くに人々に印象付けてしまった。その結果クラシックは音楽愛好家の中でもマイナーな音楽ジャンルになってしまったのではないか。

もっとも、クラシック音楽、特に「交響曲」を難解な音楽作品だと思わせる原因を森鴎外ひとりに負わせるのは酷であろう。Museすなわち音楽と言う位だから、本来たのしい娯楽の一分野に過ぎなかったものに、思想を持ち込んで哲学にしてしまったそもそもの張本人がいるのである。それがクラシック音楽を芸術の域にまで高めたベートーベンである。ベートーベンは自身の類い稀な創造力によって、音楽の持つ力を世界に証明して見せた偉大な芸術家なのだが、同時に音楽を自己の思想を表現する道具にしてしまった。特に「交響曲」をまるで哲学書のようにしてしまい、「交響曲」を人間の楽しみから遠く離れた存在にしてしまった。「交響曲」を作曲できなければ一流の作曲家と認められないと言う偏った考え方を音楽界に残してしまった。

もちろん、その目標に向けて多くの作曲家が「交響曲」を洗練させ、昇華させ、まさに人類の宝と言うレベルまで高めた事は間違いない。シューベルト、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ドボルザーク、シベリウス、R.シュトラウス、ショスタコーヴィチと偉大な作曲家が後に続いたのも事実である。しかし、ベートーベンの始めた道はそこまでだったと言うのは酷だろうか?思想を盛り込む器としてはやりつくしてしまった。あまりの堅苦しさに大衆が付いて来なくなった。「交響曲」よりももっと思想を表現する手段が表れた。クラシック音楽よりももっと音楽を楽しく発する場が出来た。

現代音楽が袋小路に陥り、クラシック音楽の愛好者が偏り、スター演奏家以外は苦しい生活を余儀なくされる世界になった。まさか、このような世界が来るとは、Symphonyに思想を持ち込んだベートーベンも、Symphonyに「交響曲」と言う威厳ある訳語を与えた森鴎外も想像すらできなかったのではないか・・

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ドヴォルザーク:交響曲 第9番「新世界より」

ケルテス/ウィーンフィル 1961年3月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ (若々しい、正統派)
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★★ (見開きジャケット・全曲スコア付)
英デッカはウィーンフィルを新鋭指揮者ケルテスに振らせて「新世界交響曲」をステレオ録音(1961年3月)した。その5年前にはもう一人の新鋭指揮者クーベリックで、「新世界交響曲」をステレオ録音(1956年10月)していた。いずれも東欧の出身で、演奏も優劣付け難く素晴らしかったが、日本のロンドンレーベル(キングレコード)では録音時期の5年の差を重視したのか商品としての扱いに差があった。1964年秋、グラモフォンからはカラヤンのグラモフォン専属デビュー盤としてベルリンフィルを振って入れた「新世界交響曲」(1964年3月録音)が華々しく売りに出され(1,800円)、ロンドンレーベル(キングレコード)は対抗馬を立てる必要があった。そこでケルテス盤を豪華見開きジャケット・全曲スコア付と言う破格の仕様で大々的に売り出した(2,000円)。一方クーベリック盤はすでに通常盤で出されていたが、同時期にスタートした廉価盤(1,200円)シリーズの第3弾として売られた。
その後、ケルテスにはロンドン響を使ってドボルザークの全交響曲9曲の全集を録音させ、破格の待遇だった。しかし、働き盛りの1973年4月にイスラエルの海岸で遊泳中事故死した。一方クーベリックはマーラーの交響曲の啓蒙に努め、グラモフォンでマーラーの全交響曲10曲の全集も完成させ、マーラー演奏の第一人者となった。長い間ソビエト支配のチェコから亡命していたが、ソビエト崩壊の後、故郷プラハの「プラハの春音楽祭」に招かれ(1990年5月12日)、スメタナの「我が祖国」全曲を演奏し、故郷に錦を飾った。
     
クーベリック盤
カラヤン盤
1964.3.4-5セッション録音
@ベルリン・イエスキリスト教会
「新世界交響曲」のジャケットデザインには概ね4種類ある。
  
  ①作曲者もしくは指揮者の肖像画あるいは写真
  ②マンハッタンの摩天楼群の風景写真
  ③自由の女神の写真
  ④蒸気機関車(SL)の絵・写真

果たして、これらは適切なのか?検証してみたい。作曲者もしくは指揮者の肖像画あるいは写真は、その作曲者もしくは指揮者が有名でかつハンサムであれば、至極当然で、疑問はない。しかしドボルザークはリスト、ブラームス、チャイコフスキーほどは美男子ではないので、ドボルザークの肖像画や写真を使ったジャケットを見た事がない。指揮者の写真もカラヤンあるいは若い時のバーンスタイン以外はあまり使われていない。とにかく「新世界交響曲」のジャケットは②、③が圧倒的に多い。
摩天楼群に付いては、ドボルザークがニューヨーク音楽院院長となってニューヨークに赴任した1892年9月~1895年4月は、ちょうど高層建築の始まりの時期で(高層建築の第1号は1890年に建てられたニューヨークワールドビル106mだと言われているが、1955年に取り壊され今は残っていない。今も残るクライスラービル77階318mの完成は1930年、エンパイヤステートビル102階381mの完成は1931年)で、赴任時は2~3の高層ビルは建っていた、あるいは建設中であったと思われる。当然、国連ビルや、2001.9.11同時多発テロで倒壊したワールドトレードセンターが写っている写真は先走りし過ぎているが、違和感はそれほど感じない。それ位ドボルザークの音楽はモダンだったと言う事か。
カラヤン/ベルリンフィル
EMIへの4チャンネル録音1977.1
2チャンネルダウンステレオ盤1977発売
ケンペ/ロイヤルフィル盤
1963年5月スタジオ録音
一方、自由の女神が完成して除幕されたのは1886年10月28日で、像はニューヨーク港の入り口に立っており間違いなくドボルザークも、この像を見たはずだ。ジャケットに使うのは適切であると言える。

最後の蒸気機関車(SL)の絵・写真に付いては、あまりピンと来ないかもしれないが、第4楽章の出だしの音楽はSLが発進する時、蒸気がピストンを押してゆっくり動き出す様子を取り入れている。そもそもドボルザークはかなりガチの鉄道オタクだったと知ればすべて納得できる。プラハのアパートは、プラハ駅のそばで、毎朝の散歩で駅に立ち寄るのが日課だったし、家にいても、汽笛としゅっぽしゅっぽのドラフト音でこの機関車は何型、あるいはこの列車の列車番号、発着時刻まで分かったと言われている(一説には運転士・機関士の名前まで分かったとも)。1892年9月~1895年4月、ニューヨーク音楽院院長となってニューヨークに住んだ時も、週に2回は駅まで鉄道を見に行った。
   
クーベリック盤復刻CD
ケルテス盤復刻CD
「新世界交響曲」はチェコの作曲家ドボルザーク(Antonín Leopold Dvořák 1841-1904)がアメリカのニューヨーク・ナショナル音楽院の院長として赴任(1892-1895)していた1893年に書いた交響曲だが、世界的には交響曲としてよりも第2楽章の第1主題の方が、愛唱歌『家路』として、また帰宅時を知らせる街のチャイムとしても、有名である。これは、カリフォルニア出身の弟子フィッシャー(William Arms Fisher 1861–1948)が1922年にこのメロディに『Goin’ Home』として歌詞(英語)を付け発表し(従って2022年は『Goin’ Home』100周年)、愛唱歌として多くの人々に愛され歌われ、その上、このメロディにいろいろな歌詞を付ける動きが、世界中に伝搬したためである。日本では宮沢賢治が自身の理想郷であるイートハーブの景勝地を歌った歌詞を1924年に付けたが、野上彰、堀内敬三など多くの日本の作詞家は『Goin’ Home』の世界観(「家路の心情」)を踏襲した歌詞を書いている。
ドボルザークの交響曲第9番(新世界交響曲)はもちろん有名曲であるが、第7番、第8番も素晴らしい曲である事を力説しておきたい。特に第7番はいぶし銀のような、通好みの音楽に仕上がっている。第1楽章は、生まれついてのメロディ・メーカーであるドボルザークの面目躍如で、美しい旋律と職人技とも言える高度な作曲技法も相まって、ボヘミアの雰囲気を描いたと言うよりも、もっと普遍的な、広い音楽世界を表現しており、私にはベートーベンの第9交響曲の第1楽章の世界が感じられる。それは調性がニ短調のせいもあるし、主題に第9の主題のように跳躍した音程が使われているせいもある。

先に述べたようにクーベリックがウィーンフィルを振って「新世界」を入れた時(1956年10月)、実は第7番も入れていたのだ。何と言う僥倖。2000年になってこの2曲がCDに収められて発売された。何と言う幸運。とにかくこの演奏は柔らかい、優しい音に包まれていて、聴いていて癒される。
交響曲第7番、第9番「新世界より」
クーベリック/ウィーンフィル
1956年10月セッション録音
「新世界交響曲」を語る時に避けて通れないのはナンバリング(番号)の話だ。出版された時は第5番と言う番号を与えられていた。ドボルザークが生存中に出版された交響曲は5曲で、ほとんどがジムロックと言う出版社から出されており、番号も作品番号も出版社が好き勝手に付けた。ドボルザークの死後、1950年代後半になってチェコで全集を出す事になり、それまで出版されていなかった若い時の4曲も組み込まれる事になり、作曲順も考慮され、次のように改番された。

  ・1865年作曲 ハ短調 作品3 「ズロニツェの鐘」   → 新 第1番 作品3(B9)「ズロニツェの鐘」
  ・1865/87年作曲 変ロ長調 作品4          → 新 第2番 作品4(B12)
  ・1873年作曲 変ホ長調 作品10           → 新 第3番 作品10(B34)
  ・1874年作曲 ニ短調 作品13            → 新 第4番 作品13(B41)
  ・1875年作曲 旧 第3番 ヘ長調 作品76       → 新 第5番 作品76(B54)
  ・1880年作曲 旧 第1番 ニ長調 作品60       → 新 第6番 作品60(B112)
  ・1884/85年作曲 旧 第2番 ニ短調 作品70      → 新 第7番 作品70(B141)
  ・1889年作曲 旧 第4番 ト長調 作品88       → 新 第8番 作品88(B163)
  ・1893年作曲 旧 第5番 ホ短調 作品95「新世界より」→ 新 第9番 作品95(B178)「新世界より」

曲番号や作品番号が出版社の都合で付けられていた事が混乱を招いたとして、全集では作曲順に並べたB番号(ブルクハウゼル番号)も付与されている。LPのジャケットでは1960年以前では旧番号で表記されていたが、1960年代になると第5(9)番、もしくは第9(5)番のように「()」で併記されるようになった。1970年以降は、旧番号の併記は完全になくなった。
ところでマーラーが「交響曲作曲家が第9番を出版すると死を招く」と言って恐れた前例としてベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ドボルザークを引き合いに出したと言う説があるが、それは後世(20世紀後半)の全くの作り話だ。ドボルザークの交響曲は上述のようにマーラーが生きていた時は第5番「新世界より」までしか出版されていなかったし、ブルックナーは第8番を出版した後、次の交響曲を作曲中の1896年に亡くなった(つまり第9番は未だ完成していなかった)のであり、シューベルトのハ長調遺作交響曲を7番から9番に昇番させたのは1951年の事だし、結局、マーラー以前に9番までの番号を付けた交響曲を出版したのは、ハイドン、モーツァルトを除けばベートーベンだけなのだ。つまりマーラーはベートーベンが交響曲第9番を完成させた後、次が書けなかった(第10番のスケッチは残っている)事実に恐れをなし、自身の交響曲第8番「千人交響曲」(1908年)の後に作る曲に第9番と番号を付けて出版するのを怖がったのだ。そのため第8番の次に作曲した管弦楽伴奏の歌曲集「大地の歌」(1908年)を交響曲とは位置付けずに交響歌曲集として出版し、9番の番号を付ける事を回避した。しかし、その次のニ長調の交響曲は純粋器楽曲であり、9番の番号を付けざるを得ず、ついに第9番として出版された(1909年)。そして、恐れていた通りマーラーは次の交響曲を作曲中(第10番のスケッチは残っている)に病死した(1911.5.18)。
   

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R.シュトラウス:アルプス交響曲

メータ/ロサンゼルスフィル 1975年5月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★★ 
 ・演奏のよさ     ★★★★★ 
 ・録音/臨場感    ★★★★★ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★★★ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★☆☆ 
リヒャルト・ シュトラウス(1864.6.11-1949.9.8)は、フリードリヒ・ニーチェ(1844.10.15-1900.8.25)の著作 『ツァラトゥストラはかく語りき』(Also sprach Zarathustra)を読んで感銘を受け、1896年交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を作曲し、発表した。さらに1902年にはニーチェの遺作『反キリスト者』を読んで感銘を受け、反キリスト者のアルプス山中での隠遁生活を描こうと4楽章形式の「反キリスト者 ー アルプス交響曲」を構想し、スケッチもされたが、タイトル・内容共に問題が多く、完成には至らなかった。1911年からガルミッシュ・パルテンキルへンの山荘でアルプスの自然を描写した交響詩のスケッチを開始した。これには、 R. シュトラウスが14才の時(1878年)に、ドイツ・アルプスのツークシュピッツェに登った体験が生かされている。 1914年11月1日から清書に取り掛かかり、1915年2月8日、単一楽章の交響曲「アルプス交響曲」として完成した。前半はアルプス登山の風景が色鮮やかに描かれているが、登頂後、嵐の中を下山する様子を描いたあたりから、音楽は宗教的な響きに変わる。これはおそらく元の「反キリスト者 ー アルプス交響曲」のスケッチが生かされたものと思われる。初演は1915年10月28日、ベルリン・フィルハーモニー楽堂で作曲者自身の指揮、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏。
1975年5月にメータ/ロサンジェルスフィルによる目の覚めるような臨場感と躍動感に溢れる演奏が録音され、1976年にデッカから発売された。この素晴らしい演奏に危機を感じたのがカラヤンだ。すぐさま、曲の深読みを始め、ベルリンフィルを振ってデジタル録音し、1981年に対抗盤がグラモフォンから発売された。雲をまとったマッターホルンを逆光で撮ったジャケットデザインにも対抗心は見え見え。この曲はいかにオケを充分に鳴らすかが勝負の分かれ目なのだが、カラヤン盤はベルリンフィルと言うスーパーオケを使ってるのにも拘わらず、いつものよう流麗な演奏を目指したためか響きが控えめで、メータ盤の方が十全な管弦楽の醍醐味が楽しめる。

R.シュトラウスは1948年に若き指揮者であったカイルベルトに「私もとりわけ愛するアルプス交響曲を、大いに楽しんでください。この曲はよく響き過ぎるのです」と書き送っているほど、自分の管弦楽法に自信があり、事実この作品はよく書けている(特に「頂上にて」に至る長いクレッシェンド部は響きが豊かだ)と思うのだが、それでも数カ所管弦楽として書き足りない部分はある。特に最も音量が欲しい「嵐・雷雨」の中ほどで音が痩せる部分(練習番号114aから120あたり)は聴衆にもはっきりと分かり、管弦楽としては全く書き足りない。したがってこの曲を十全に鳴らし切れないのは何も指揮者の腕のせいだけではないのである。

R.シュトラウスは大作曲家であるが、同時期に活躍したマーラーと同様、指揮者としても大活躍をした。マーラーよりも長生きしたので、晩年の1941年5月にバイエルン国立管弦楽団を振って入れた自作自演盤が残されている。自分で作った大交響曲を、自ら指揮して、音楽を奏で、録音すると言う事が出来るのは、素晴らしい事だ。この録音は、気負う事無く、奇をてらう事無く、俯瞰的に演奏している。
R.シュトラウス自作自演盤
1941年5月スタジオ録音
カラヤン/ベルリンフィル盤
1981年スタジオ録音
ケンぺ/ロイヤルフィル盤(1966年5月スタジオ録音)は「アルプス交響曲」ブームを作った一枚。見開きジャケットをフルに使い、青空に聳え立つマッターホルンを大きく入れて、白いゴシック文字で「AN ALPINE SYMPHONY」と入れた大胆かつ美しいデザイン。ケンぺの指揮はテンポが遅めで、堅実ではあるが表現が淡白で面白みに欠ける。演奏はよくなかったが、ジャケットデザインのよさでこのLPは大いに売れ、ジャケットデザインの重要性を認識させる事になった。
アルプス交響曲は単一楽章の交響曲で50分ほどの演奏時間となっている。LPは音質を保持しようとすると片面30~40分位しか記録できないと言われていて(とは言え、カッティングの溝間隔を狭めればかなりの時間収録する事が出来るのも事実。カラヤン/フィルハーモニアの演奏でドボルザークの「新世界」やチャイコフスキーの「悲愴」をそれぞれ片面に入れた盤もあった)、曲の途中のどこかで録音を切らざるを得ないのであるが、曲の中ほどの「頂上にて」で登頂の喜びを大音響で表現している部分があるので、ここで切るのが一つの解となっている。メータ/ロスフィル盤も、ケンペ/ロイヤルフィル盤も頂上の大和音を鳴らした所(練習番号85の小節の1・2拍)でLPのA面を終えている。大和音で終わるので、 聴いている者にとっては 到達感があり、素晴らしい解だと思う。面白いのは、ここで盤をひっくり返してB面を鳴らし始めると、冒頭で頂上の大和音が鳴るのである。つまり頂上の大和音 (練習番号85の小節の1・2拍) が2回現れるのだ。聴いている者にとっては大音響からB面が始まるので、わくわく感が駆り立てられ、盤をひっくり返した事による意識の中断がなかったかのようになり、音楽の流れが続いて行き、この解が素晴らしい正解と確信させられた。ついには、これが中毒のようになり、頂上の大和音が2度鳴らないと、満足できなくなってしまった。

ちなみにモータリゼーションの高まりにより、車の中でも自分の好きな音楽を再生したいと言う要求が出て、1970年頃からカセットテープ(コンパクトカセット)が重宝されるようになった。カセットテープは録音媒体はテープなので、送り出しと巻き取りの2軸の回転機構が必要で、1887年にエミール・ベルリナーが円盤式蓄音機「グラモフォン」を発明して以来録音メディアは長らく円盤(ジャケットは正方形)だったのを、円盤状ではない長方形のメディアとして登場した。テープ走行の行きと帰りを有効に使うため、カセットには表・裏面(A面、B面が)があり、ひっくり返すか回転を逆転させる必要があり、長い曲はLP同様途中で中断させられた。したがってアルプス交響曲のカセットも上記のLP同様、頂上の大和音が2度鳴る仕様で作られた。長時間の運転ではオートリバースのカーステレオで繰り返しアルプス交響曲を聞いたので、ますます中毒症状が進んだ。

しかし、CD時代となり、リスニングルームでも、カーオーディオでも、事態は一変した。50分の曲でも、盤をひっくり返す事なく再生できるので、当然ながら 頂上の大和音が2度鳴らされる事なく、音楽は楽譜通り再生されて行くようになった。その結果、中毒患者は頂上で肩透かしを食らったような、足を払われたような、梯子を外されたような中途半端感に包まれてしまうようになった。何と哀しいかな、CDでは達成感、満足感を得られなくなってしまったのだ。正に中毒だ。こうなったら、一度、 頂上の大和音でいったん曲を中断し、休憩を入れ、再度頂上の大和音を鳴らして音楽を再開する演奏会を是が非でもやってほしい。まあ、正規のコンサートでは異論が出るだろうから、公開でのゲネプロ(舞台リハーサル)ではやっても許されるのではないか?できるなら、そう言うCDも発売してほしいと切望する。すなわち、これはアルプス交響曲2楽章制の提案だ。
R.シュトラウスと親交の深かったベームもザクセン国立管弦楽団を振って入れている。グラモフォンの廉価番レーベルであるヘリオドールから再発売されたLPはスイス・アルプスのユングフラウの写真を使っていて素晴らしい。しかし、演奏はよくない。オケが下手すぎる。これが音楽の国ドイツのオケかと驚愕・失望させられる。

この盤での中断の仕方はメータ/ロスフィル盤やケンペ/ロイヤルフィル盤と違って、頂上の一歩手前で前頂上とも言うべき一段低いピークの和音(練習番号84の小節の1~3拍)でA面を終えている。そして盤をひっくり返した後は、和音を再度鳴らす事なく、練習番号84の小節の4拍目からB面が始まっている。この4拍目から真の頂上である練習番号85に向けての上昇音階が始まるので、全く違和感がない。そして真の頂上に到着し、当然ながら頂上の大和音(練習番号85の小節の1・2拍)が2度鳴らされる事なく、音楽は楽譜通り再生されて行き、アルプス交響曲の実像が変に曲げられる事もない。おそらく、この切り方であれば、私のような、頂上の大和音の2度鳴らしがないと達成感・満足感を得られないと言うアルプス交響曲2楽章制中毒患者を生む事もなかったのかなと思う。したがってこちらが真の正解なのかもしれない。

日本の大阪フィルを育て上げた朝比奈隆が北ドイツ放送響を振って入れたライブ盤は遅めのテンポでじっくりと歌い過ぎ、指揮者の意図とオケの反応がずれているようで、ちぐはぐ感が残る。
朝比奈隆/北ドイツ放送響
1990.3.19ライブ録音
ベーム/ザクセン国立管弦楽団
1957.9スタジオ録音
ハイダーがエーテボリ響を振って入れたCDのブックレットにはR.シュトラウスの登山の様子の写真が掲載されていて、楽しい。表表紙はオーストリアのローザー山の山頂に座っている写真。裏表紙はイタリアのドロミテの名峰モンテ・クリスタッロ登山の写真だ。
ハイダー/エーテボリ響
1995.9.25-26スタジオ録音
CDブックレット表表紙
ローザー山頂のR.シュトラウス
ハイダー/エーテボリ響
1995.9.25-26スタジオ録音
CDブックレット裏表紙
クリスタッロ登山のR.シュトラウス
私には一つの夢がある。それはアルプス交響曲に映像を付けたいと言う夢だ。アルプス交響曲はR.シュトラウスが14才の時にドイツ・アルプスのツークシュピッツェに登山した時の体験が元になっているとの事なので、ロケ地はツークシュピッツェがいいかもしれない。時期は「花咲く草原」に合うように春・初夏がいいかもしれない。下山途中で「嵐」に遭うので、初夏・夏かもしれない。

2024年になり、この夢は意外と早く実現しそうになって来た。それは生成AIが実用化された事だ。映像化はAIのもっとも得意とする所なので、細かに指示を入力すれば、ロケ地に行く事なく、効率よく、実写と見まがうほどの高いクオリティの映像を生成してくれるだろう。素晴らしい時代になった。

ここまで贅沢な夢ではないが、もう一つの夢がある。それはコンサートでアルプス交響曲を演奏する時は、舞台の照明を真っ暗にして「夜」を開始し(もちろんオペラのオケピットで使う譜面台照明は点ける)、徐々に明るくして、「日の出」と共にステージを8割方明るくし、「頂上にて」で一番明るくする。下山での「霧が立ち上る」「嵐」では照明を絞り薄暗くし、「日没」で黄昏状態を作り、「夜」で再び真っ暗にして曲を終えると言う演出である。どうだろう?これならできない事はないと思うのだが。

2022年5月30日の0時18分(29日深夜)、NHK-BSプレミアムで興味深い録画が放映された。ロビン・ティチアーティ指揮でベルリン・ドイツ交響楽団が2021年4月13日にベルリンのテンポドロム・スタジオで演奏した録画だ。真っ暗な(とは言え譜面台照明は点いている)中で、指揮者が微かに浮かび上がり、「夜」が始まる。微かに明るさが増し、オケの全容が見えてくる。何と指揮者を中心に同心円状に楽員が並んでいるのだ。スタジオ演奏ならではの演出だ。「日の出」でぱーっと明るくなるかと思ったが、それほどでもなく、曲のクライマックスの「頂上にて」ですら、凄く明るいと言う感じではなく、今回の照明の演出には不満が残った。曲の終わりになり「下山」「日没」「終結」と徐々に暗くなって行き、最後の「夜」で真っ暗になった。まあ、私の夢が一部実現された事には違いない。私と同じ考えを持っている音楽家がいて、しかも実行してくれていて、うれしかった。
さて、アルプス交響曲とは切っても切れない名曲がある。ブルッフのバイオリン協奏曲第1番だ。ブルッフ(1838.1.6-1920.10.2)はR.シュトラウス(1864.6.11-1949.9.8)よりも26才も年上で、音楽界でも大先輩であり、しかもR.シュトラウスが交響詩「ドン・ファン」で華々しく成功を収めた時からの音楽上の攻撃者(交響詩「英雄の生涯」で『英雄の敵』として表されている一団)なのだが、なぜか ブルッフのバイオリン協奏曲第1番の動機をアルプス交響曲に引用している。しかも、小さな断片としての引用ではなく、曲の根幹をなす重要な動機に充てているのだ。ブルッフのバイオリン協奏曲第1番はR.シュトラウスの生まれた年に作曲が開始され、何度か改訂を経て、1868年には完成している(日本では明治元年)。

R.シュトラウスは「敬意を込めてブルッフのバイオリン協奏曲第1番の動機をアルプス交響曲に使わせていただいた」と述べたと言われている。しかし、この「敬意を込めて」と言う発言の真意は分からない。彼の得意とする皮肉かもしれない。と言うのは、R.シュトラウスは遊び心で引用するくせがあり、交響詩「英雄の生涯」の『英雄の業績』では、それまでの自作の交響詩からサビを次々と引っ張て来て、さらにベートーベンの英雄交響曲の第4楽章から上昇音階を引用している。アルプス交響曲を作るにあたって、ブルッフのバイオリン協奏曲第1番から動機を引用したのも、敬意ではなく遊び心たっぷりに、あるいは敵を打ち負かすためにあえて敵の名曲の肝の動機を引用し存分に活用したと考える事も出来る。何と言っても34才の若さで自分を英雄と褒め称え、これまでの業績や成功を交響詩『英雄の生涯』として作曲し、発表し、しかも聴衆に受け入れさせた自信家なのだ。第二次世界大戦で、ドイツの国土、建物、文化が徹底的に破壊された事への鎮魂曲として最晩年に書いた習作『変容』(弦楽23重奏)では、ベートーベンの英雄交響曲の第2楽章「葬送行進曲」の動機を全曲の主題に据え、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のマルケ王の動機やこれまでの自作品の旋律を巧みに引用している。

真相はともあれ、まず何と言っても目立つのは、アルプス交響曲の表看板「太陽の動機」( ドー・シー・ラ・ラー ・ソー)の前半部がバイオリン協奏曲第1番の第1楽章の第1主題と同じリズムだと言う事だ。多少の音程の違いがあるが、「2分音符・付点4分音符・8分音符」(音価比で表すと4:3:1) の下降音型はまさに従妹。また、アルプス交響曲の「幻影」の終わり頃(練習番号46の2小節前)に出て来る「ソミー・ソレー・ソドー」と言うホルンの旋律(もちろん以後何度も出て来るが)がバイオリン協奏曲第1番の第2楽章の中頃(練習番号D)に出て来るホルンの旋律(もちろん以後何度も出て来るが) と全く同じなのだ(私はこれをアルプス交響曲での「ブルコンの動機」と勝手に呼んでいる)。この旋律に装飾を加えた旋律が バイオリン協奏曲第1番の第2楽章の第2主題となる。

しかるに「太陽の動機」はマーラーの交響曲第2番「復活」の第5楽章の冒頭の大音響が収まった後の静かな経過句に4回ほど出て来る。時間的には第5楽章開始1分5秒位過ぎてからの30秒間の短い時間だが、ハープの伴奏で弦で奏でられる。大音響が収まった後なので、宗教的で印象的だ。 音程もアルプス交響曲の動機とまったく同じ「ドー・シー・ラ・ラー」で、ブルッフよりも相似度が高い。兄弟と言ってもいいだろう。マーラーは4才年上の盟友であり、1895年に初演された交響曲第2番「復活」は、当然R.シュトラウスも聴いている。アルプス交響曲の元となった交響曲「反キリスト者 ー アルプス交響曲」のスケッチは1902年に始まっているので、そこでマーラーの交響曲第2番第5楽章の経過句を意識して「太陽の動機」を書いたのかもしれないし、そこまで意識的ではなかったにせよ、無意識の内に書いたものが結果的にそっくりな動機になったのではないか。マ―ラーが1911年に世を去った年に R.シュトラウスはアルプス交響曲の本格的な作曲に着手している。マーラーとの親交を思い出しながら作曲を進めたのではないかと思う。
また、この「2分音符・付点4分音符・8分音符」(音価比で表すと4:3:1)のリズムはビートルズの一番のヒット曲「A Hard Day’s Night」の主題にも使われている。8分音符が次の小節の2分音符にタイで連結されているので 音価比で表すと4:3:5となり分かりにくいが、タイを外すとはっきり分かり、この事を一度意識すると、タイがあってもこのリズムが浮かび上がる。 このリズムは聴く人を元気にする力がある。

ブルッフのバイオリン協奏曲第1番と共にLPやCDでカップリングされる名曲がメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲(1844年作曲)だ。メンデルスゾーン(1808.2.3-1847.11.4)はブルッフの30才年上で、しかも39才で早世した(ブルッフ9才時)ので、直接親交を結んだことはないが、音楽上尊敬していた。ブルッフは5才年上のブラームス(1833.5.7-1897.4.3)とは良きライバルとして親交を結んでいる。ブラームスのバイオリン協奏曲も名曲中の名曲だが、こちらはブルッフのバイオリン協奏曲に遅れる事10年の1878年に書かれている。
ブラコン/ハーン
2001.6.13-14録音
グラミー賞受賞
ブルコン・メンコン/ヴェンゲーロフ
1993.9録音


面白い事に メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲と共にLPやCDでカップリングされる事の多いチャイコフスキー(1840.5.7-1893.11.6)のバイオリン協奏曲も、ブラームスのバイオリン協奏曲と同じ年の1878年に書かれている(ブラームスとチャイコフスキーは年こそブラームスが7つ上だが、誕生月日は同じ5月7日)。
  


ベートーベン(1770.12.16-1827.3.26)のバイオリン協奏曲が1806年、シベリウス(1865.12.8 – 1957.9.20)のバイオリン協奏曲が1903-05年に書かれているので、6大バイオリン協奏曲がこの99年間に誕生している。

  ベートーベン  (1770.12.16 – 1827.3.26) バイオリン協奏曲作曲1806年
  メンデルスゾーン (1808.2.3 – 1847.11.4)  バイオリン協奏曲作曲1844年
  ブラームス   (1833.5.7 – 1897.4.3)   バイオリン協奏曲作曲1878年
  ブルッフ    (1838.1.6 – 1920.10.2)  バイオリン協奏曲第1番 作曲1864-68年
  チャイコフスキー(1840.5.7 – 1893.11.6)  バイオリン協奏曲作曲1878年
  シベリウス   (1865.12.8 – 1957.9.20)  バイオリン協奏曲作曲1903-05年
チャイコン・シベコン/キョンファ
1970.6録音
ベトコン/ミンツ
1986.9録音

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ワルター・空前絶後超弩級豪華セット

ベートーベン交響曲全集 1958年1月/2月、1959年1月/4月 スタジオ録音

ブラームス交響曲・管弦楽曲全集 1959年2月/11月、1960年1月 スタジオ録音

モーツァルト交響曲・管弦楽曲集 1959年1月/12月、1960年2月 スタジオ録音

 ・曲のよさ      ★★★★☆ 
 ・演奏のよさ     ★★★★☆ 
 ・録音/臨場感    ★★★★☆ (アナログ・ステレオ・スタジオ録音)
 ・ジャケットデザイン ★★★☆☆ 
 ・装丁/コンセプト  ★★★★★ (布張りボックス・布張り解説スコア本をさらにくるむ革張り)
ワルター芸術をステレオ録音で残そうと、アメリカのCBSコロンビアが、引退を決意してロサンゼルスのビバリーヒルズで心臓疾患の療養をしていたワルターを説得し、ワルターを慕い、設立の趣旨に賛同する腕利きの演奏者を集め作ったのが、ワルターのための録音専用オーケストラ「コロンビア交響楽団」だ(当然ロサンゼルスフィルのプレイヤーが多かったと言われている)。健康状態を考慮して冬場の気候のよい時期に少しずつレコーディングセッション(1日3時間)を取り、計画的に主要な交響曲・管弦楽曲を録音して行った。
ワルター指揮姿
ベートーベンの交響曲全9曲(第9の第4楽章だけは1959年4月ニューヨークでニューヨークフィル/ウェストミンスター合唱団で録音した)、ブラームスの交響曲全4曲、モーツァルトの後期交響曲6曲、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」、ドボルザークの交響曲第8番、第9番「新世界から」、マーラーの交響曲第1番、大地の歌、第9番、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」、第7番、第9番を録音出来た事は大きな成果だった(シューベルトの交響曲第8番、マーラーの交響曲第2番「復活」はニューヨークでニューヨークフィルを振って録音された)。もちろんブルックナーの交響曲第8番も録音計画に入っていたが、1962年2月17日のワルターの死でこの壮大なプロジェクトは終了となった。
1966年(昭和41年)、日本コロンビアはワルター芸術をまさに永遠に残そうと素晴らしいステレオLPボックスを発売した。まず発売されたのがベートーベンの交響曲全集だ。LP7枚を黒い布張り金箔押し文字ボックス(縦33cm、横32.5cm、厚さ2.8cm)に収め、解説書と全曲スコアを一冊に綴じLPボックスと同じ黒い布張り金箔押し文字表紙を付けた豪華本(縦33cm、横32.5cm、厚さ2.5cm)を作った(この本のインクの香りがすごく上品で、本を開けると一瞬にして別世界へ行く事が出来た)。そして、この2つの塊を一つに仕舞うべく、一回り大きなボックスを用意したのだ。黒い総革張り金箔押し文字丸背ボックス(縦35cm、横34cm+丸背2cm、厚さ7.5cm)。まさに空前絶後、今までもそしてこれからも2度と世の中に出ないであろう超弩級の豪華セットだった(運搬用に縦37.5cm、横39cm、厚さ12.5cmの段ボール箱に入っていた。厚みが大きいのは厚さ2cmのベートーベンの顔の像が同梱されていたため)。
ワルター/コロンビア響 デラックスシリーズ ベートーベン交響曲全集 
LPそのものもマスタープレスと言って、通常のプレス工程を1段減らした特別なプレスで作られており、日本コロンビアはデラックスシリーズ1枚2,500円と言う強気の値段設定で売り出した(デラックスシリーズなのでレーベルが金色だった。しかし、金色インクが特殊だったのか、指先の皮脂が付くと変色し、指紋が残ってしまう欠点があった)。マスタープレスは数多くプレスする訳には行かなかったから、2,500部限定で、愛蔵家番号なるシリアル番号が付けられていた。いくら日本が高度経済成長の波に乗っていたとは言え、7枚組17,500円のこの豪華セットを買う愛好家はどの位いたのだろう?当時大卒サラリーマンの平均初任給は26,000円位(ちなみに2012年は201,800円、2019年は210,200円)だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは141,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。私の買ったセットの愛蔵家番号は1115番だった。それでも、日本人ほどベートーベンが大好きな国民はいないから、半分位は売れたのかもしれない。余談だが、2007年の冬、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットのベートーベンの遺書の家を訪れた時、記名帳に名前を書こうとページをブラウジングしたら、なんと7、8割方、日本人の名前だった。
モーツァルト後期交響曲集
ベートーベン交響曲全集
  
1966年(昭和41年)11月には同様の装丁でブラームスの交響曲全4曲と管弦楽曲(ハイドンの主題による変奏曲、大学祝典序曲、悲劇的序曲)をLP4枚に入れて出した(10,000円)。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは80,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。私もこのセットを買ったのだが、後日騙されて手放す羽目になり、愛蔵家番号は何番だったか記憶も記録もないが、3桁だったと思う。いくら日本人がブラームス好きと言っても、ベートーベン全集ほどは売れなかったと思われる。さらに1967年(昭和42年)春には同様の装丁でモーツァルトの後期交響曲6曲(第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」、第38番「プラーハ」、第39番、第40番、第41番「ジュピター」)と管弦楽曲(アイネクライネナハトムジーク、劇場支配人序曲、コジファントゥッテ序曲、フィガロの結婚序曲、魔笛序曲、フリーメーソンのための葬送音楽)をLP4枚に入れて出した(10,000円)。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは75,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。私の買った(レコード店が好意で2割引きしてくれた)セットの愛蔵家番号は686番だった。いくら日本人がモーツァルト好きと言っても、ベートーベン全集ほどは売れなかったと思われる。

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その後の超弩級豪華セット

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ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」4部作 ショルティ/ウィーンフィル

1968年(昭和43年)11月20日発売、革張り外ボックスにLP22枚を全5巻内ボックスに収納(序夜「ラインの黄金」LP3枚、第1夜「ワルキューレ」LP5枚、第2夜「ジークフリート」LP5枚、第3夜「神々の黄昏」LP6枚+ライトモチーフ集LP3枚)、日本国内予約限定発売、40,000円。1968年の大卒サラリーマンの平均初任給は30,600円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは280,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。ワーグナーの熱狂ファン、もしくは全集オタクなど、資金に余裕のある個人にも売れたとは思うが、基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、ロマン派音楽の研究者とか、それこそ「ニーベルングの指輪」演奏家・団体とかが、学術目的に購入したと思われる。

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ベートーベン生誕200年記念:グラモフォン・ベートーベン大全集

1969年(昭和44年)11月15日発売、全12巻LP78枚、各布張りボックス、日本国内予約限定発売、計118,000円(各巻単体でも予約できた)。1969年の大卒サラリーマンの平均初任給は34,100円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは730,000円位に相当し、おいそれと買えるものではなかった。ベートーベンの熱烈ファン、もしくは全集オタクなど、資金に余裕のある個人にも売れたとは思うが、基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、古典派音楽の研究者とか、それこそベートーベンの音楽演奏家・団体とかが、学術目的に購入したと思われる。
  第1巻 交響曲全集・行進曲集    カラヤン/ベルリンフィル     (LP9枚組、12,000円) 
  第2巻 協奏曲全集         ケンプ、フェラス、オイストラフ、他(LP6枚組、 9,000円)
  第3巻 管楽器室内楽全集      ベルリンフィルメンバー      (LP4枚組、 7,000円)
  第4巻 弦楽四重奏・五重奏曲全集  アマデウス弦楽四重奏団、他    (LP11枚組、16,000円)
  第5巻 弦楽三重奏曲全集      イタリー弦楽トリオ        (LP3枚組、 6,000円)
  第6巻 ピアノ三重奏、四重奏曲全集 シェリング、フルニエ、ケンプ、他 (LP6枚組、 9,000円)
  第7巻 バイオリン・チェロ曲全集  シュナイダーハン、フルニエ、ケンプ(LP7枚組、10,000円)
  第8巻 ピアノ曲全集        ケンプ、デームス         (LP15枚組、20,000円)
  第9巻 ミサ曲全集         カラヤン、リヒター        (LP3枚組、 6,000円)
 第10巻 歌劇「フィデリオ」     ベーム/ドレスデン歌劇場管弦楽団 (LP3枚組、 6,000円)
 第11巻 劇場用音楽全集       カラヤン/ベルリンフィル     (LP4枚組、 7,000円)
 第12巻 歌曲、合唱曲重奏曲全集   フィッシャーディースカウ     (LP7枚組、10,000円)

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ベートーベン:ピアノソナタ全集(32曲) バックハウス(ピアノ)

1970年(昭和45年)発売、LP10枚革張りボックス、日本国内予約限定発売、18,000円。バックハウスはすでにモノラル録音でベートーベンピアノソナタ全集を完成していた(1950年~1954年録音)が、ベートーベン生誕200年記念に合わせてステレオ録音で入れ直していた(1958年~1969年録音)。あと1曲(第29番「ハンマークラヴィーア」)で完成だったが、1969年7月5日心臓麻痺で他界し、ついに完成できなかった。そのため、この全集は第29番「ハンマークラヴィーア」だけ、旧全集のモノラル音源を使っている。
1970年の大卒サラリーマンの平均初任給は39,900円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは95,000円位に相当する。基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、古典派音楽の研究者とか、ベートーベンのピアノソナタ演奏者とかが、学術目的に購入したと思われるが、日本人ほどベートーベン好きな国民はいないし、バックハウスは1954年4月5日から5月22日にかけて日本公演ツアーを行ったので、熱烈なファンは増えていたし、1970年にはかなりの家庭がピアノを購入しており、ピアノを弾ける人々が増えていたので、資金に余裕のある個人にも結構な数、売れたと思われる。

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モーツァルト:交響曲全集(46曲) ベーム/ベルリンフィル

1970年(昭和45年)発売、LP15枚布張りボックス、22,000円。1970年の大卒サラリーマンの平均初任給は39,900円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは115,000円位に相当する。モーツァルトファン、もしくは全集オタクなど、多少の余裕のある個人にも売れたとは思うが、基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、古典派音楽の研究者とか、それこそモーツァルト交響曲演奏団体とかが、学術目的に購入したと思われる。

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ハイドン:交響曲全集(105曲) ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ

1974年(昭和49年)12月10日発売。革張りボックス2巻(本編LP46枚+ボーナスLP2枚)、82,800円。日本国内予約限定発売(フランスACCディスク大賞。世界で20,000セット売れたとの事)。1974年の大卒サラリーマンの平均初任給は78,700円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは220,000円位に相当する。ハイドンファン、もしくは全集オタクなど、資金に余裕のある個人にも売れたとは思うが、基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、古典派音楽の研究者とか、それこそハイドン交響曲演奏団体とかが、学術目的に購入したと思われる。

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ウィンナワルツ大全集(100曲) ボスコフスキー/ウィーンフィル

J.シュトラウス2世生誕150年記念:1975年(昭和50年)発売、LP10枚革張りボックス、18,000円。1975年の大卒サラリーマンの平均初任給は89,300円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは42,000円位に相当する。ウィンナワルツファン、もしくは全集オタクなど、多少の余裕のある個人にも売れたとは思うが、基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、ウィンナワルツ音楽の研究者とか、それこそウィンナワルツ演奏団体とかが、学術目的に購入したと思われる。

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ハイドン:弦楽四重奏曲全集(75曲) エオリアン弦楽四重奏団

1978年(昭和53年)2月21日発売、LP36枚革張りボックス、64,800円。日本国内2,000セット限定。1978年の大卒サラリーマンの平均初任給は105,500円。ちなみに2019年は210,200円だった。今の時代(2020年)に換算するとこのセットは130,000円位に相当する。ハイドンの熱烈ファン、もしくは全集オタクなど、資金に余裕のある個人にも売れたとは思うが、基本的には音楽大学の視聴覚ライブラリーとか、放送局とか、古典派音楽の研究者とか、それこそハイドン弦楽四重奏曲演奏団体とかが、学術目的に購入したと思われる。

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あとがき

1877年12月6日、アメリカのエジソンが直径8cmの、錫箔を貼った真鍮の円筒に針で音溝を記録し、かつ再生に成功して以来、人類は音楽を手元に持つ喜びを追求して来た。1887年、ドイツのベルリナーが円盤式の「グラモフォン」を発明した。発端はエジソンの円筒式レコード特許の回避のためだったが、結果として、円筒式より収納しやすく、原盤からの複製も容易で大量生産への道が開けた。中央の部分にレーベルを貼付できることも、円筒式にない特長だった。CDやDVDやBDにつながる円盤型メディアの歴史は、この時始まったと言える。さらにベルリナーは、記録面に対し針が振動する向きを、従来の垂直から水平に変更した。これにより音溝の深さが一定になり、音質が向上した。初期には様々な仕様が乱立したが、やがて毎分78回転盤が大勢を占め、1920年代には世界中で売られるようになった。

しかし、片面5分位の短い収録時間や、割れやすい材質(シェラック)だったので、改善が求められた。新たな円盤型レコードの開発がハンガリーからアメリカに帰化したゴールドマークを中心に1941年からCBS研究所で進められ、第二次大戦中の中断を経て1947年に実用化に成功した。割れにくいビニール製の市販レコードは1948年6月21日にコロンビア社から最初に発売された。直径12インチ (30cm) で収録時間30分。それ以前のレコード同等のサイズで格段に長時間再生できるので、LP (long play) と呼ばれ、在来レコードより音溝(グルーヴ)が細いことから、マイクログルーヴ (microgroove) とも呼ばれた。また、回転数から33回転盤とも呼ばれる(実際には3分間100回転、1分間33と1/3回転。これは無声映画のフィルム1巻が15分の間に500回転していた事に由来するとも言われているが、真意の程は確かではない)。これ以降、従来の78回転盤は(主に日本で)SP (standard play) と呼ばれるようになった。
これにより、クラシック音楽に適した再生が提供されたが、音質への要求はさらに高まった。次に求められたのは音の豊かさ、広がりであった。つまり左右それぞれ独立したスピーカーから、左右に分かれた音場を発生させ、人間の左右の耳にそれぞれ到達させ、脳の中でそれを統合させると言ういわゆる立体音響(ステレオ)を実現する事が求められた。技術的には90度で交わるV型の溝のそれぞれの壁面に左右のチャンネルの振動を記録する直交振幅記録(45-45方式)を実装するもので、原理は 1931年、英コロムビア社のブラムレインが考案していた。左右信号の和が水平振動となったので、モノラルLP盤の再生装置でも再生でき(互換性の確保)、ステレオLP盤の普及を後押しした。45-45方式は1950年代半ばに米ウエスタン・エレクトリック(ウエストレック)社が規格・実用化したものであるが、原理の考案から実用化までに時間がかかったのは、1930年代当時のSPレコードの主流材料だったシェラックでは高音質再生が不可能な事が大きな原因の1つだった(このためブラムレインによるステレオ録音の試験では、トラック分割が容易な映画用サウンドトラックでの試行が先行していた)。ちなみに、世界初の市販のステレオ盤は、1958年1月に米オーディオ・フィディリティー社から、日本初のそれは同年8月1日に日本ビクターから発売されている。
ステレオLP盤の次に登場したのがオープンリールテープである。レコード盤の音溝に起因するノイズをなくしたいと言う要望に、レコード会社の録音現場で長年実績のあったテープ技術を家庭に持ち込んだ。もちろん、録音技術陣が使っていた幅広で高速走行のプロ仕様そのままではなく、19cm/secと言う中程度の走行速度だったが、家庭での高音質再生には充分だった。しかし、テープの端を空のリールに巻き付けてようやく再生にこぎつけると言う取り扱いのわずらわしさから、一部のマニアに広まっただけで、やがてテープに端を巻き付けることなくテープを走らせることのできるカセットテープに席巻された。カセットテープは取り扱いが非常に易しく、持ち運びも便利だったが、テープの走行速度は4.75cm/secであったため、音質はかなり悪かった(面白い事にカセットテープのみが円盤状でない長方形の記録メディアだった)。
カセットが広まる時期には時を同じくして、デジタル録音(PCM録音)技術が各メーカーで開発され、録音現場に広まった。録音はデジタルで行われるようになったが、このデジタル音源を家庭に届けるメディアの開発が求められ、多くの提案がなされたが、最終的にフィリップスとソニーが提案したCD規格が採用された。デジタル音源の1ビットを1ミクロン以下の小さなくぼみ(ピット)として直径12㎝のポリカーボネイトの円盤のアルミ蒸着層の円周上に刻印し、それをレーザー光線を当てて反射光を読み取ると言う画期的な再生装置だ。初期のCDは74分の収録時間で、大抵の交響曲は1枚に収まった。その後規格がたびたび更新され、今では80分はゆうに超えている。1982年10月1日全世界一斉にCDが発売された(デジタル録音の音源による物が1枚3,800円、アナログ録音の音源による物が1枚3,500円だった)。本来アナログデータであった音楽がデジタルデータとして記録され、世界のオーディオファンはノイズの全くない再生メディアを手に入れた。

ところが、これがCDが自分で自分の首を絞める原因になった。CDの発売から6年後の1988年、それまで実験的・軍事的ネットワークだったインターネットが商用に開放され、デジタルデータは品質を落とす事なく自由に世界を移動できるようになった。インターネットの送受信装置の発達により、今では音楽はインターネット経由でダウンロードされ姿形のないデジタルデータとして売られている。結局CDの全盛期は1985~2015年の20年位だった(ステレオLPの全盛期は1960~1985年の25年位)。音楽は1920年から続いていた物理的なメディア(主に円盤)としては扱われなくなり、1950年から続いていたジャケット文化もついに終焉の時を迎えた。皮肉なものだ。

昔はどんな田舎の町にもレコード店が一軒はあった。CD時代になってもCD店として営業は続いた。ところが、インターネット時代となって、どの町からも店舗は消えた。2019年、東京銀座4丁目の老舗、山野楽器店(創業明治25年)も地階(映像作品DVD)1階(歌謡曲ポップスCD)2階(クラシックジャズCD)の売り場を閉鎖し(CD/DVD販売は規模を縮小して4階へ統合)、3フロアすべてをKDDIに貸す事となった。この一等地スペースは2020年以降スマホのマーケティングスペースとなってしまった。哀しい限りだ。

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